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時間は無限にある。それでもカップうどんを啜る

コラム・アラカルト

LIFE STYLE
2026.07.21

「時間があるなら、自炊くらいちゃんとしなきゃ」。そんなふうに思っていた時期があったというライター・エッセイストの生湯葉シホさん。でも、料理を楽しめる人がいる一方で、どうしても苦手な人もいる。向き・不向きを受け入れ、家事を分担してみたら、暮らしは思いのほか軽やかになりました。「自分でやるべき」という思い込みを、そっとほどいてくれるエッセイです。


鍋に湯を張る。ぼんやりする。冷蔵庫から味噌と白だしを取り出して目の前に置いたところで、充電中のスマホを探しに自分の部屋に戻る。大さじいくつって書いてあったっけ? レシピサイトのタブを開き直す。小さじ1かよ、ぜんぜん違うじゃん。それならこのくらいか、とボウルに目分量で注いだ白だしが結局大さじ2くらいになってしまう。うわ~、多。てかさっき冷蔵庫あけたときそうめんも一緒に出せばよかったな、という考えが一瞬よぎる。ぼんやりする。冷蔵庫、冷蔵庫と頭のなかで唱えながら扉をあけ、野菜室からなすを取り出す。トマトなかったっけか? Aくんが前にトマト買ってきてくれたのいつだっけ? 漠然と考えながら目についたほかの野菜も取り出し、まな板の前に並べる。鍋がぐつぐつと音を立てはじめる。……ん、このお湯、何用に沸かしたんだ?

自分が台所に立っているときの様子を中継するならば誇張なしにこうで、だから私は料理をするのがずっと苦痛だった。

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とくべつ料理が嫌いというわけではない。ただマルチタスクが猛烈に苦手で、各工程の合間に無の30秒(「ぼんやりする」)が挟まるものだから、「10分でできる簡単おかず」というタグがついたレシピのメニューを3品完成させるのに1時間半はかかる。仕事が20時に終わったとして、近所の「まいばすけっと」まで歩いていき、うわ、この時間だときゅうり1本残ってないんかい、逆に何ならあるんだよ、と内心でちいさな悪態をつきながら帰宅してすぐに料理をはじめ、それでも夕食にありつけるころには23時近くになっている。

わが家の構成員である私とAくんはともに在宅で仕事をしているフリーランスで、だから幸運なことに家事におけるタイムリミットはほとんどないようなものだ。仕事の締め切りが立て続いているときは掃除や洗濯がおろそかになるけれど、大人ふたりの暮らしでそこまで大きく家が散らかることもないし、原稿を書き上げたあとには多少の余裕ができるので、そのタイミングでまとめて家事をやればさほど困らない。時間はさも、無限にあるかのように見える。

しかし、だからこそ自分はていねいに料理をすべきだろうと思っていた。まわりの友人や先輩たちのように、仕事や育児、あるいは介護に忙殺されているわけでもない自分。無意味にぼんやりしながら長時間かけて料理をつくっても、だれにも文句を言われない自分。

インタビューライターの仕事を通してお話を伺ったことのある人気の料理家さんたちはみな、忙しくて忙しくて心がすさみそうな日々のなかで、できるだけ手間をかけずに自分や家族のための料理をつくる方法を、その担い手たちのことを、いつも熱心に考えていた。彼ら・彼女らの熱量とやさしさを間近で見つめながら、じゃあせいぜいひとりかふたり分の食事しか担っていない、行こうと思えば平日の真昼にだってスーパーに行ける自分くらいはせめて、さぼらずに料理したほうがいいだろう、そう自然と思っていた。

ここでパートナーのAくんの話になる。Aくんはもともとまったく料理をしない人だったから、同居をはじめてしばらくのあいだは、家で食事をする際には私が料理をしていた。時間はかかるんだけどまあまあおいしいから、というこちらの宣言どおりの料理を、Aくんはいつも喜んで食べてくれた。
しかしあるとき、彼が思い立ったように料理をつくりはじめた。たしか4年ほど前だった。Aくんははじめ、「リュウジのバズレシピ」を見ながら恐るおそる「至高のミートソース」や「至高の唐揚げ」をつくったりしていたが、気づいたときには「白ごはん.com」をブックマークしており、そうこうしているあいだに長谷川あかりさんの例の酒蒸しハンバーグや出汁カレーもささっとつくれるようになっていた。見慣れない調味料ばかりが並びはじめている台所の棚を見て私は思った。

……料理、この人に任せたほうがいいのでは?

聞けばAくんは、料理が楽しいという。ほんとうに? と私は何度も尋ねた。私は料理って基本めちゃくちゃ苦痛だよ、無理してない? Aくんはいや楽しいよ、めっちゃ楽しい、と繰り返す。
「むしろ僕はお皿洗いのほうが嫌だけどね」
「まじ? 私わりと掃除全般好きだよ」
驚いてこちらが言うと、それは助かるわ、じゃあしほちゃんは基本的にお皿洗いを担当してください、とAくんは宣言し、イヤホンをして鼻歌をうたいながらあんかけ焼きそばをつくりはじめた。あまりにもあっけない祝福の言葉だった。

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というわけで、わが家の料理担当者が基本的にAくんになってから数年が経つ。私とAくんの料理の割合はおおよそ2:8で、私が料理をするときは自分が食べたいものがあるときか、『きのう何食べた?』の新刊を読んだ直後くらいだ。掃除や洗濯は基本的にこちらが担当することが多く、しかし前述のとおり私はそういった作業がわりに好きなので(汚れがさっぱりと落ちるのがおもしろい)、これはWin-Winですね、という塩梅になっている。

「時間に余裕があるんだから、料理くらい自分でしたほうがいいんじゃないか」。当初感じていたそのうっすらとした呪縛が自分のなかから完全に消え去ったかと言われると、やはりまだ残っている気はする。けれどまあ楽しいって思ってる人が料理したほうが絶対ヘルシーだよな、といまは感じている。

自分のためにていねいに料理をすることで自己効力感が上がる、という言説があるけれど、私は料理をするたびに自分の鈍臭さを痛感させられてしまう。洗面台の隙間の汚れを重曹でピカピカにしたあとのほうがよほど自尊心が湧いてくる。だから向き不向きってあるよな、と素朴に思う。

Aくんが出かけていて家に自分ひとりの夜は、気分に応じて何かつくったりつくらなかったりする。長谷川あかりさんのレシピを見ておいしそうだなあと思い、いや、でもピーマンとたまねぎ刻むの今日は面倒だなあと考え直す。

いったんやめとくか、とケトルで湯を沸かし、買い溜めておいたカップうどんの封をあける。

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