「自分のため」よりも「誰かのため」のほうが頑張れる

コラム・アラカルト

2021.08.06

ライターになる前、私は北アルプスの山小屋で働いていて、毎日料理の仕事をしていた。だから、料理は人並みにできる……と思う。たぶん。

けれど、「できる」と「好き」は違う。長年やっているわりに、どうしても料理が好きになれないのだ。

理由は、おおざっぱで面倒くさがりな性格にある。たとえば、レシピに「大根おろし」と書いてあると、とたんにやる気をなくす。大根をすりおろすのも、そのあとにおろし金を洗うのも、想像しただけで面倒に感じるからだ。

ほかにも、計量せず適当に味付けしてしまったり、トマトの皮むきが面倒で皮ごと入れてしまったり……。それでおいしければ構わないが、失敗することも多い。じゃあ「レシピ通りに作ればいいのに」とツッコまれることもわかってはいるけれど、どうにも面倒くさがりが直らない。

とはいえ、好きではなくても、必要にせまられればやるしかない。

山小屋で働いていたうち最後の3年間は、スタッフの食事を管理する立場を任されていた。料理が好きじゃなくても、仕事となれば話は別。みんなの健康とモチベーション維持のため、レシピノートを作ったり、他の業務の合間に下ごしらえをしたりと、おいしいごはんが出せるよう精一杯工夫をこらした。

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その甲斐あってか、後輩たちは「サキさんのごはん、おいしい!」と喜んでくれていた。喜ばれると嬉しくなり、もっともっと喜ばせたくなる。

私は「自分のため」よりも「誰かのため」のほうが頑張れるらしいと、このとき気づいた。

夫が実家に帰り、久しぶりの一人暮らし

その後、山小屋を辞めてライターに転身し、自宅で仕事をするようになった。山小屋時代に今の夫と結婚したのだが、私がライターになったのと同時に夫もイラストレーターに転身。食事の支度は料理好きの夫が担当しており、私が作るのはせいぜい週に1、2回で、料理をする頻度が減って気がラクだった。

そんな我が家に大変な出来事が起きた。病気を患った義父の介護をしていた義母が、介護疲れでダウンしてしまったのだ。

夫の両親は高齢で、田舎でふたり暮らし。夫はすぐさま実家に駆けつけ、介護をしつつ、義父が介護サービスを受けられるよう手続きをおこなった。そして、義母の体調が安定するまでは実家で過ごすことになった。

私はというと、仕事があるので東京の自宅に残った。十数年ぶりの一人暮らしだ。

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夫がいないので、食事は自分で用意しなければならない。しかし、自分一人のために料理をするのがどうにも億劫だ。夫や同僚のためならできるのに、自分のためだとやる気が出ない。

そういえば母も、「家族がいるから料理してるけど、私一人ならレトルトでいいわ」と言っていた。私も同じ気持ちだ。今までだって、(めったにないけれど)夫が夕食を外で食べてくる日はレトルト食品で済ませていた。

今回も、夫がいなくなって最初の二日間は料理をする気力が湧かず、レトルト食品や缶詰、スーパーのお惣菜を食べた。お腹が空いたら仕事を中断し、スマホで動画を見ながら食事をかきこむ。おいしいのかどうか、あまり覚えていない。あっという間に食べ終わり、またすぐ仕事に戻る。そんなときに夫から「元気?ちゃんと食べてる?」とLINEが来ると、なぜか後ろめたさを感じ、胸がチクリと痛んだ。

レトルトや出来合いを食べることは悪いことじゃない。それで充分に空腹を満たせるんだから、後ろめたさを感じる必要なんてないじゃないか。

そう思うも、後ろめたさは消えない。その感情の正体について考えると、“夫が私の身体を大切にしてくれていた”ことが理由だと思い至った。

私はアトピー体質で貧血気味だ。そのため、夫が料理するときはアトピーによくないとされる食品を控えたり、鉄分が多い食材を使ったりと、さまざまな気遣いをしてくれる。

彼がそうやって大切にしてくれた私の身体を、私自身は大切にできているだろうか。大切にしていない自覚があるから、こんなに後ろめたいのではないか。

それに、もしも私まで体調を崩したら、夫が介護に専念できない。夫や彼の両親のためにも、私は元気でいよう。食事に気を配って、自分の身体を大切にしよう。

一人暮らしの家に届いた大量のアスパラ

北海道の実家から小包が届いたのは、私が自炊の決意を固めた直後だった。箱を開けると、地元産の立派なグリーンアスパラが大量に入っている。しばらくアスパラ三昧の量だ。

さて、どうやって食べよう?アスパラは高いからあまり買わないし、料理のレパートリーがない。

とりあえず、初日はシンプルに茹でてマヨネーズをかけて食べた。やわらかく瑞々しい。実家でよく食べた、懐かしい味だ。

素材がいいので茹でるだけでもおいしいのだが、せっかくだし、いろいろな調理法を試してみたい。そこで、翌日はアスパラとベーコンのパスタ、その翌日はアスパラの天ぷらを作ってみた。

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天ぷらを揚げるなんて、いったい何年ぶりだろう。揚げたてアツアツのアスパラにお塩を振って口に入れると、思わず「うまっ!」と声が出るほどおいしかった。夫にも食べさせたいな、と思う。

ここで思いつくアスパラレシピが尽きたため、翌日からはネットで見つけたメニューに挑戦してみた。

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アスパラの焼き浸し、アスパラとえのきのマリネ、アスパラチャーハン。アスパラづくし御膳だ。

特に、料理研究家リュウジさんの動画を参考に作った「アスパラのバター醤油焼きピラフ」が歓喜のおいしさだった。アスパラとバターとコンソメがよく合って、後から加えたお酒が香りを引き立てている。

はじめてのメニューにも挑戦!

アスパラをきっかけに、今まで作ったことがないメニューにもチャレンジするようになったので、いくつか紹介したい。

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無性に食べたくなって作ったオムライス。定番メニューだが、実は初めて作った。卵を一人分ずつ焼いて包まなければいけないので、二人分作るのが面倒で避けていたのだ。

卵がまだ半分トロトロのうちに、先に作っておいたチキンライスをのせ、「えいや!」とばかりに一気にくるむ。難しそうなイメージがあったが、やってみると案外すんなりできた。味はもちろんおいしい。

オムライスで力尽き、副菜は作らなかった。ごはん作りは毎日のことだから、無理して頑張っても続かないだろう。「一品でも作れたら上出来」くらいの気持ちでいる。

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野菜不足は翌日の昼食で補う。玄米ごはんとにんじんのぬか漬け、ほうれん草のおひたし。洗い物を増やしたくなくてタッパーのまま食べたが、それでいいと思っている。

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暑い日に、無性に食べたくなって作った冷やし中華。

たれ付きの麺は高かったので、たれなしの安い中華麺を買って、たれは自作した。酢・醤油・砂糖・ごま油を混ぜるだけで簡単にできる。簡単だが、手作りすることで自己肯定感が高まり、「丁寧な暮らし」をしている気分になれる。

チュルチュルの麺とフレッシュな野菜にたれの酸味が絡み合い、箸が止まらない。「そうそう、これが食べたかったんだよ~!」とばくばく食べた。大満足だ。

愛情込めたごはんで自分を労る

「誰かのため」じゃなく「自分のため」に料理をしたら、なんだかとても新鮮だった。

おいしければ嬉しいし、食べたあとは少し元気が出る。食べ物が身体を作っていることを、あらためて実感した。

人が「これを食べたい!」と感じるのは、身体がその食べ物に含まれる栄養素を欲しているから……という説を耳にしたことがある。私が無性にオムライスや冷やし中華が食べたくなったのも、卵やケチャップやお酢に含まれる栄養素を身体が欲していたからなのかもしれない。

スマホのカメラロールに作った料理が増えるたび、「よしよし、自分を大切にできてるぞ」と感じ、ニマニマしてしまう。

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そういえば山小屋で、ひと回り年下の後輩にこんなことを言われたことがある。

「サキさんはいつも人の世話ばっかりで、自分のことを後回しにしてるよね。もっと自分を労わってもいいと思う。」

そのときは「自分を労わる」というフレーズがピンとこなかったが、今回のことで少しわかった気がした。

私は夫やスタッフたちを喜ばせたくて、いつも「誰かのため」に料理をしていた。月並みな言い方だけれど、愛情を込めて。料理はそういうものだと思っていたのだ。

けれど、「自分のため」に愛情を込めたっていい。「誰かのため」に作るときと、同じ気持ちで。それがきっと、自分を労るということだ。

夫がいない一人の部屋で、今夜も私はごはんを作る。他の誰でもない、私自身のために。

吉玉サキ

ライター・エッセイスト。10年間北アルプスの山小屋で働いたのち、2018年からフリーライターに。札幌市出身・都内在住でイラストレーターの夫とふたり暮らし。著書に『山小屋ガールの癒されない日々』(平凡社)『方向音痴って、なおるんですか?』(交通新聞社)がある。

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