〇〇なときは映画に逃げろ!! ~第1回 夏をあきらめられないとき~ 後攻:屈強な黒人男性ちゃん「海の上のピアニスト(’98)」

2017/10/04 UPDATE

優しい嘘の世界で生きること

映画――それは人類が生み出した偉大なエンターテインメントであり、最も身近な芸術であり、そして、ままならない人生からのすばらしい逃避行である――
そんな映画の魅力を広~く深~く伝えるべく、ギークでナードな映画オタクの2人が今、立ち上がる!!
毎回ひとつのテーマに沿って、男性オタク・女性オタクそれぞれの視点から1作品ずつチョイスし、見どころを存分に語っていただきます。
今回のテーマは「夏をあきらめられないとき」。
ああ、何もしないままに今年も夏が終わってしまった......海にも行きたかった、フェスにも行きたかった、ひと夏の恋も、してみたかった......そんな後悔を、そのままにはしておいていいのでしょうか?今一度、夏をこの手に取り戻し、ひと花咲かせてみませんか?
第1回目の迎え撃つ後攻は、屈強な黒人男性ちゃんに、「海の上のピアニスト(98)」をご紹介いただきます。
この週末はしばし現実を忘れ、映画が織りなす豊かな別世界へと飛び込んでみてはいかがでしょうか!?
ひと味ちがう映画コラム、はじまります。

1 Who Am I ?

めっちゃホリディのウキウキな夏を希望していたはずだったのに、うだるような暑さに完全にやられております。
でも食欲は滅茶苦茶あります。いい加減にしろ私の身体。どうもはじめまして。屈強な黒人男性ちゃんと申します。
初っ端から名前の主張が激しくて大変申し訳ないです。悪気はあります。

この度素敵な企画にお誘い頂き、ずっとやってみたかった映画コラムというものを書かせて頂く事になりました。感謝感激雨嵐です。

ところでお前は誰だ?って感じですよね。わかります。はい、私はただの映画とオッサンをこよなく愛する、そろそろ切実に結婚したい、普通の女です。

黒人でも男性でもありません。メンタルは屈強です。
「友達がいない割には人生謳歌してるタイプの映画オタクの女」とでも思っておいて下さい!!
は~い!!!
さて、皆さんはどんな夏をお過ごしになられましたか?浴衣、花火、お祭り、肝試し…。様々ある夏のイベント、楽しみましたか?
えっ私ですか?勿論何もしていません。強いて言えばスイカバーを食べました。あと蚊にも刺されました。悲しいです。

え?あなたも?素晴らしい。実は、今回の記事のテーマは「夏を諦められない」、そんなあなたにおすすめの作品なのです!

残暑も段々と落ち着き、鈴虫の鳴き声が聞こえてくるこの時期にぴったりな、ほんのり切ないテーマですね。爽やか路線でいくか、しんみり路線でいくか、色々考えたのですが、私が毎年夏に見たくなる作品をチョイスさせて頂きました。

ついさっき馬鹿みたいにふざけ倒したばかりですが、選んだ作品は、Yeah~~!!って感じのテンションのものではありません。どちらかと言えば、風あざみを感じる作品です。井上陽水、好きなんですよね。

2 二度とやってこない楽しみ切れなかった今年の夏!でも、人生は一度きりだから美しい?

『海の上のピアニスト』 DVD ¥1,429 +税 ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
© 1999 Medusa Film. All rights reserved.
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私からは、『海の上のピアニスト(’98)』をご紹介します。
海の上のピアニスト(原題:La leggenda del pianista sull'oceano)1998/イタリア/125分
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
販売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント

「海の上のピアニスト」は何年経てど何十年経てど色褪せる事のない名作です!

遊び、恋愛、勉強、夏に置いてきた、やり残した何かを秋になった今、後悔していませんか?
ああ、やっておけば良かった、会っておけば良かった、気持ちを伝えれば良かった、各々夏に様々な名残惜しさがあるでしょう。でも、でもですよ?

「人生は一度きりで、一瞬で、だからこそ美しい」

そうとも言えませんか?
この映画は、まさに、そう思えるような、海の上で生きた男の人生を描いた二時間の物語です。

繊細な音楽、作品が纏う淡く神秘的な雰囲気。「戦場のピアニスト」とタイトルが似ている為、実話であると勘違いされがちですが、物語そのものはフィクションで、主人公である生涯を海の上で過ごした1900と呼ばれるピアニストは想像上のキャラクターです。

一方で、劇中に出てくるジェリー・ロール・モートンは実在したピアニストで、ジャズにおける最初の真の作曲家とも言われています。

つまり、作品の中で架空のピアニストと実在したピアニストが同じ世界線上で生き、言葉を交わしているのです。虚構なのに事実、フィクションなのにリアル、現実と非現実の境界線が曖昧だからこそ、作品全体がロマンチックな仕上がりになっています。

3 誰かがついた優しい嘘の中で生きることは幸せ?それとも不幸?

少し内容に踏み込んだことを書かせていただきます。
物語は一人の孤児の赤ん坊が客船のピアノの上に捨てられている場面から始まります。
可愛らしいその赤ん坊は、1900という名前を貰い、船員にまるで我が子のように可愛がられ育てられます。

船で育った彼が人生で出会う人々は勿論、船のお客さんと船員のみで、お客さんは誰もがじきに船を降りて行きます。一瞬の出会いです。悲しいような、人間関係の柵がないなんて羨ましいような……。

1900を心から愛し父親のかわりとなった男は、言葉の意味がわからず訪ねてくる幼い1900が、本当の意味を知り傷付くことがないように、「ママっていうのは足の速い馬のことなんだよ」「孤児院っていうのは大人が入れられる施設だ」と優しくも悲しい嘘をつきながら、彼を育てていきます。

それが、1900にとっては、その嘘こそが、真実なのであり、海の上に浮かぶ船が世界のすべてでした。

父親がわりとなった、優しくも不器用な男が1900に教えた言葉の意味を、1900は大人になっても信じ続けました。そんな1900を馬鹿にして笑う者は船の上にはいませんでした。
彼は船の外のことを様々なお客さんとの会話から学びます。

そんな彼の人生は、果たして幸せなものであったのだろうか?私はそのことをずっと考えています。

この映画の感想は、大きく二つにわかれます。
「彼が外界への一歩を踏み出せなかったことは残念だ」というものと「彼は彼の人生を最後まで一生懸命生きた。そのことは、決して間違っていない」というものです。

私はずっと前者の感想でした。
私がもし1900の親友であったなら、「頼むから」と泣いて引きずってでも船を降ろして、沢山の美しいものを見せて、聞かせて、お互いに感じあったことを話あったりしたいと願います。
そして、生涯を船の上で終わらせるのではなく、沢山の人に看取られ、愛され、惜しまれ、眠るように息を引き取って欲しいです。

けれども、時間がたつにつれて、「一歩踏み出す事は、彼にとっての正解であったのか?」と考えるようになりました。彼のことを思う人がついた優しい嘘で守られた船の上で暮らし、その中で充分に幸せを感じて生きている彼に、新しい世界を見せつけることは、私の身勝手な押し付けに過ぎないかもしれないですよね。

エンドロールが流れる最後の場面では、『彼の中の子供を抱きしめる』という字幕がスクリーンに映しだされます。1900は大人になってもまるで幼い少年のようでした。
きっとそんな純粋でありのまま、人の悪意に触れることなく生きてきた1900にとって、外の世界はあまりにも残酷すぎたかもしれません。
船で生まれ、船で育ち、そして船と共にその生涯を終える彼は幸せだった。今の私はそう信じています。信じたいです。

この作品を通して、監督が伝えたかったことはきっと「一瞬で、一度きりの人生なのだから、自分で生き方を選択し、自分の幸せの形を決めろ」ということなのではないでしょうか。

今はインターネットを通して、他人の生き方が必要以上に見えるようになってしまいました。自分の生き方と他人の生き方を比較できてしまうようになった時代だからこそ、ゆるぎない自分の人生、自分の幸せの形は、自分自身で形作り、居場所を決めることが必要なのだと思います。

読者の皆様が、生涯最後の日に「幸せだった、何も悔いはない」と、胸を張って言えることが出来るといいなと、願います。

では!また逢う日まで!

先攻の加藤さんにお返しします!
投稿者名

屈強な黒人男性ちゃん

屈強な黒人男性とオッサンと映画と音楽が好きな変人です。
Twitter:@999Aeromarine