1通目:「10年前に20歳だった私へ」sleepさん
~拝啓、ハタチのわたしへ~

2018/01/15 UPDATE

2016年夏に出版された初の詩集「好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。」は第10刷のロングセラーを記録し、Twitterでも17万人以上のフォロワーから熱い支持と共感を得ているsleepさん。
最大の魅力は彼女が紡ぎだす、私たちの心にいつも寄り添い、優しく、ときには力強く背中を押してくれる言葉の数々です。
sleepさんがハタチのご自身へ贈る手紙と、これからハタチを迎える皆さんへ贈る応援メッセージ。あたたかい言葉のプレゼントを、どうぞご覧ください。

枕元に置かれたふたつ折りの携帯電話のランプが暗闇のなか、何色にも光る。外側のサブウィンドウに差出人の名前が表示される。返信を打つあいだ、カチカチとキーを押す音が部屋に響いた。『Re:Re:Re:……』と続く件名。CDとMDの時代が終わり、電池がすぐ切れるくらいに消耗したiPod miniで、いつもスピッツを聴いていた。

たった十年前が、はるか昔のようで、けれどつい最近のような気もして。
二十歳の私はとにかくいつも不安だった。

拝啓

二十歳の私。お元気ですか。あれからちょうど十年がたちます。私は三十歳になりました。住んでいる場所も、よく乗る電車の路線も、着ている服も、好むテレビ番組も、定期的に読む雑誌も、好きな人も、今は何もかもが違います。好きな食べものは増えて、苦手なものは少し減りました。スピッツは今も聴いていますが、好きな人は“好きだった人”になりました。何度も読み返して保護していたメールがどんな内容だったのかも、最近ではぼんやりとしか思い出せなくなりました。


高校を卒業して制服を着なくなったころから、今日身にまとう服も将来も何もかも、自分の意志で決めていかなければならないという、漠然とした不安の中に立ち尽くしていましたね。
世間的には大人と呼ばれる年齢になったものの、まだまだ未熟で、けれど未熟なことをありのままに見せることもできないくらい未熟でした。
何でもできるような気がしていたけれど、実際は何にもできなかった。何をしたらいいのかもわからなかった。これから先、どんな道を辿ってどこへ行き着くのか、ビジョンが見えなかった。それが二十歳の私です。

選択肢がある自由。すべてが未定で、これからひとつひとつ選んで決めていく自由。あんなに服が好きだったはずなのに、いざ制服から自由になると何を着たらいいかわからなかった。決められた規則のなかで生きる十代から巣立って、突然の自由のなかに放り込まれたから私、不安だったんだなと今ならわかる。自由はいつだって責任と隣り合わせなんだって、少しずつわかり始めたころでしたね。

さて。あなたが一番気になっているであろう、好きな人についてお話しますね。
結果から言うと、好きな人は“好きだった人”になりました。でも、今も嫌いになったわけではありません。嫌いではないけれど、もう自分のこの先の人生を共に過ごす人ではなくなりました。二十歳のあなたは好きな人と結ばれることはないだろうと薄々感じつつも、近づくことも諦めることもできなくて、ふたりがどうなっていくのか毎日不安でしたね。好きだった彼を忘れる方法があれば教えてほしいと願っているかもしれません。

残念ながら、彼を忘れる方法はないと思っています。徐々に思い出す回数が減っていくことはあるけれど、忘れたいと願っているうちに忘れられるようなことなんてなかったし、忘れられるような恋ならとっくに忘れていたと思います。ただ、そう言い切ることができる恋なのですから、燻っていようが結果がどうあろうが、思いを貫いてよかったなぁと思っています。
好きな人は“好きだった人”になり、そして今の私にとっては“大切な人”として、今も面影は心の奥に残っています。

大切な人を記憶から消し去ることなんて、できない。
少しだけ近づいた朝焼けの空を、切なくて泣いたような夜を、会いたくて会いたくてたまらなかった気持ちを、なかったことにはできない。

今の私は、大切な人を完全には忘れられなくても少しずつ前に進んでいくことはできる。忘れずに、大切に抱えながら視野を広げていくことはできる、と思っています。

人を愛することも大切だけれど、それと同じくらい、自分を愛する努力をすることも、前に進む力になります。
自分を愛するためには、どんなことができるでしょうか?たとえば、自分との小さな約束事をひとつずつ守っていく。嫌いなものを拒絶する勇気が出ないのなら、少しだけ距離を置いてみる。なるべくたくさんの逃げ道をつくる。お腹が空いたら好きなものを食べる。疲れたら休む。寂しくなったら誰かに会いにいく。
そんな風に、自分を大切にする勇気を知ってから、道が拓けた気がしています。

忘れられない人のことは、無理して忘れなくても大丈夫。その苦しさだけを少しずつ、取り除いていく方へ歩みを進めていく。
そのうちに、忘れている時間が一日一日と増えていくことに気がつきます。でもそれは、悲しいことじゃないんです。どんな経験も、どんな失敗も、直接は今に繋がっているように見えないことも、地中に根を伸ばすように地盤を固め、自分という木の幹を支える礎になる。だからひとつも、無駄なことなんてないんです。

そう思うと、なくしてしまったように思うことも、遠く離れてしまった人のことも、今の自分を形作る上で必要だったと思えませんか。

iPod miniはiPhoneになりましたが、あれから十年たった今もスピッツは、変わらない声で歌っています。携帯電話は折りたたむ必要がなくなり、タッチパネルになりました。プライベートでメールを使う人はかなり減って、『Re:Re:Re:……』が分からない人もいるくらいだと思います。2018年という文字列は近未来っぽいけれど、そこまでは変わっていません。車は空を飛ばずに相変わらず首都高を走っているし、バックトゥーザフューチャーのようにデロリアンで過去に行くこともできなければ、ドラえもんもまだいません。

けれど、私は元気にすごしています。二十歳の頃よりもむしろ今の方が元気なくらいです。シミは増えちゃったし、加齢に抗えない部分はあるけれど、毎日よく笑っています。
昔好きだった彼ではないけれど、大切な人にも守りたい人にも出逢うことができて、幸せと同時に身が引き締まる思いを抱くこともあります。
たぶん私が今こうして笑えるのは、二十代を自分なりに精一杯すごしてきたからかなぁと思います。
だから、どうもありがとう。

そんなに不安に思わなくてもいいよってことが伝えたくて、今回手紙にしてみましたが、過去のあなたにはどうやっても届かない。でもそれでよかったと思います。先のわからない不安にこそ、無限の選択肢があると今は思うから。

十年後、四十歳の私が元気でいられるように、三十代も頑張っていこうと思います。
二十歳のあなたも、どうか元気でいてね。
敬具
2018年1月吉日

sleepさんから新成人を迎える皆さんへ

新成人のみなさん、この度はご成人おめでとうございます。
何かが大きく変わったような、けれど全然変わっていないような、不思議な心地のなかにいるのではないでしょうか。
二十代は思春期と同じくらい、色んなことを見つける時だと思っています。人との距離感や付き合い方、自分との向き合い方。お金や時間の使い方。失敗しながら、自分なりの答えを見つけて、どうにもならないことに折り合いをつけていく。
私は大人って、ある日を境になるのではなく、グラデーションのように徐々に、進んだり戻ったりしながら、気づいたらもう子供ではなくなっているというような、そんな曖昧なものだと思っています。
大人だからと言って、ひとえに成熟しているとは限りません。色んな人がいるように、色んな大人がいます。
責任は増えるけれど、子供のころよりはるかに自由で、たくさんの選択肢があって、私自身は楽しいです。良い大人になれているかはわからないけれど、二十歳のころより少しだけ優しくなれていたらいいな。

焦らずゆっくり、ときどき回り道しながら、自分を大切にして進んでくださいね。

sleep(すりーぷ)

sleep(すりーぷ)

2012年から始めたTwitterで、切ない恋や、かけがえのない一瞬の気持ちをとらえたツイートが女性を中心に話題を集め、フォロワー数は17万人を超える。
著書に『好きで好きで、どうしようもない恋は、いつもどうにもならなくて。』『運命みたいな偶然に、あと何度めぐり逢えるだろう。』がある。

Twitter:@sleep1111
書籍:「運命みたいな偶然に、あと何度めぐり逢えるだろう。」 (KADOKAWA)

Okiku

Okiku

今回モデルとして登場していただいたのは、今年まさに成人を迎えたOkikuさん。
大人っぽい仕草とあどけなさの残る笑顔のギャップが印象的でした。
どうか幸多き未来を。おめでとうございます!

Instagram:oooooookiku

写真/mao nakazawa