家族、あこがれ vol.2「戦う男が守るもの」

2017/01/25 UPDATE

みなさん、楽しく働けていますか?働く理由は人それぞれですが、家族のために毎日頑張って働いている人も多いはず。今回はライターの佐々木ののかさんが会社員時代に聞いた、家族のために働いている先輩のお話です。

大人はみんな、自分の夢や自己実現のために楽しみながら働くのだと信じてやまなかった。なのに、このザマかよ。

千代田線始発の綾瀬駅のホームで、6時11分の電車を待ちながら、わたしは何もない宙の1点を見つめていた。周りの大人たちもそうだ。明らかに定員オーバーの箱にすし詰めにされるのを待つ人たちの目は文字通り、死んだ魚のそれだった。

息を止めて電車に乗り込む瞬間から、エゴがぶつかり合って、あぁ今日も1日戦いが始まるなと思う。身動きのとれぬまま、周りの人の顔を仰ぎ見てみたら、物憂げな表情をして呼吸しづらそうに上を見ていた。

一人ひとりの頭の中に「今日のプレゼン」とか、「まだ発覚していないミス」とか、「職場の上司のいびり」とかがあるのかなと思い始めたら、車内の人混み自体が「鬱」という文字に見えてきて、わたしは思考を遮断する。

みんな、何のために働いてるの?

無言の大衆に無言で問いかける。

仕事、楽しくないの?

職場に着いてもそんな状況は大概で、楽しそうな人は本当に少なかった。確かに浮足立って仕事しているほうがおかしいのだが、だいたいの人が「辛い」と零す。

仕事を終えて飲み屋に来ても、スーツを着た知らない大人たちが、上司やクライアントの愚痴を酒の肴にして飲んでいて、気分が悪くなったわたしは、ハイボールを1杯煽って早々に店を出てしまった。

“ゆとり”はやる気がないとか、モチベーション高く働けって言うなら、嘘でもいいから楽しそうに振る舞えよ、大人の義務だろ、と“大人”のわたしは思った。

仕事楽しいよ、って言ってほしかった。あと40年近くもこんな思いをしながら働くなんて気詰まり以外の何物でもないじゃないか。


そんな思いで、いつものように消化試合モード、クサクサしながら仕事をしていると、上司がお昼に誘ってくれた。わたしよりだいぶキャリアが長くて優しい先輩だったけど、すごく楽しそうに仕事しているタイプの人じゃなかった。

愛想が良いのか悪いのかわからない店主がいる老舗の喫茶店で、舌がビリビリするくらい味の濃い焼き肉定食を食べながら、先輩が「仕事やめたい」と呟き始める。また言ってるよ、と思う。これは彼の口癖だった。

「疲れちゃいますよね」と適当に合わせていたが、どうやら転職活動もしているらしく、受かった会社の名前を2、3挙げて「でもなぁ、収入がなぁ」と煙草をふかすなどした。


わたしは何だか唐突に腹が立って来た。

辞めたいなら辞めればいいのに。
楽しくないって言いながらダラダラ続けないでよ。

だるそうに煙草を吸っている先輩に10数年後の自分が重なって、嫌悪感が食道のあたりをチクチクとさせた。

頼むから楽しそうにしてくれよ、輝いていてくれよ、先輩たちが希望なんだよ、頼むよ。

「どうして続けてるんですか?」

つい、口をついた。一度堰を切ったら、止まらない。

「どうして仕事続けてるんですか? 楽しくもないし、辛いのに。収入少しくらい下がったって、居心地良いほうが良くないですか? それともどこの会社も仕事って辛いだけのものなんですか? 世の中の社会人ってみんなそう思ってるってことですか? 十年ちかく仕事を続けた先に何が見えるんですか? どんな良いことがあるんですか? 失礼なこと言ってることは自覚していますが、教えてください。知りたいんです!」

言いながら、あぁまたこんなこと言ったら嫌われてしまうなと思った。止まらない言葉を自分の耳で受け止めながら、同時進行で後悔している気持ちの悪い感覚に眩暈がする。

言葉を吐き切って、即座に先輩の顔を見ると、先輩は何だか考えこんでいるようだった。沈黙が、怖い。

「あの、すみませんでした……わたし、ただ、将来が不安で……」

謝りかけたとき、先輩が口を開く。

「家族がいるからかな」

「え?」

わたしは聞き返す。

「家族がいるから頑張れているんだろうな。だってさ、奥さんがいて、その人との子どもができて、その子どもが大きくなって孫が生まれたら、それってすごく楽しくない?」

今までに見たことのない顔をしている先輩がいた。イキイキとしていた。対して、わたしの顔からはみるみるうちに血の気が引いていく。

だって、それだけ?

「わからないです。家庭を守るだけのために日々の嫌なこと全部引き受けて40年も生きていけるってことですか? わからない。わたし、全然わからないです」

目と手に力を込めたまま詰め寄るわたしに、優しい顔をしたまま、先輩が言う。

「“だけ”じゃないんだよ、佐々木。まぁでもお前、まだ若いからな。そのうちわかるよ。いや~、午後からも頑張るか。おい、早くコーヒー飲めよ。会社戻るぞ」

そうやってすぐ「若いから」で片づけちゃうんだもんな、と、わたしは鼻息荒く、冷えきったコーヒーを飲み干した。苦みが増していた。

先輩の後にレジに並ぶと、「もう会計済んでますよ」と言われた。珍しいことしてくれたな、と思った。


わたしはあのとき、先輩の言うことが全然理解できなかった。だって家族と言ったって、他人のことじゃないか。他人のために自分の人生を棒に振るような真似がどうしてできるのか、と本気で思っていた。

だけど、それは人生を棒に振るわけでも、自己犠牲でもないのだと、今なら少しわかる気がする。

好きな仕事を好きなだけさせてもらって、好きな人たちと会って、好きなときに寝て起きて、好きなものを買って食べて着て、好きなようにする。

わたしは自分のためだけに生きる、「理想」の生活を手に入れられている。だけど、元々生活コストもかからないし、わたし1人を幸せにするくらい全力に対して3割くらいの力で十分だ。けど、他にすることもないから全力で仕事に打ち込む。お金はいただける、クライアントに喜んでもらえる。だけど、何だかどこか、空しい。

何のために働いているの?

かつての問いが違う形で顔を出す。

――守るものが欲しいな。

午前11時すぎ、ラッシュ時間が終わったスッカスカの電車に乗りながら、そんなことを考えた。家族がいる人が、羨ましい。

投稿者名

佐々木ののか

1990年北海道生まれのライター・文筆家。
新卒で入社したメーカーを1年で退職し、現在に至る。自分の経験をベースにした共感性の高いエッセイを書くのが得意。
Twitter:https://twitter.com/sasakinonoka note:https://note.mu/sasakinonoka