4通目:「大丈夫。今、押しつぶされそうな不安は未来には存在しない」佐野 恭平さん ~拝啓、ハタチのわたしへ~

2018/02/15 UPDATE

ご自身もファッションモデルとして活躍された経歴を持ち、現在は若者を中心に月間300万PVを獲得する人気メディア「MTRL(マテリアル)」の編集長かつ株式会社MTRLの代表取締役を務める、佐野 恭平さん。
佐野さんの青年時代は、華やかなルックスとポジティブなイメージとは裏腹に、知られざる苦悩に苛まれ続けたものでもありました。
佐野さんがこのエッセイや、MTRLの運営を通して今の若者へ発信しているメッセージは、当時のご自身に差し伸べたかった、救いの手でもあるのです。

「拝啓、ハタチのわたしへ−−―」過去の自分へ手紙を書く企画をいただいたものの、なかなか気が進まなかった。半ば逃避するように始めた時間旅行は、自傷行為そのもので。きっと期待されているであろうキラキラした方向性で構成することもできたかもしれない。けれど、それは本来の自分自身とはあまりにかけ離れていて、手紙を受け取るべき当の本人が存在しないと思った。今回、こうして手紙を書くことで、当時の僕と同じように自分自身のことがわからなくて自分を好きになれない人が、少しでも自分自身を理解するキッカケになればいいなと思った。

僕をつくり上げてきた失敗体験

小学生のころから高校時代まで、僕をつくり上げてきたのは「失敗体験」の数々だった。それは、これといった出来事ではなく、時間や空間、季節、あるいは状況など、そういう様々な条件下での体調の悪化のことだ。体調が悪くなったら、そのとき揃っていた条件すべてに“×”をつけて、行動の選択肢から消していくような感じ。何をするにも、“体調が悪くならないであろう方”というのが僕の選択基準だった。今でも説明することが難しいのだけど、慢性的な体調不良と息苦しさが幼少期から常につきまとっていた。中学時代にもなると、みんなが“当たり前”にできることが自分には難しいことを悟って、もしかしたら僕は普通ではないのかもしれないという悩みが尽きなかったのを覚えている。

たとえば、誰かと一緒の食事や買い物のレジを待つ行列、満員電車やデパートのトイレがないフロアにあるカフェや、親しくない人との長時間の密室。そういう逃げ場のない空間やイベントごとがことごとくダメで、弱っている自分を見られるのが嫌で、そんなときの人の目さえも怖かった。そして、そういう場面では必ず、発作が起きていた。

一度発作が起きてしまったら、その状況はもちろん、その日に食べたものや着ていた服までもがすべて「失敗体験」としてトラウマになる。努力して克服したいと思う気持ちよりも二度と同じ目に逢いたくないという恐怖心が先行し、自分で選択肢を潰していった結果、行動範囲はどんどん狭くなった。行けるお店も、食べられるものも、飲めるものも、着られる服も、限られたものだけになった。一方で、残った数少ない選択肢がお守りのように僕を安心させた。そんな調子なので、友達とも恋人とも深い関係を築くことは難しく、薄っぺらい関係性しか築けなかったのは今でも後悔してる。
じゃあ何ができたってわけではないのだけど。

高校時代、いよいよ教室に居続けることが困難になった。人と話したり、目を合わせたりするだけで吐き気を催し、過呼吸になる。原因は不明。もうお手上げだった。教室で授業を受けることさえも、自分の「失敗体験」に振り分けられてしまったら、何度も同じことが起きてしまうのではないか。そんなことになれば、当時はそのまま学校を辞めてしまうものだと思っていた。親にも伝えたし、それが原因で大喧嘩になったのを覚えている。

親も理解できなかったと思う。原因不明としか言いようのない体調不良の理由を、誰よりも自分が知りたかった。学校が嫌いなわけではなく、イジメに遭っているわけでもない。何度病院へ行っても異常なしと診断され、あげく「気分の問題では」と笑われてしまう。誰にも理解されなかった。世の中が生きづらいと感じた。当時の自分はあらゆる可能性を考え、一時は本気で呪いにかかっていると信じて、お祓いをしてくれる神社探しの旅に出たことさえもあったなあ(笑)。

大学時代も、世界は狭いまま。背に腹は替えられないので、苦手なことには挑戦しようとしなかった。二十歳を迎えたあの頃は未来が見えなくて、勇気もなかったから、行動の選択肢を自ら狭めては悲観していた。

自分の努力や気力がどんなにプラスに向こうとしていても制御できないリスクを常に抱えた日々のなかでは、未来=不安で暗いものという考えが頭を離れることがなく、ただただ不安に押しつぶされそうだった。

20代前半になってやっと、長年悩まされ続けていた原因不明の症状が「パニック障害」であると診断されたとき、すごく安心したことを覚えている。“知らない”ということは、いたずらに不安を煽り、思考を暗い方へと発展させる。度重なる倒れるほどの過呼吸は、何も知らない自分にとって、それほど長く生きられない身体なのではないかと思い悩むには十分なほどの大きな恐怖だったから。

そんな過去があるからこそ、未来に対して不安だらけだったあの頃の自分の影を見つけたら、きっとこんな言葉を選ぶだろう、と手紙を書いています。

拝啓、ハタチの僕へ

どうも、11年後の君です。


「未来は明るい」って、よく大人が言うけれど、今の自分のもろもろを考えて、そんな風には1mmも思えていないのを知っています。二十歳にはなったけれど、1年後の自分の姿さえもハッキリ見えないような今かと思います。


だけど、声を大にして、君自身だからこそ言えることがあります。


大丈夫。
未来は不安じゃないぞーーーー!ってこと。


あの頃の僕に、なにかひとつでも言えることがあったなら、この言葉を伝えてあげたいとずっと思っていました。当時、何も見えないなか手探りで求めていた言葉は、「大丈夫」のひと言だったから。そうでしょ?それさえ持っていれば、未来は本当に明るくなる。嘘じゃない。自分自身が自分自身を信じられるようになるから。


シンプルではあるけれど、この言葉だけあれば充分でしょ。


不安しかない未来から、不安が取り除かれたとき、次は未来に何を想像しますか?


それを考え始めたとき、改めて自分の人生がスタートするはず。


大丈夫、未来は不安なんかじゃないから。


敬具


2018年1月吉日


P.S.
5年後にはmixiはもう流行ってないから、今から日記を消しておくこと。


佐野恭平さんから、新成人を迎えた皆さんへ

新成人の皆さん、おめでとうございます。

いきなり暗い話になってしまいましたが、皆さんよりも少しだけ長く生きてきた経験を持つ者から偉そうに言わせてください。今抱いている不安や悩みは、もっと先の、未来の自分の姿を明確に想像することで、解決策を見出すことができるのではないかと思っています。

高校時代の僕が制御不能の体調不良に抵抗した唯一の策、それは「通学途中の長い上り坂を、足をつかずに自転車で上りきれたら、その日はいい一日になる」というような“自分流ジンクス”をたくさんつくったこと。失敗体験で埋め尽くされてきた自分の毎日に、小さいけれど「成功体験」を積み重ねることで抵抗しました。
今になってみると可愛いエピソードですが、自信を持つ上で、根拠のないポジティブ思考は、時に必要だと思います。

未来に希望は持てなかった僕だけれど、漠然とでも「なりたい自分像」はちゃんと持つようにしていました。そこに辿り着くためには、たとえ困難であっても戦わなければいけない場面がくることを覚悟していました。もし、それさえも想像していなかったら、きっと今の自分はなかったと思います。


今、僕は10代〜20代前半、つまり自分が苦しくてたまらなかったあの頃の世代に向けたメディアをつくっています。
本当の自分を隠したり、さまざまな可能性から逃げたりすることで謳歌できなかった学生時代。いわゆる「リア充」という状態は、みんながみんな経験できるものではないのかもしれないけれど、僕は今の仕事を通して、すべての人がリア充時代を体験できる世の中をつくりたいと考えています。


このくだらない夢を生きる理由にして、仲間と過ごす毎日が、僕は最高に幸せです。だからみんなも、未来はちゃんと自分の手の中にあると思っていて、間違いないんじゃないでしょうか?


大丈夫。新成人のみんなの未来に不安はない。


MTRL

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佐野恭平(さの きょうへい)

佐野恭平(さの きょうへい)

1986年8月22日生まれ。静岡県出身。

株式会社MTRL代表取締役
10代~20代をターゲットにしたメンズ向けWEBサイト『MTRL(マテリアル)』編集長。自身のモデル経験を生かし、2015年5月「学園カースト上位層向け」という独特の切り口でメンズファッションWEBマガジン『MTRL』をリリース。MTRLは、イケメンのモデルや大学ミスター、インフルエンサーなどミレニアム世代に向けハブとなる「人」を起用したコンテンツが話題となる唯一のWEBメディアとして成長中。

Twitter:@kyohei_sano