瞬間小説~秒で読むショートストーリー~

2018/04/02 UPDATE

第五回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞したSF界の超新星(スーパーノヴァ)、樋口恭介先生がおくるアイスム発の本格小説コーナー第2回目!
一瞬のSFワールドへのジャーニーを、是非楽しんでみてください!

残光

(1)

時空を形成する全てのスクリプト。僕らはそこに書かれており、自治区で生きるわたしと僕らの経験は、既にその中に書き尽くされている。
グロタンディーク自治区。わたしと僕らが住んでいる都市。1辺約2メートルからなる量子サーバー内の街。正式にはアレクサンドル・グロタンディーク特別記念行政自治区と名付けられている。
グロタンディーク自治区はグロタンディーク宇宙に基礎づけられており、そのためわたしと僕らの存在もまた、グロタンディーク宇宙に基礎づけられている。
「知ってる?この世界は数学でできてる」とわたしは言った。
「誰の言葉?」と僕は言った。
「知らないけど、自治区を作った人だって」
「ふうん、そうなの」
「うん、でさ、自治区の外に出たことはある?」
「ないよ」
「ないの。わたしも。でも一回くらいはさ、外、見てみたいなあ」
「そう?」
「ねえ、行ってみようよ。乗り気じゃない?」
「別にいいけど」と僕は言った。

そういうわけで、僕らは夏休みを使って自治区の外に出かけることにした。
二人で貯金を出し合って、フリーマーケットサイトで叩き売りされていた物理身体を購入した。
23世紀式の業務用身体は、型式自体は古かったけれど、ちょっとした外界探査に使うだけなら十分だった。
それはまだハードウェアに対する物理メンテナンスが必要だった頃の機体で、空中はもちろん、地底や海底探査にも耐えられ、ソフトウェアへの論理メンテナンスのみを前提とした最新の型式よりもむしろ、外界探査に際する利便性は高いように思えた。
わたしと僕らは意識を複製し、マスタ意識と複製意識間の同期設定を終えると、物理身体の論理パーティション上に複製意識をマウントした。
わたしと僕らは再起動する。数マイクロ秒のあいだ意識が途切れる。

わたしと僕、マスタと複製のマトリクス。そこに描かれた四つの並行意識が起動を開始し、眼前に新たなウィンドウが立ち上がる。
死活監視・性能監視ともに結果はオールグリーン。エラーはなし。
僕らは歩き始める。
物理倉庫を出ると光が射していた。眩しかった。
僕らは太陽を見た。自治区で見る太陽と同じだった。
光は熱を伴っていた。僕らはそれらの概念自体は知っていたけれど、それまでは数値でしか感じることはできなかったから、その感覚を初めてのことのように喜んだ。
僕らはプロペラを回し、空中に浮かび上がった。高度150メートルの地点で僕らは止まった。
地上を見下ろすと、廃墟の隙間から植物が育っているのが見えた。昆虫たちの群れが見えた。固い甲羅に覆われた、20メートルくらいの大きさのやつだ。羽が生えていて、彼らもまた空を飛ぶ。彼らはそうして宇宙を感じる。彼らは身体を持っている。
わたしと僕らはしばらくそうした景色を眺めていた。
「これ、みんな物理存在なんだ」
「そうだね」
「すごいね。いっぱいいるね。でも人はいないね」
「そうだね。人は」わたしはそう言って、それからは何も言わなかった。
人はいなかった。誰もいなかった。僕らは辺りを見回した。僕らはしばらくのあいだ、そうして人がどこにいるのか探していたけど、やがて諦めた。
僕らは黙っていた。プロペラが回る音を聞いていた。
ふいにわたしが口を開いて言った。
「ねえ、あのさ」とわたしは言った。「この宇宙は繰り返してるんだって」
「それは誰の言葉?」と僕は言った。
わたしは答えようとした。だけどわたしは答えることができなかった。
「帰ろっか」とわたしは言った。
僕らは地上に降りた。それから僕らは自治区に戻り、スクリプトが再生し続ける、わたしと僕らの日常へと帰っていった。
「ねえ、外さ、面白かった?」とわたしは言った。
「うん、面白かったよ」と僕は言った。
「そう」とわたしは言った。「それならよかった」
わたしも面白かった、とわたしは思った。

(2)

夏休みが終わり、学校が始まった。
僕らはある日の歴史の授業で、先生がこう話すのを聞いた。
「人類が滅亡したのは28世紀の末ごろだと言われています。突如発生した超新星爆発によって、この星の地上は焼き尽くされたのです」と先生は言った。「しかし、グロタンディーク自治区が置かれるサーバーは、海底深くに構築されていたので、わたしたちは生き残ることができました。このことは、わたしたち区民にとってはとても大事なことなので、忘れないようにしっかりと覚えておくようにしましょう」
先生が言うとおり、僕らはそのことをしっかりと覚えたが、僕らはやがて忘れてしまった。
僕らはそういう風にできていたのだ。

休日がやってきて、僕らは超新星爆発の映像を探し出し、わたしと僕らでそれを観た。
僕らの脳内でスクリプトが走り、白い光が再生された。細い線状の相対論的衝撃波が、無数の束になって地球に降り注いだ。
光速で走る、10の44乗ジュールの熱。それらの熱が、空を燃やし、地上をえぐり、海を蒸発させた。地球全体が燃え上がって赤く光り、太陽みたいに見えた。
「へえ」とわたしは言う。「超新星爆発ってさ、すごくきれいなんだね」
「うん」僕はうなずく。「きれいだよね。色んな光があってさ」
僕らは繰り返し、何度もその映像を見る。僕らは映像を観続ける。何度も繰り返される経験の中で、何度もそれを繰り返す。そしてそのたびに僕らは言う。
へえ、きれいだねと。

(3)

グロタンディーク自治区。時空を形成する全てのスクリプトは既に実行され、全ての事象はかつての今に生成されている。
自治区に与えられた時間は無限であって、自治区は無限にスクリプトを走らせている。
スクリプトは、わたしと僕らに無限の反復を経験させる。
わたしと僕らの存在は、既に過ぎ去ってしまった遠い未来の映像に、影のように付いて回る失われた記憶に過ぎず、僕はそれを知っており、わたしにそれを伝えることはない。わたしはそれを知っており、僕にそれを伝えることはない。
僕は知っている。過ぎ去った未来には既に存在せず、決定的な非存在の淡い残光の中に、おぼろげに存在している、亡霊のようなわたしを知っている。

僕はそれを知っている。
わたしはそれを知っている。
僕らはそれを知っている僕らを知っている。
それを知っていることがあらかじめ書かれていることを知っている。
それを知っていることがあらかじめ書かれた僕らが再生されていることを知っている。
僕らはそれを知らないふりをする。知らないふりをするように、僕らは書かれている。

それからも、再生される僕らは書かれた僕らを経験し続ける。
僕らは繰り返し経験し続ける。
「きれいな光」とわたしは言う。
「うん、すごくきれいな光」と僕は言う。
たとえそれが残光であったとしても。

残光。僕らの短い永遠。光源を失った後にも消え残っている光。命が除かれなお光を発する、ルミネセンスの現象。
ある回復不可能な過程の、おそらく欺瞞に満ちた不完全な記憶。
既に実行され失われた過去について、僕らがそれと気づかず見る夢。
あるいは、出自を失った僕らが、僕らであり続けるための、終わりのない証明。

反復する。早送りして巻き戻し、どこかの地点で再生する。わたしと僕らは繰り返し、何度もその映像を経験する。そのたびに何度も僕らは言う。へえ、きれいだねと。

「色んな光があってね」
「そう。色んな光があってさ」

投稿者名

樋口恭介

SF作家。『構造素子』で第五回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。
Twitter:https://twitter.com/rrr_kgknk 書籍:https://t.co/lSMktSP6Ju