A or Bどっちを選ぶ?私の愛する選択肢たち v.02 ぼっちでいるか無理してつるむか

2018/12/25 UPDATE

みなさまこんにちは。
外資IT企業勤務、30代独身、メンタルが弱いユカリと申します。

先日誕生日を迎え、また一つ歳を重ねました。人は平等に歳をとるので自分の年齢にコンプレックスなどは全くないので聞かれたら素直に答えるのですが20代後半からあまりに時が経つのが早すぎて自分の歳を口に出すたびに「え、もう私こんな歳なの!?」と本気で驚いたりします。
さて、今回も前回に引き続き私の人生におけるAかBかの選択について書いていきます。

「どちらを選んでも後悔しないこと、自分が選んだ選択を愛すること。」

大学進学の場面を書いた前回に続き、今回は大学生活に触れたいと思います。

サークルに入るか入らないか

就活ならともかく大学生活の中で私は何か重大な選択をしただろうかと考えるとさっそく筆が止まってしまいそうだったので、高校から大学の学部も学科も一緒だった親友に電話をして聞いてみた。

「私はどんな大学生だったっけ?」
「あんたサークルに入ってなかったよね。それを書いてほしい。私は2年に無理して入ったけど全然馴染めなくてつらかった。そういうので悩む人多いんじゃない?」

確かにそうだった。大学に入学したら新歓コンパに行ってサークルに入るというのが自然な流れになっていた気もするし、調べてみたら大学1年生の7割がサークルに入っているようなデータもある。
(https://karenavi.com/club-wariai#1)

しかし私はそもそも当時飲み会が嫌いで新歓コンパというものに絶対に行きたくなかったし、そうなると必然的にサークルそのものに触れ合う機会もなかった。私の大学入学当時はスーフリ世代の少し後で東京は怖い、サークルは怖いと強い防衛本能が働いていたという部分もある。
それに私は1人でいることが苦ではなかった。気が合わないノリが合わない人と無理矢理友達のフリをして一緒に居るんだったら1人でいたほうが遥かに気が楽だった。

入学してしばらく経っても依然として1人でいることが多かったがさすがに1回くらいはと初めて参加したのはクラスの飲み会だった。
参加人数は15人程度、地方からの上京・一人暮らし組と実家が東京組が半々くらいだったかと思う。感想を一言でいうと、最悪だった。上京組は弾けて騒ぐし、東京に住む男子も派手なサークルに入ったばかりでしきりに勧誘してくるし、ただの貧乏な学生だった私は飲み会代の3,000円がとにかくもったいなくて、行ったことを心から後悔した。
そこから本当に、全く飲み会に参加しなくなった。

住む世界が違う友達

クラスに1人、全くお酒が飲めない女子がいた。私が一度だけ参加した例の飲み会でも彼女は当然ジュースを飲んで帰っていった。「あの飲み会、酷かったよね」と話が弾み、いつの間にか仲良くなっていた。
彼女の実家は横浜で、父親は中規模の会社の社長だと聞いた。テニスサークルに入っていて、そこで出会った同級生と付き合っていた。
こう書くと何もかもキラキラしているが彼女自身はとても素朴で派手さもなく、一緒にいることがとても心地よかった。
私は彼女を通じて少しずつ「キラキラした大学生活」と「それができない自分」とのギャップを埋めていったのかもしれない。そのクラスは入学から2年間続けて同じメンバーなので、彼女以外ともだんだんと仲良くなっていった。
そして2年生の夏、クラスの別の女子の親が持つ別荘が軽井沢にあるのでみんなで泊まりに行くという予定についに参加してみることにした。

結構な覚悟で参加して驚いた。入学当初からは信じられないほど落ち着いていて誰も騒がないし、そうなるとちゃんと皆と話せて、男子も女子もとにかくいい人ばかりで私は何て恵まれたクラスにいてそして自分で高い壁を作っていたんだと痛感した。

貧乏でぼっちだった私へ

つい先月、先述の高校からの親友と神奈川方面に行くことがあったので、ついでにキャンパスがあったJR横浜線淵野辺駅に10年以上ぶりに降り立ってみることにした。今は理工学部以外全員青山キャンパスにいるが、当時は全学部1~2年の生徒は相模原キャンパスに通っていた。

上京というにはあまりに肩透かしであるほど何にもない駅だと思っていたが改めて訪れると本当に静かで、暗くて、さびれた駅だった。私が住んでいたマンションにも足を伸ばした。大きな建物ではあるがマンションとは名ばかりで当時既に築20年が過ぎていて部屋もとんでもなく狭く、家賃は3万7,000円だった。部屋に洗濯機が置けないので1階の洗濯機と乾燥機が共用だった。当時は1階にピザ屋もあったので通路やベランダに大きなゴキブリが沢山出た。

私が生まれてから3歳くらいまで住んでいた家はほとんど長屋といった風情で、便所は汲み取り式だったし貧乏が当たり前だと思っていた。
住んでいたマンションを見るとあらゆる記憶が蘇り、涙が出てきた。
「何で泣いてるの!?」
一緒に居た親友の家庭は比較的裕福で彼女は当時家賃6万の新築のアパートに住んでいた。彼女はサークルに入ってクラスにもすんなり馴染めているように見えたのでその頃は寂しいと思っていた。
「何ていうか、あの時の私に伝えたいよ。30過ぎたあなたはもう貧乏じゃないし、結婚しようとしている人と一緒に住んでいて、とても幸せだよって」

その後仲良くなったクラスの友達は、バイトばかりで飲み会も2次会から参加したり旅行も行けない私を馬鹿にすることもなかったし、たまに参加すればとにかく温かく迎えてくれた。そして、別荘を持っていたり二十歳の誕生日にカルティエの時計を親からプレゼントされる世界があることを私に教えてくれた。
世界が違いすぎて嫉む気持ちもコンプレックスも全くなかった。私の「努力でどうにもならないことは嫉まない」という考えがこの頃すでに確立されていた。

全て「今思えば」というのが前提だが、どんなに経済格差があっても海外旅行に行けなくても人を妬まず、無理をして輪に入ろうとしなかったことがよかったんだと思う。無理をしていることは相手に伝わるし、無理をしている人間と接するのは疲れる。その頃の友達には今でも仲良くしてもらっている。

貧乏を脱するのはまだだいぶ時間がかかる。私が自分でカルティエの腕時計を買うのはここから10年も先だ。
その間の話は、また次回以降で。

投稿者名

ユカリ

30代独身。都内で外資IT企業に勤務。
ジョブホッパーでメンタルが弱い。
ツイッターではナンパ師、恋愛工学生、「結婚して初めて人は一人前になる
と思い込んでいる既婚者、
キラキラマウンティング港区女子とよく揉めている。 Twitter:https://twitter.com/rita_sia22 note:https://note.mu/an_giee27