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> アイスム スマイル文学賞 受賞作品発表 > アイスム スマイル文学賞 優秀賞:走れ、オレ。

アイスム スマイル文学賞

走れ、オレ。


作者 : 宮島英紀


「おさきに失礼しますッ」
警備室に声をかけ、撮影所の正門を走り抜けると、「ソーリ」というキンキン声に呼び止められた。オレの名字は安倍という。だから、スタッフの誰もがオレのことを「総理」と呼ぶのだ。
ふりむくと、脂肪のかたまりがころがるように走ってくる。衣裳部のウリ子だ。
「間に合って良かった~。ソーリ、悪いけどコレ、よろしくネ」
と、女子高生のプリーツスカートを突き出した。
「エキストラのぶん、ロケバスに積み忘れちゃったんだ~」
ウリ子は、あだ名の由来となった猪首をさらに縮めてエヘッと笑った。少しもかわいくない。でも、オレより5歳上の31歳にして、すでにバツサンという猛者である。
(自分で持ってくればいいじゃん)
とオレが言おうとするのを素早く察知し、
「明日は現地集合でしょ、朝早いんだもん。寝坊するかもしれないからさ。衣裳がないと助監督として困るでしょ、だからお願い」
ウリ子はスカートをオレに押しつけると、体型に似合わぬ俊敏さで、衣裳部へと走り去った。これから畳敷きの衣裳部屋で同僚と酒盛りするにちがいない。「寝坊するかも」ではなく、深酒して遅刻する気満々なのだ。
仕方ない。セカンド助監督にとって衣裳管理は務めのひとつ。積み忘れを見逃したオレにも責任がある。
とにかく、いまは急がねば。スカートをザックに積めこみ腕時計を見ると、午後10時30分になるところ。
(うわっ、平成が終わるまであと90分かよ)
オレは駅への道を駆け出した。撮影所周辺は交通の便が悪く夜はバスもない。通いなれた道とはいえ、駅まで3キロ余りを走るのは楽じゃない。なにしろこの映画がインしてから1週間、毎日2時間しか寝ていないのだ。
(でも、父親になったんだから頑張らなきゃ)
そう思ったら自然と口もとがゆるむ。暗い道をうすら笑いで走っていると、二つ折りケータイが鳴りだした。経済的事情から、オレはいまだに通話しかできないプランでFOMAを使用している。
「はいはい、もしもし・・・・・・」
「ちょっと、いまどこよ?」
妻からだ。正確にはまだ妻ではないが、今夜中に妻になる。
「主役がさ、控え室の方位が気に入らないってごねたから撮影が押しちゃったんだ」
「だから、いまどこだって聞いてるの」
「はい、駅に向かって走ってるところです」
形勢が不利だと妻に対しても丁寧語になってしまう。とたんに受話音量が倍増した。
「はあ?間に合わないでしょうに。おまけになんで走ってるの?タクシー呼びなよ」
「お金がもったいないかなあと思いまして」
すぐさまムチのような舌打ちが聞こえた。

他の受賞作

  • アイスム スマイル文学賞『ポルックスへの伝言』
  • アイスム スマイル文学賞『フュージョン』

「自分が言い出したんだからね、平成のあいだに婚姻届を出すって」
「はい」
「子どもが平成31年生まれだから、平成のうちに結婚しないとケジメがつかないって言ったよね」
たしかにオレはそう言った。妻はもともと声優志望だったが、オレと暮らすようになってからは、生活のために高齢者施設でヘルパーとして働くようになった。夜勤までこなしてくれたおかげで家計は助かったが、いつのまにかオレはそれに甘え、妻のいらだちばかりを引き出す男になってしまったのである。
だから、2月に女の子が生まれたとき、オレは猛烈に奮起したのだ。床上げまではすべての家事を引き受けると胸を叩いたし、もっと稼ぐとも約束した。新しいアパートを探すのも、結婚に反対する両親への説得も、ピンクのカーテンに掛けかえる件も、ゴキブリ退治も、みんなオレにまかせておけと。
「で、あなたは全部できてないじゃない。ついでに婚姻届も間に合わないってわけね」
電話の向こうで赤ん坊の泣き声がしはじめた。両親がケンカしてたんじゃ、夜泣きのひとつもしたくなるのだろう。
「もういいッ」
電話が一方的に切れた。さすがに走りながらの通話は息があがる。口で大きく呼吸すると、春の甘い夜気が体に浸みてゆく。
(明日は朝6時集合か。ほとんど寝られないなあ。婚姻届のために、無理して区役所の時間外窓口へ駆けこまなくてもいいか・・・・・・)
そんな考えが頭をよぎり、走る速度がゆるんだところで、またケータイが鳴りだした。
「もひもひソーリ、悪いけろさ~」
ウリ子だ。はやくもベロ酔いである。
「そのスカートにアイロンかけといてね~」
「わかってるよ。いちいち電話しなくても」
「あら~ご機嫌ななめでチュねえ。奥さんとケンカしたかな?」
とんでもない洞察力だ。ウリ子には、この素養を仕事に活かしてほしいものである。
「セットで照明待ちしてたとき、ソーリが婚姻届を平成のうちに出すって監督に喋ってるの聞いひゃったの。へへへ~なのにこんら時間になっひゃって。間に合いそうもないから『もういいわよ』って怒られたんれしょう?」
ウリ子のかん高い声が、いまほど耳障りだったことはない。オレは返事もしなかった。
「よくお聞きなひゃい。女が『もういい』と言ったら『絶対やって』って意味ですからね」
そうなのか?妻はオレに走れというつもりで電話を叩き切ったのか?
「バツサンの言葉を信じなひゃい。ソーリならできる。走れ、ソーリ。じゃバハハ~イ」
そうだ、まだ時間はある。平成最後の日に、あきらめたという歴史を刻みたくない。仕事で疲れていたけれど、オレがどれほどタイムリミットと闘い、あきらめずに走ったか、そのことを将来子どもに語って聞かせよう。
オレは両足に力をこめて、公団住宅の建物群や児童公園、駐車場を次々に駆け抜けた。大通りへ出れば駅はすぐそこ。路面への衝撃で足裏がジンジン痛む。それでもさらに速度をあげ、交差点をわたって駅舎へ。改札に駆けこむと、列車の入線音が聞こえてきた。止まるな。両足に言い聞かせるや、上りホームへの階段を二段飛びで駆けあがる。ホームではまさに列車が人々を吐き出し終わったところ。周囲の目も気にせず「乗りま~す」と、大声をあげながらドアへとジャンプ。乗ったと同時に背後でドアが閉まった。
極度の酸欠と筋肉疲労でボロぞうきんと化したオレは、シートへ頭からくずおれた。腕時計の針は午後11時5分。六駅先で乗り換えれば、区役所の目と鼻の先に到着する。
つまりあと30分もすれば婚姻届が出せるのだ。これで絶対大丈夫・・・・・・そう思ったオレが馬鹿だった。

他の受賞作

  • アイスム スマイル文学賞『ポルックスへの伝言』
  • アイスム スマイル文学賞『フュージョン』

深い闇、無音の深海から急浮上して爆発的に覚醒すると、車掌が七つめの駅をアナウンスしていた。一駅乗り越した!あわてて下車したものの、寝ぼけた頭は混乱するのみ。
(下りで戻るか?いや待て。区役所に隣接する大学の学生は、いつもこの駅から歩いているぞ。ならば望みはある。走ろう)
駅前広場へ飛び出し、周辺地図を掲げた表示板を探していると、
「こんばんは。どうかしましたか?」
と声をかけてきた者がいる。警官だ。大柄で、鼻がやけにとんがったイヌワシみたいな中年男。目がぜんぜん笑っていない。
いまのオレは警官にどう見えるだろう。ボサボサ髪に無精ヒゲ、くたびれた灰色のパーカーと黒いジーンズ。まるで変質者の標本だ。
「区役所に用事がありまして・・・・・・」
オレが答えると、警官が一歩近づき言った。
「こんな時間にか」
恐ッ。なんて圧力なんだ。オレは事情を説明し、婚姻届を見せようとザックをおろした。だが、あろうことかファスナーから、プリーツスカートの裾がはみ出ているではないか。
「交番で話を聞かせてもらおうか」
不審者狩りに成功した喜悦が、イヌワシの体全体にあふれている。誤解を解こうと台本をひっぱり出したが、赤い表紙に筆文字で印刷された『宿河原の女2』というタイトルが、怪しさをつのらせるばかり。警官は無線でどこかへ連絡までとりはじめた。
オレは台本のスタッフ欄にある衣裳部の外線を示し、問い合わせしてほしいと懇願した。警官は面倒くさそうにオレのケータイをつかむと、番号を押した。
(出てくれウリ子。できれば酔いをさまして)
電話がつながり、警官がスカートの件を問いただすと、受話口からキンキンした声が漏れてきた。ウリ子が出てくれたのだ。ウリ子がどう説明しているのか、内容はわからないが、みるみるうちに警官の相好が崩れてゆく。いったい、どんな秘技をもちいればこのイヌワシ警官を笑顔にできるのか。見事だよウリ子、ありがとうウリ子、バツサンに光あれ。
警官はケータイを閉じると、あっさりオレを放免した。区役所までの近道を教えてくれたばかりか、敬礼して「おめでとうございます」とまで言ってくれたのである。
(冗談じゃない。おかげで平成が終わるまで15分しか残っていないじゃないか)
オレは怒りを力に変えて商店街を突っ切り、人通りが絶えた住宅街を走り続けた。坂をのぼり、また坂をくだる。正面の高台に、大学の校舎がシルエットで見えはじめた。
だが、もう足があがらない。口の中もカラカラで心臓が破裂しそうだ。あと少し。あと一回だけ坂を登れば区役所だ。喘ぎながら細い道を曲がり、最後の坂へとさしかかったそのとき、目がくらむほどの光に包まれた。
(なんだ?オレはあの世へ召されたのか)
まるで昼間のような明るさのなか、男たちが蠢いている。続いてわき起こる重機の唸り。
工事だ。しかも全面通行止め。ここまで来て通れないとは・・・・・・平成終了まで残り3分、迂回路ではとうてい間に合わない。撮影所からの90分間が、走馬燈のように脳内を駆け巡る。ウリ子、スカート、公団住宅、改札口、イヌワシ、婚姻届・・・・・・みんなさようなら。オレの平成は絶望とともに終了するのだ。
そして、午前0時にケータイが鳴った。
「どう、間に合った?」
妻からだ。正確にはまだ妻じゃないけれど。
オレが返事をせずに黙っていると、妻はふんわりとこう語りかけてきた。
「この子ったら、あたしの指を握りながら眠って離さないのよ、口をムニュムニュさせて、夢を見てるみたいなの。あなたもはやく帰ってきなさいよ。かわいいわよ」
そうだ、家族のもとへはやく帰ろう。アパートがある隣町まではひとっ走りだ。
沈丁花が香る夜の街を、オレはこの日いちばんの速さで走りはじめた。

※この物語はフィクションです。

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  • アイスム スマイル文学賞『ポルックスへの伝言』
  • アイスム スマイル文学賞『フュージョン』

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