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Instagramのフォロワー27万人。人に語れる人生を送るため……最先端で活躍する植野有砂はいかにしてインフルエンサーになったのか?

2017/09/14 UPDATE

人気ファッションブランド「FIG&VIPER」のクリエイティブ・ディレクターであり、DJ、モデルも務める植野有砂。彼女はどのようにして影響力を持つ存在になったのか。その転機には高校転校が深く関わっていた……。

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

PROFILE

植野有砂(27)FIG&VIPER クリエイティブディレクター/DJ/モデル

  • 出身:東京都
  • 得意技:スケジュール管理
  • 好きな食べ物:炭水化物
  • 嫌いな食べ物:ピーマン、パクチー
  • 座右の銘:10年後に自伝を出すとしたら、今何をすべきか考えろ

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

Interview

―たくさんの肩書がありますが、一言で言うと何者ですか?

メインは「FIG&VIPER」というファッションブランドでクリエイティブディレクターとしてデザインをしているんですけど、同時にDJも本格的にしているので、人に説明をするときは「ファッションと音楽をしています」と言っています。最近はアーティスト活動もしていて、日本のフェスのテーマソングを歌ったり、海外アーティストとのフィーチャリング等も進んでいます。
他にも自分のSNSを使ったインフルエンサー業もしているので……、一言で言うとインフルエンサーなのかな。

―ファッションと音楽、それぞれの出会いは?

父が70年代ファンクやソウルが好きで、家にはレコードがばーっと並んでいて、父が趣味でやっているバンドのライブにも小さいころからよく聴きに行っていたので、音楽は自然と好きになっていました。ファッションは、18、19歳くらいのときに古着を着るようになってからです。高校2年生のときから雑誌に出るようになったのも大きいです。

―それまでは?

小学生のころは、みんなGAPのパーカを着ているから私も着たいっていう感じで、特にこだわり等はありませんでした。中学の頃はギャルに憧れていて、渋谷の「109」でとにかく洋服を買いたいという感じでした。

―ギャルはファッションの目覚めではない?

“マンバ”とかブランドの「ALBAROSA」とか、かっこいいなとは思っていたんですけど、なんていうか、ギャルがクラスで一番なんですよ。一番目立つし、イケてるグループみたいな。ファッションもですけど、そういうところも含めてギャルが良くて、それに憧れていたんです。

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

―高校2年生の時に転校したのはなぜ?

校則が厳しすぎたんです。中高一貫校で、大学までエスカレーターの学校だったんですけど、自由なことがまったくできなくて。学校に化粧して行っちゃいけないだけじゃなくて、眉毛も剃っちゃいけなかったんですよ。学校帰りのお店の立ち寄りも禁止で、先生が街を見回りしているくらい。

それで高校2年の夏に転校を決めたんですけど、そのときは気分がだいぶ下がりました。転校しなきゃそのまま当たり前に大学まで進学できたので「転校したらこれからの人生どうなるのかな」という不安がとてもありました。転校先はギャルがたくさんいる高校だったので、絶対にいじめられるとも思ってて。でも実際には全然ウェルカムでいじめられるようなことはなかったですけど。

―その転校が転機に?

そうですね。制服のルールは緩いし、髪も染められたし、それ以外になんでもできる学校で、どこまでも自由でした。この転校のタイミングで雑誌に出られるようになったんです。それに撮影現場はファッションに興味がある人が多いから、そこでいろんな刺激をもらって。転校して、好きなように自由にできなかったら今の自分はないですね。

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

―TwitterやInstagramで英語の発言が多いですが、英語を勉強し始めたきっかけは?

小学5年で始めてコンサートに行ったのがジャネット・ジャクソンで、それで「英語かっこいい!」と思ったのが一番大きなきっかけですね。家族でLAに旅行に行ったときも、すべてのショップのレシートを持ち帰るくらいアメリカにかぶれたんです。中学生の頃はみんながアイドルを追いかけているときに、私はブリトニー・スピアーズやヒラリー・ダフとかを追いかけていて、私だけプリクラの手帳が海外セレブだらけでした。

―アメリカにかぶれたのはなぜ?

ライフスタイルとかが自分の世界と違いすぎて、それを見るのがおもしろかったんだと思います。今だとInstagramでハイブランドばかり持っている人をフォローする感覚と一緒なのかな。自分がそうなりたいというよりは、こんな人いるんだ!みたいな。その人を見てお腹いっぱいになるような感覚だったのかなと思います。

―それで英語を喋りたいと?

喋れないという選択肢がないというか、喋れないなんてありえないと思っていたから、ですね。同じアジア人でも英語をすごく流暢に喋る人を目の当たりにしたときなどは悔しい、自分も絶対そうなるって思ったし、すごく勉強しました。

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

―これまでの人生で一番辛かった瞬間は?

高校を辞めるときですね。その当時は転校するまでの2ヶ月で6キロくらい痩せるほど思いつめていました。でも、今振り返るとそのときの悩みはちっぽけだったなと思います。結局転校先ではいじめられるなんて事もなかったし、むしろ目立っているグループにポンと入れましたし。転校したばかりのときはすごい控えめに「どうも~」みたいな感じだったんですけど、変顔する人はいい人っていう風潮が転校先の学校にはあって(笑)、そういう変顔とかくだらないことですぐに打ち解ける事ができました。それに大学もちゃんと入れましたから。

当時は激しく思いつめたけど、今考えると実際はそこまで大したことじゃなかったなって思えるので、だから今でも辛いことがあると2年後くらいには大したことないことになってるだろうって思えます。なので辛いことはそれ以降ないですね。

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

―これまでで一番幸せな瞬間は?

転校してから毎日幸せ~!と思っています。すごくポジティブなわけではないんですけど、根拠はないですが、自信があるんです。自分は絶対100%幸せになるって。最終的にそうなるから、その間に何が来ようと大丈夫でしょって思えます。

―したいことを仕事にするには何が必要?

私の場合は運がいいというのが一つ目にあります。あとは実現したいことを口に出すこと。ずっと何かをしたいと言っていると、自分の実力も関係しますが、誰かが助けてくれるんです。見てくれている人は見てくれているので。今まで口に出して叶っていないのは、香取慎吾さんに会うことだけ(笑)。あとは全部叶っています。それと、素直でいること。音楽もファッションも、その魅力は自由で勝ち負けがないことだけど、自分に素直でいることは何にも負けないと信じて戦っています。

PHOTO:西田周平PHOTO:西田周平

―これからの目標は?

昔は若いのにブランドでがんばっているという評価だったのが今は歳相応になって、同じ理由では評価されなくなりました。だから次をどうするかという葛藤はあります。結婚しても仕事を続けるタイプですが、表に出続けたいタイプでもない。だから裏方に回るタイミングも考えているけど、子どもができたらそれはそれで表に出るニーズがあると思うので……。結婚も出産も今のところ予定はないんですけどね(笑)。

でも、私の人生はすべて将来できるであろう子どものためにあると思っているんです。ちなみに子どもは絶対に娘が欲しくて、娘に「ママはね」って自分の人生を物語のように語れる人になりたいんです。ママは全部経験している、ママに聞けば全部わかるっていう存在になりたいから。20代前半のときに「FIG&VIPER」の師匠に「10年後に自伝を出すとしたら、今何をすべきか考えろ」と言われてから、そんな「自分の人生を物語のように語れる」ママになりたいと思って生きています。

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TOKYO GRAFFITI

街で見かける「普通の人」の「普通の日常」を写真で切り取る創刊12年目の雑誌「TOKYO GRAFFITI」。
若者、ちびっこ、お年寄りから、セクマイ、ギャルなど、登場するのは一般人ばかり。
まさに街にいる人々のいろんなリアルを写真で切り取るドキュメンタリー・メディアです。
URL:http://tokyograffiti.grfft.jp/
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