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瞬間小説~秒で読むショートストーリー~

2018/05/01 UPDATE

第五回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞したSF界の超新星(スーパーノヴァ)、樋口恭介先生がおくるアイスム発の本格小説コーナー!第3回目をお届けいたします!

千年椿

朝になると雨はやんでいた。五九年、九月二七日、ラジオのニュースが昨夜の雨の被害を伝えていた。「見つかってへんのもなあ、ほとんどあかんやろなあ」と誰かが言う声が聞こえた。少女は何も言わず、兄と二人で歩き始めた。
外へ出ると、少女の知った景色はなくなっていた。村を形成していたものの残骸が、そこら中に溜まった泥水の中に浮かんでいた。割れた瓦や折れた窓枠、破れた着物、粉砕された焼物、それから魚たち。
魚たちは泥の中に頭をつっこんで動かなかった。風が吹くと体が揺れて、ときどき白い腹が見えることがあった。黄色っぽい腹や、赤色に近い腹を見せているものもいた。川には流れがあり、そうした流れがときどき魚たちの口や目をこじ開けた。そのたびに目はぎょろぎょろと動き、口は何かを求めるように上下に動いた。少女たちはそれらの魚たちを拾って歩いた。
歩いていくたび、手の中の魚たちは増えていった。すぐに両手で抱えきれない量になった。少女は少しずつ、抱えた魚を足元の水の中に放していった。

太陽が出て、少女は汗をかいた。玉になった汗が落ち、足下の泥水を小さく鳴らした。
少女たちは穴の空いたトタン屋根の上に座った。兄は覚えたばかりの煙草をふかしていた。Tシャツで顔の汗をぬぐうと、汚れが広がって真っ黒になった。少女はそれを兄に伝えたが、兄はそれほど気にしていないようだった。
兄は煙草の煙を燻らせながら遠くを見つめていた。真似をして、少女も目を細めて遠くのほうを見つめてみると、舟に乗った人たちが、長い棒で水底の泥をかきわけているのが見えた。沈んだ家の屋根の上で、泣いている赤ん坊をあやす母親の姿が見えた。割れた橋の欄干に腰かけて、足を泥水に浸したまま動かない子どもが見えた。
少女はそのまま目を閉じた。耳をすますと、川の流れの向こうから誰かが誰かを呼ぶ声がした。声は一つだけではない。男の声も女の声も、大人の声も子どもの声もまざっていた。少女はそれらの声を聞いていた。少女はしばらくそうしていた。
兄が、短くなった煙草を川に向かって投げ入れて、そろそろ行くかと言った。少女は目を開けた。兄の捨てた煙草は、茶色い流れの中に巻き込まれてすぐに見えなくなった。

2

少女の生まれた村は川に囲まれていた。川は全部で三本あり、それぞれ長良川、揖斐川、木曽川という。全ての川には神様が住んでいる、とかつて少女の父親は言っていた。父によれば、魚が川で溺れることがないのは神様に守られているからだということだった。それは昔からそう信じられていることなのだから、正しいことなのだと父は言った。父はそれを信じていたし、少女たちもそれを信じていた。
魚は神の使いで、だからこの村ではそこら中に魚を祀った祠がある。それに加えて年に一度、魚を讃えた祭が催される。村の人々が川で溺れることがないのは、それらの祠と祭のおかげなのだと父は言った。それもまた、昔からそう信じられていることなのだから、それゆえに正しいことなのだ、と。

少し歩いていくと、水が一段と深くなった。近所の布団屋の看板がぷかぷかと浮いているのが見えた。呉服屋の旗も浮かんでいた。見覚えのある、時計屋の朱色の屋根の残骸も、そこら中に散らばって揺れていた。高台のほうでは人だかりができていた。周りに置かれた土嚢からは砂や石がこぼれていた。それらの砂や石を、ゆったりとした波が少しずつ、川の中に引きずりこんでゆくのが見えた。
大人たちが舟で漕ぎつけ、次々と高台に集まってきていた。少女たちもそこまで歩いていった。自衛隊員や救急隊員たちが忙しそうにしていた。彼らはすぐにどこかに行ってしまった。近所の人たちが、流木と毛布を使って即席の担架を作っていた。布団屋のおじさんが少女たちを見つけ、少女たちのいるところまで歩いてきた。布団屋のおじさんは泣いていた。
「あんたらの父ちゃんと母ちゃんなあ、残念やけど、二人とももうあかんよ」と布団屋のおじさんは言った。「家は沈んどってなあ、そんなかで見つかったんや。見つかったときにはもう手遅れやったよ。もうどうしようもなかったんや。一晩中水んなかに浸かっとってなあ、かわいそうやったなあ」と布団屋のおじさんは言った。

布団屋のおじさんは、少女たちを父と母のいるところまで連れていった。おじさんは、父と母の顔にかけられた布をとって、少女たちに両親の顔を見せてくれた。
少女は並べられた父と母の顔をのぞきこんだ。皮膚は黒く濁り、腫れていた。水を吸いこんで膨らんでしまったのだと、おじさんは少女たちに教えてくれた。動かなくなった父と母を見て、兄は泣いていた。少女も泣いていた。
父と母は多くの人たちに囲まれていた。釣具屋や呉服屋、焼物屋なんかの近所の人たちだった。彼らも少女たちと一緒になって泣いていた。だけど誰もそれ以上は何もすることはなかった。どれだけ泣いても父と母はもう動くことはなかった。自衛隊員や救急隊員たちはもう戻ってくることはなかった。やがて、近所の人たちも少しずついなくなっていった。あとには少女たちだけが残された。

3

高台で父と母が発見されたとき、少女は椿の蜜の味を思い出していた。
子どものころ、高台の奥には花畑があった。そこでは、春になると椿が咲いた。少女たちはよく、母に連れられて椿の咲く花畑の中を歩いた。
少女はときどき椿の花びらをもぎり、中に詰まった蜜を吸いながら歩いた。花びらは赤く、蜜は甘かった。蜜を吸うにはこつがあり、最初は花の根元に口を当てて吸った。そうすれば口に花粉がついてしまうことはなかった。根元から蜜が吸えなくなると、今度は花びらを二つに割り、中心にある黄色の窪みから蜜を吸い出した。花びらを割るのは難しかった。うまくやらないと蜜がこぼれてしまうのだ。少女と兄はよく蜜をこぼし、母はそれを見て笑った。それから母は新しい花びらをもぎり、蜜がこぼれないようにそれを割り、少女たちにそれを与えてくれるのだった。
風が吹くとたくさんの花びらが舞った。花びらは丸まって、くるくると風の中を転がっていった。雨のあとには、地面に落ちた花びらが滴に濡れ、光を反射して光っていた。それを見て、赤い、ビロードの絨毯を敷いたみたいだと、少女は思った。

4

布団屋のおじさんがいくつかの毛布を置いていってくれた。日が落ちると、少女たちはそれにくるまって眠った。

その日の夢の中で、少女は神様に出会った。神様は魚のかたちをしていた。魚のかたちをした神様は、「いなくなった人たちはみんな、ただいなくなったわけじゃなくて、草や木や花になったんだよ」と少女に言った。「ごらん」と、魚のかたちをした神様は言った。「そこに小さな新芽が出ているだろう。それは椿だよ。きっと、誰かが姿を変えたものに違いない。それはきみにとって大切な人かもしれないよ。だから、大切な人に接するように、その芽にも接してあげないといけないんだ」
少女は魚のかたちをした神様の言うことを信じた。
夢の中で、少女は椿の芽を大切に育てた。

5

わたしは、その物語をわたしの母から聞いた。
わたしの母は、その物語を母の母――わたしの祖母――から聞いたのだと言う。
わたしの母はその物語を、わたしが子どもだったころ、眠れない夜に聞かせてくれた。
母は次のように話を続けた。

少女が大人になったころ、同世代の友人たちはみな村から出ていった。少女は村にとどまり、村で出会った男と結婚し、子どもを生んだ。そのあいだ、少女は椿を育てていた。
子どもは育ち、大人になると村から出ていった。孫が生まれ、子どもは孫を連れて、ときどき村に帰ってきた。少女は孫たちと一緒に椿に水をあげた。孫たちが大人になり、家を出ていってしまうと、子どもたちはもう村には帰ってこなくなった。ちょうどそのころ、少女の夫が死んだ。そして、そのあいだも、少女は椿を育てることをやめなかった。

少女は生涯にわたり、大切な人に接するように、椿を育て続けた。
やがて少女は死んで、死んだ少女もまた別の木になった。
椿は育ち、少女だった木もまた育っていった。

少女が木になってから千年が経ち、やがて椿も少女も枯れてしまうと、少女たちはまた別の木に姿を変えた。
近くにいた少女たちは同じ木になって、それからの千年のあいだ、同じ花を咲かせ続けたのだと、この村では伝えられている。

母がそこまで話すころに、子どものころのわたしはもう、母の膝の中で眠ってしまっているのだった。

投稿者名

樋口恭介

SF作家。『構造素子』で第五回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。
Twitter:https://twitter.com/rrr_kgknk 書籍:https://t.co/lSMktSP6Ju

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