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サブカルバンドマン・ショウタの○○を笑うな!! 第10回「ぼっちを笑うな」

2018/08/30 UPDATE

サブカルバンドマン・ショウタさんが世の中の風潮にモノ申す「○○を笑うな!!」シリーズ第10回!

人間関係の中でどうしても浮いてしまい孤立する。友達ができない。集団行動が苦手。そんなひとりぼっちな人達のことを、近年「ぼっち」という略称で呼びます。
今回、そんな「ぼっち」な人達に向けて、ショウタさんが「ぼっちでもいいじゃないか!」と語って下さいました。「我こそはぼっちだ」と思う方は必見です。

ぼっちってそんなに辛いこと?

こんにちは、バンドマンのショウタです。
バンドマンという単語を聞いて、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべますか?「飲み会が大好きで、女性に人気で、業界人の友達もたくさんいる」と思われる方が多いのではないでしょうか。

確かにそういうタイプのバンドマンも大勢います。ですが僕はそうではなく、ライブが終わっても打ち上げなんか出ずにさっさと家に帰りますし、休日は基本的に家で寝てるか、ひとりで中野ブロードウェイに行って古い漫画や雑誌を探し歩いています。大変内向的なライフスタイルです。
友達も、バンドで知り合った人を抜きにしたらひとりかふたりくらいしかいません。そのふたりとも数ヶ月にいっぺんくらい会えばいい方です。
要するに、コミュニケーション能力に乏しく友達が少ない、いわゆる「ぼっち」です。

でも、そもそも皆さん、「ぼっち」ってそんなに辛いことなのでしょうか?
僕は明らかに「ぼっち」側の人間です。それでもそれを苦痛に感じたりすることはありません。むしろそちらの方がやりやすいくらいです。

学生の頃はそれが原因で悩んだこともあります。
10代のころは「なんで自分だけ周りの人とうまくやれないんだろう」と考え込んでばかりでした。
しかしいまにして思えば、それは“学校”という空間の持つ強制力のせいでした。学校とは集団生活を前提とした場所であり、不特定多数の他人とコミュニケーションを取り合わなければならない、同調圧力の支配する場なのです。

学校を出てからは孤独で悩む機会も減りました。
ひとりで古本屋を巡っても、ライブを観に行っても、ぼっち飯をしても、「あいつはなんでひとりなんだろう」と白い目で見る人はいません。人は意外と他人に関心がありません。
世の中とはなんてぼっちに寛容なんだろう!と思ったものです。

ぼっちをあざ笑うタイプの特徴

ですが、困ったことに学校外でも、何らかのコミュニティ内で多数派を作らなければ気が済まない人種が多々います。
彼らはぼっちにとても冷ややかな目を向けてきます。例えば前述のような話を披露した時など。

「自分の殻に閉じこもるなよ」
「もっと他人とコミュニケーションを取るべきだ」
「ひとりより大勢のほうが楽しいだろ」


そんな風に言ってくるのです。

では、なぜそういった人々が“他人とのコミュニケーション”を熱心に薦めてくるのか。さんざんそう言われてきた僕は考えてみました。

彼らは多数派に回ることによって生まれる恩恵をいままで散々受けてきたのです。
孤独でいることはリスクが高く、しかし仲間を作り集団で行動することでそのリスクが減少し、利益を得るチャンスが増え、生活のクオリティを上げることができる、と実感してきたのです。

大体こういう人は集団の中ではやたらと大きな声で喋っているものの、人数がひとり減り、ふたり減りしていくうちに声が小さくなってきます。
人数が全てであるため、人が減ると自信もなくなってくるのです。

彼らは基本的に気が小さく、集団からつまはじきにされることを何より恐れているので、集団でいることを正しいこととし、そこから孤立している者をあざ笑います。

そのため、人間関係を陣地取りゲームのように見立て、いかに自分の味方を増やし、領土を広げることができるかという点に非常に強くこだわります。
その方が心強く、安心できるのです。

悲しいことに、数が多いと強い

実際、ひとりで発言したら誰も聞く耳を持ってくれないようなことも、大勢で声を上げれば通りやすくなります。そして、世の中はこの法則に支配されています。

数が多ければ強いのです。

この法則によって、正しくないことが正しいこととして扱われることも多々あります。少数派をつまはじきにするいじめの構図に発展することも少なくありません。しかし、彼らはそれでも構いません。彼らが重要視しているのは、正しいか正しくないかではなく、自分がどれだけ強い立場にいられるか、利益をどれだけ得られるか、不利益をどれだけ被らないか、この点しかないからです。

万が一不測の事態が起こった時でも、数多くの“味方”が援護射撃をしてくれるため、自分に降りかかるダメージを軽減できます。
彼らにとって、リスクを分散してパワーを強化できる“仲間”は多いに越したことはなく、わざわざ孤独を選ぶ「ぼっち」は、愚の骨頂なのです。

穿った見方をし過ぎだ、と言われるかもしれません。
しかし僕はそのような多数の有利、少数の不利を、うんざりするくらい見てきました。
そして「ぼっち」として数々の不利益を被ってきました。

集団に混ざるのをやめたら人間関係がよくなった

人間関係が織りなすコミュニティに属し、周りと同調しなければならないという風潮。僕はそれに嫌気が差しました。僕にとって集団は自分をパワーアップさせるものではなく、単に居心地の悪いものでしかなかったのです。だからそれに気づいて以降、できるだけそういった場所から距離を取っていました。

しかし面白いことに、集団に属することを放棄し、ひとりで行きたいところへ行き、やりたいことをしていると、さまざまな人との関わりが出来、お世話になることが増えました。

いまではこんな僕も、ある種のコミュニティに所属していると言える状況にあります。周りとの適切な距離感が保たれた、居心地の良い人間関係をそれなりに満喫しています。学校生活の中でどうにか集団に属そうとして空回りしていたころからは考えられない状況です。

学校生活におけるコミュニティと、いまの自分の周りにあるコミュニティは、いったい何が違うのか。
それは多数であることを前提としているか、そうではないか、ということです。
僕含め、いま自分の周りにいる人たちは概ね、多数派としての感覚を持っていません。あくまで皆「ぼっち」です。「ぼっち」同士が一対一の人間関係を築き、それが結果的に人の繋がり、コミュニティになっている、という仕組みなのです。

例えば僕は、仲の良いバンドと一緒にライブを行ったとしても、今日は早く帰ろうと思ったら打ち上げに出ずに帰ります。しかしそれによって人間関係がギクシャクしたりすることはありません。
打ち上げに出たい人は出ればいいし、帰りたい人は帰ればいい。「ぼっち」同士で繋がった結果、そこに妙な同調圧力が発生しないため、そのような行動も問題視されることはありません。
こういった関係は非常に気が楽です。

ここにたどり着くまでにはいくつかのステップがありました。まずはうまく馴染めない集団の輪に無理に加わろうとしないこと。そして、自分は「ぼっち」である、という事実を理解すること。
そういった現状を踏まえた上で、自分はどうするべきかということを考えひとりで行動し、結果いま周囲にいる人達との結びつきが生まれたのです。

だから、どんなに多くの人々と知り合い、様々な関係になったとしても、あくまで僕はぼっちとしての自分でありたいし、世のぼっちを支持したい。
そしてそういったぼっちを笑う、数の多さにあぐらをかいている多数派の人々には、徹底してアンチを唱えていきたいです。

ぼっちであることを受け止めよう

しかし、社会と向き合うとなると、そうも言っていられません。
人間生きていく上ではお金が必要ですし、お金を稼ぐためには働かなければならず、働くためには社会のコミュニティに所属しなければなりません。その社会のコミュニティは必ずと言っていいほど多数派の人たちを前提に成り立っています。

もちろん中には企業に属さず、ひとりで生活するだけのお金を稼ぐ能力を持っている人もいます。しかしそのような人は世の中のほんの一握りであり、そしてそれは会社勤めをするよりもよほど高度なコミュニケーション能力が必要とされるのです。

いつまでもぼっちを貫いていると、社会性というものがまるで身につきません。なので僕を含めた世の平凡な人々は、時として、生きていくためにぼっちである自分を捨てなければならないこともあるのです。

僕もサラリーマンとして日々を過ごしていますが、果たして本当に社会性というものが身についているのか、見当も付きません。むしろ欠落している方に入るのではないかと思うことも多々あります。

そんな僕が考える、先天的ぼっちが社会でうまくやる方法。

それは「諦めること」です。

我々は集団の中に溶け込むことができません。けれどその一方で「みんなと仲良くやりたい」という思いもあります。
その結果、できないことを無理にするものだから、空回りして上手くいかなかったり、自分自身に負担がかかったりと、つらい結末を迎えることになるのです。
そうではなく、もう最初からみんなとワイワイやるのを諦め、混ざれないものとして考える。その上で、適切な距離感を取りながら、失礼にならない程度にコミュニケーションを取っていく。それが我々のような者が社会で生きる上でもっとも良い方法なのではないでしょうか。

「諦める」と言うと聞こえが悪いかもしれませんが、自分は一体何ができるか、何ができないのかを理解することは、とても大事なことです。
人間には向き不向きがあります。逆さに振ってもできないことを無理にやろうとするよりは、できることを自分のやれる範囲でやっていくことの方が建設的ではないでしょうか。


ぼっちは悪いことではありません。ぼっちでなければ生きられない人もいるからです。だから、自分が根本的に集団とうまくやれないことを受け止めて、最低限どうにか社会性を保った上で、ひとりの人生を満喫する。そういう生き方もアリなんじゃないかと僕は強く思います。

世のぼっちの皆さん、どうにか日々を乗り越えていきましょう。

投稿者名

ショウタ

サラリーマンとバンドマンを兼任する昭和62年生まれ。インターネットと深夜ラジオによって思春期を完全に棒に振り、どうにもパッとしないまま現在に至る。親族の「子供の頃は明るかったのに」という言葉を無視するのが得意。
“日本語によるプログレッシブハードフォーク”を標榜するバンド「曇ヶ原」のバンマス。「怨恨プログレ」「怨念フォーク」とも呼ばれる。パートは歌とベース。
Twitter:https://twitter.com/show1987
曇ヶ原:https://twitter.com/kumorigahara

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