夏の匂いに誘われて。妹と分けた氷菓子の想い出

晴れでも雨でも食べるのだ。 #2

2020.06.11

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」第二回のテーマは「氷菓子」。奥村さんが「チュッチュ」と呼ぶあの懐かしいおやつ、みなさんはなんと呼んでいましたか?


夏がすぐそこまできている。スーパーの陳列棚に、「チュッチュ」が平積みされていた。

懐かしい……。

やわらかな光に満ちた記憶が脳をかすめ、童心をくすぐられる。気づいたときには、その棒状のジュースを買い物かごに入れていた。

チューペット、ポッキンアイス、チューチュー棒。地域によって呼び名は異なるようだが、凍らせたジュースの棒をまんなかでポキッと折って食べる氷菓子を、我が家では「チュッチュ」と呼んだ。

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子どもの頃、妹と分けるチュッチュは、夏休みを彩る重要アイテムだった。はんぶんこにするよろこびを、わたしはその素朴でひょろりと長い氷から学んだのだ。扇風機の風が舞う、ちいさな社宅の一室で。

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生粋のテレビっ子だったわたしたち姉妹にとって、夏休みの午後の楽しみは昼ドラ一択だった。

冷やし中華やそうめんを食べながら、『天までとどけ』や『大好き!五つ子』、『キッズ・ウォー』をみて、あれこれと感想を言いあう。主人公の性格がどうだとか、こんな展開ありえないとか、あの人がむかつくとか、あの子とあの子がくっついてほしいとか。姉妹ともども、歯に衣着せぬ物言いはこのときから健在だった。

ハートウォーミングな家族愛、手に汗握るけんかシーン、みているこちらのほうが赤面してしまう初々しい恋、涙を誘う子どもたちの健気なまなざし。

蒸し暑さと涼しさが同居する畳の部屋でテレビ画面を食い入るようにみつめながら、笑ったり泣いたり、愚痴を言ったり、妄想をふくらませたりと、わたしたちは好き放題にしゃべって騒ぐことができた。

窓のそとからはセミの声がきこえてくる。部屋のなかでは麦茶を飲むたびカランコロンと氷が鳴った。夏の匂いは、探しにいかずともいたるところに漂っていて、知らず知らずのうちにわたしたちのからだに染み込んでいた。

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「チュッチュ食べよ!何味にする?」

お昼ごはんを食べ終えると、わたしたちは駆け足で冷凍庫のもとへ向かった。扉を開いてひんやりとした冷気を浴びれば、たちまち「あ〜涼しい〜」と吐息が漏れる。

ぶどう味、りんご味、オレンジ味。冷気を放つ色とりどりのスティックは、昼ドラ並みにわたしたちの脳を刺激し、あっというまに心を奪った。窓から日差しが降り注げば、氷がきらりと反射する。

「ぶどうでいい?」

「うん!」

妹もわたしもお気に入りのぶどう味のスティックを、勢いよく「パキッ」と割る。その音はどこまでも透き通っていて、食べたくてうずうずするふたりの気持ちが弾けて飛び散る音にもきこえた。

割ったうちの片方を妹に渡す。いまにもつぶれてしまいそうな、ふにゃふにゃしたちいさな手と、薄いピンク色に染まったまんまるな頬、きらきらと光る瞳が目のまえにあった。

ガリッガリッガリッ。

プラスチックの容器のうえから一気にかぶりつく。乳歯のありったけの破壊力を駆使して氷を噛み砕くとき、わたしたちは夏を全力で走っていた。

あの音も食感も、あの瞬間の心の躍動も、共有できたのは世界にたったひとり、妹だけだ。

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ふにゃふにゃの手をしていた妹が、もう20代半ばに差しかかろうとしているという事実を、いまだに信じられないときがある。わたしにとって妹のイメージは、家でいっしょにおやつを食べていた頃のままなのに、もう社会人になって数年経つという。

彼女はあの頃と変わらず歯に衣着せぬ物言いで、いつだって本音で話す。よいところもわるいところもはっきりと指摘する。わたしも余計な気遣いがいらないから、妹にならなんでも話せる。妹からみたわたしもおそらく似たようなものだ。昔はよくけんかもしたが、大人になるにつれ、飾らない関係でいられる妹がいかにありがたい存在なのか、わかるようになってきた。

ふたりとも親元を離れて関東で暮らしていることもあってか連帯感が強く、わたしたちは暗黙の了解で助けあって生きている。親にはできない相談をしたり、体調をくずしたときに見舞いにいったり、夫とけんかをしたときに泊まりにいったり。

お互い食い意地が張っているのもあいかわらずだ。昨晩なにを食べたとか、新発売のコンビニスイーツがおいしかったとか微妙だったとか、最近ホタルイカのブームがきているだとか、いつ話しても食べものの話題は尽きない。

こうして助けあえるのも、食べものの話で盛り上がることができるのも、子どもの頃にチュッチュやお菓子をいつも分けて食べていたおかげなのではないか。あれがはじめて人と食べものを分けあった経験で、食べることを通して感情を分かちあうおもしろさを教えてくれた原点なのではないか。

都合のいい解釈かもしれないが、わたしは勝手にそうおもっている。

昨年の夏、妹といっしょに夜道を歩いたとき、彼女は「夏って、なんでこんなに懐かしい感じがするんだろうね」と言った。子どもの頃は長い夏休みがあったから、たくさんの思い出といっしょに匂いや感覚がずっとからだに残っているのかもしれないね。そんな話をしていたら、夏がますます好きになった。

わたしたちが子ども時代を過ごした六畳間では、ドラマのように奇抜な事件が起こるわけでも、胸を強くゆさぶる感動の瞬間が訪れるわけでもなかった。しかし不思議なことに、のどかで平和に満ちた夏の匂いは大人になっても心に深く根づいていて、いまではどんなにおおきな行事よりもミラクルな存在におもえてならない。

夏が訪れるたびに懐かしい気持ちになるのは、たぶんこの匂いのせいなのだ。

チュッチュをパキッとはんぶんに折り、3時のおやつとしてひとりで食べてみる。あの頃はもっと長くて貫禄のある氷だとおもっていたのに、ひさしぶりに手に持ってみると短くちいさく感じた。

先日妹から送られてきた「食べたいものリスト」を眺めながら、シャリシャリの氷を噛んで、じゅわっと染みだす果汁を吸った。

さて、なにを贈ろうか。

妹の豪快な食べっぷりを想像しつつ、妹にまた会える日を待ちわびつつ、わたしは都会のアパートのリビングで、一足早く夏の匂いに浸っている。

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奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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