わたしはメイプルジャムトーストから逃れられない

晴れでも雨でも食べるのだ。 #3

2020.07.10

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」第三回のテーマは「メイプルジャムトースト」です。「メイプルシロップ」ではなく「メイプルジャム」。そこにまつわる奥村さんの記憶は、どのようなものなのでしょう。


食べもののパワーを、ここぞとばかりに見せつけられるときがある。食べものに踊らされている!と悔しくなってしまうくらい、浮かない気分を吹き飛ばす味に出合ってしまったら、人はもう、逃げられない。

好きな食べものは?ときかれたら、「メイプルジャムを塗ったトースト!!」と即答していた時代がある。中学生の頃だ。

メイプルジャムトースト

当時のわたしは、おおげさでなく「朝ごはんを食べるため」に起床していた。

勉強も部活動もきらいなわけではないけれど、朝の支度はどうも気乗りしなかった。眠くてぼうっとしてだるいし、学校へ行かなければならないとおもうと気分がずんと沈んだ。

理不尽なことで怒る先生たちのこむずかしい表情や、綿菓子みたいにふわりと甘いように見せかけて実はピリ辛で残酷な友人たちとの人間関係、身の処し方に戸惑いさまよう自分の姿を想像するにつけ、学校に行くのを億劫に感じる日も多かった。

「杓子定規なルールからも、大人たちの身勝手さからも、思春期の複雑さからも、逃れられたらどんなにいいだろう」

「できることなら、布団の中でいつまでも寝ていたい」

それが、怠け者で小心者のわたしの本音だった。

でも、朝ごはんは、朝起きなければ食べられない。そんなあたりまえの事実が、わたしの心をごごごっと奮い立たせ、布団の外へと誘い出してくれた。一日でいちばんの楽しみといっても過言ではないくらい、わたしは朝ごはんに魅了されていたのだった。

日々の生活の希望となり、朝の食卓をさんさんと照らしてくれたのは、トーストがメインのなんの変哲もない朝ごはんだ。メイプルジャムをたっぷり塗ったトーストとカゴメの野菜ジュースのセットが基本。さらにお腹に入りそうな日には、目玉焼きやレタス、ミニトマトも母が用意してくれた。

とりわけ、メイプルジャムとの出合いは、朝の気怠い空気をがらりと変え、心にフレッシュな潤いをもたらした。メイプルシロップでなく、メイプルジャム。安かったからという理由で母がたまたま買ってきたこのジャムを、はじめて焼き立てのトーストに塗って食べたときの衝撃といったら! いまでも忘れられない。

メイプルジャム

ジャムが詰まった紙の容器のふたをあけると、バニラエッセンスやウイスキーのように深く甘くこうばしい香りが鼻腔をつーっと通り抜けて心地よかった。トーストを一口かじれば、とろりと溶けていくジャムのなめらかな口あたりと、パンのカリっとした食感との対比がたまらない。濃厚で刺激的なのにどこか朗らかで、甘露飴の洋風アレンジをおもわせるノスタルジックな甘みが、口の中に満ちていった。

幸福感がむくっとふくらみ、「はあ」とため息をつきたくなる。噛めば噛むほど全身の細胞がおいしいと叫びだすような興奮はあまりにも新鮮で、気づけばわたしは「メイプルジャム中毒」のようになってしまった。

それ以前のわたしは、朝は元気も食欲もなく、ご飯を一口か二口食べてあとは残してしまうという親泣かせなことを繰り返していたのだが、メイプルジャムトーストに出合ってからは、嬉々として朝ごはんを完食するようになった。

いつのまにか我が家にはメイプルジャムが何個も常備されるようになり、朝、食卓にいくと、鮮やかな紅色の葉で埋め尽くされたパッケージがお盆のうえでぴかっと光って見えた。

お盆のうえで光るパッケージ

パジャマ姿で眠い目をこすりながら、6枚切りの食パンを1枚とってトースターの網にのせる。わたしはパンの焼き加減には独自のこだわりがあったので、母に「自分でやって」と言われ、理想の焼き色になるように時間を調節して焼いた。

「もう少しで焼きあがる!」
待つあいだに、胸の温度も上昇していく。

こんがりと焦げたきつね色のトーストに、金色に輝くメイプルジャムを塗る。

ジャムを塗る

ぷるんとしたジャムをスプーンですくって伸ばし広げると透明になり、てらてらと光るトーストの表面は、みずうみの水面みたいに天井と蛍光灯を映し出した。

一口食べれば、脳天を貫くような甘さにたちまちうれしくなって、むふっと笑いだしそうになる。体にしつこくまとわりついてきた眠気も、登校前の憂鬱な気持ちも、トーストを食べただけでこんなにも軽くなるものかとおどろいた。

食べものって、すごい。わたし、食べるために生きているんだ。

中学生にして悟ってしまった。

「今日もおいしかった〜」

とびっきりの朝ごはんを食べおえたわたしは、上機嫌で学校へと向かうのだった。

こうしてメイプルジャムトーストの虜になり、押しつけがましくも友だちの誕生日にジャムをプレゼントするくらいには信仰したが、どんなに好きなものでも毎日食べ続ければ飽きがくる。自然と食べる頻度が減り、高校生になった頃には存在すらも忘れてしまった。

再び思い出したのは、大学生になってからだ。上京して喫茶店を訪れる機会が増え、パンケーキやホットケーキに添えられた「メイプルシロップ」を見かけるようになった。実はこの頃になってようやく、メイプルシロップのほうがメイプルジャムよりも圧倒的にメジャーであることを知る。

メイプルシロップ

しかし、メイプルシロップはメイプルジャムとは完全に別物だった。ジャム特有のねっとり感や、パンの表面にこんもりとのっかる感じ、ほんのりと甘い水飴の味が、メイプルシロップだとすっかり抜け落ちているのだ。これを世の中では「余計なものがなく洗練されている」と表現するのだろう。

純なシロップのほうが高級品で、味にコクがあるはずなのに、どうも物足りなかった。わたしにとってのメイプル味は、思春期に食べ続けたジャムの味なのだ。

在宅勤務をはじめてから、食パンを常備するようになった。根っからのズボラでめんどくさがりなわたしは、トーストを神様のごとく崇めている。3分焼くだけでカリッとこうばしい自分だけのパンができあがるなんて、魔法の食べものとしかおもえない。

クリームチーズにアボカドやベーコンを合わせればリッチな食事パンに、マーマレードジャムやピーナッツバターを塗ればいとも簡単に3時のおやつに。

あらゆる食材をなじませ、引き立て、どんな味にも見た目にもさらりと変身してしまうトーストは、私が「自分で自分の機嫌をとりたいとき」の救世主だ。

そのレパートリーに、メイプルジャムトーストを加えてみた。ときどき食べるとあの頃の新鮮な感動がよみがえる。心の中の頑なな部分がほろっと溶ける。体の芯がしゃんとする。そしてやはり、突き抜ける甘さで浮かない気分を吹き飛ばしてくれる。

何年たっても、わたしはメイプルジャムから逃れられないみたいだ。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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