嗚呼。いとし、懐かし、我らの女子会!

晴れでも雨でも食べるのだ。 #5

2020.09.07

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は「ぐうたら」が楽しい、「女子会」のお話です。


「女子会」という字面を目にすると、反射的に心が躍るのはなぜだろう。わたしは学生時代から、その尊い存在に生かされてきた。いくつになっても、女子会はゆかいだ。

8月の半ば、暑さで体がとけてしまいそうなある日。自身の誕生日が近いという理由で半休をとった妹が、とつぜんわが家にやってきた。見目うるわしいフォルムのモンブランに、薔薇の花のように可憐なベリーのケーキ。濃厚なのに粉雪の如くふわりと口のなかで舞うチーズケーキ……。有名店のケーキとお菓子を大量にたずさえて。

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TSUTAYAで借りたジブリ映画のDVDを観ながらケーキを大胆に頬ばる妹の姿は、「ぐうたら」ということばを見事に体現していた。あっぱれ。もはや爽快。どこまでもぐうたらで、どこまでもぜいたくな有給休暇だ。わたしは午前から昼過ぎにかけて仕事をして、夕方には妹のぐうたらに便乗した。

そんな一日を過ごして思い出したのは、学生時代に友人たちと開催していた「女子会」だ。洗練されたお洒落なカフェに行くわけでも、おめかしをしてホテルのビュッフェに行くわけでもない。だれかの家にお菓子やジャンクフードを持ち寄って、コンビニで買ってきた2リットルの麦茶やジュース、缶チューハイで乾杯する。ぐうたらを極めた宅飲み女子会だった━━

学生時代に同じクラスになったのは、個性的でおもしろい人ばかりだった。

基本的にしずかで深い思考にふけっているが、『風の谷のナウシカ』のキャラクター王蟲(オウム)のものまねを必殺技としている友人。家事が好きで金継ぎなどをしながら「丁寧な暮らし」を追求する一方、カラオケでは圧巻の声量でシャウトする友人。審美眼が鋭く絵が上手で、美術やアニメ、ゲームに没頭しながら小鳥と暮らしている友人……。ひとりの時間や趣味を大切にしている人が多かった。

独自の価値観や世界観、好きなものをとことん守って生きていて、決して人に流されない。流されやすい人間だったわたしは、いつも彼女たちにあこがれていた。

勉強もサークルもバイトも中途半端で、不完全燃焼な学生時代だったが、強烈な個性と知性を放つ彼女たちと出会えただけでも上京した甲斐があったなあと、卒業時には思ったものだ。

そんな彼女たちと開催する「女子会」は、大変ゆるく、ゆかいなものだった。

「女子会」では、みんなひたすらだらだらした。ミニテーブルや床の上にお菓子や飲みものをどっさり置いて、各自が好き勝手につまみながらぺちゃくちゃしゃべる。それだけなのに、いつも心の底からわくわくした。

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「え、また好きな人変わったの?」
「あの科目とらなきゃよかった」
「〇〇ちゃんがいちばん結婚早そうだよねえ」

恋愛を筆頭に、サークル、バイト、好きな音楽やアニメのこと。落とした単位やおもしろい先生のこと、進路や就職先、結婚のこと。なんでも話した。話す順番をじゃんけんで決めたこともあったような。

きれいなワンピースなんて着なくていい。足をくずしても、寝そべってもいい。途中でほんとうに寝てもいい。部屋のすみっこでひとり丸まっていてもいい。わざとらしく相槌を打つ必要もなければ、気をつかって相手を褒めそやす必要もない。人目を気にする必要も、見栄を張る必要も、むりに場を盛り上げようとする必要もない。

相手を傷つけることさえ言わなければ、オールオーケー。くだらない話も、まじめな話も大歓迎。愛情さえあれば、辛辣な意見も大歓迎。

気取らない人たちが醸成するゆるい空気は、クセになってしまうほど心地よく、わたしはいつのまにやら、現在進行形の恋愛や、デリケートな家族やコンプレックスにまつわることも、開けっ広げに話していた。いまとなっては思い出すのも恥ずかしい、あんなことやこんなことまで。

無駄で不毛にもみえる、お菓子をだらだらと食べ続ける時間。肩の力を抜いて、気楽に語りあう時間。それは修学旅行の夜のようで、慣れない都会でひとり暮らしをするわたしにとって、大切なオアシスだった。

しかし、大学を卒業すると、集まる機会は減った。就職したり、進学したり、家庭を持ったり。みなそれぞれの道に進み、それぞれの今と対峙している。年に1、2回ランチやカラオケに行くことはあっても、あの頃のようにだれかの家で夜通し語りあうのはむずかしくなった。

けれども、一度だけ、我が家に数名がやってきたことがある。最初の職場を辞めて、休息のために無職期間を謳歌していた頃のことだ。家に来ない?と言い出したのはわたし。学生時代の女子会を再現しようなんていうポジティブな理由からではなく、単に飲みにいくお金がなかったからだった。

「こういうの、昔よくやったよね〜」と言いあいながら、コンビニで買ったスナック菓子やジュース、みんなのお土産をテーブルに並べ、夜ご飯として宅配ピザを注文した。

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ジャンキーな食べものが雑に置かれた食卓とみんなの笑い顔をみたとき、不覚にもちょっとだけ、泣けてきた。

「わたしにもまだ、こんなふうにわくわくできる気持ちがあるんだ」

「くだらないことでいっしょに笑ったり、お菓子をぼりぼり食べたりできる友達がいるんだ」

驚きと、安堵と、おおきなよろこびが、しずかに胸に満ちてゆく。

この少し前まで、わたしは仕事で心身ともにエネルギーを消耗しており、人と交流する機会がほとんどなかった。あっても疲れるだけで、あまり楽しめないときのほうが多かった。腹の底からげらげら笑うことも、何かに心を震わせることも、うまくできなくなっていた。

そんなわたしが再生していくための休息期間に開催された「女子会」。そこでちゃんとぐうたらして、ちゃんと笑えたことは、たしかな自信になった。やっぱりぐうたら女子会は、心をうるおすオアシスなのだ。

女子会で暴露するのが恒例となっていた、学生時代にさんざん思い悩んだ恋愛は、遠い過去の思い出になっているし、目標として意気揚々と語っていた仕事は、とっくの昔に辞めている。友人もさくっと転職していた。人生は、なんとあっけないものだろう。

しかし、多かれ少なかれ、だれもが「こんなはずじゃなかった」ものを抱えながら生きていて、これからもきっと、たくさんの「こんなはずじゃなかった」ものに出会うのだ。食べたり飲んだりしながら、予想外の展開までもを、じぶんという人間のなかに取り込んでいくのだ。

わたしはいくつになっても、「女子会」の力を借りたいと思う。気のおけない友人たちと集まって、とびっきりの、不毛な時間を過ごすのだ。ジャンキーなものをがつがつ食べながら、呑気に床に寝そべりながら、あらゆる悩みも不安もみんなで笑い飛ばしていくのだ。刹那的でもかまわない。その一瞬が、いまもこうして、心にのこっているのだから。

学生時代の友人たちとは、今年の冬を最後に会っていない。まだしばらくは、集まるのは難しいかもしれない。

でも、再び女子会を開催できる日を夢見ながら、わたしは淡々と、みんなに会ったときに話せるネタを増やしていきたいと思う。

女子会は、永久に不滅です。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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