永遠の推し「あんみつ」と私だけの宇宙

晴れでも雨でも食べるのだ。 #6

2020.10.07

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は、奥村さんの愛がつまった、「永遠の推し」についてのお話です…!


推しのアイドルグループがいる。もう10年近くファンを続けているそのグループは、メンバー全員が個性豊かで、ずっと見ていてもまったく飽きない。かわいらしさ、大人っぽさ、上品さ、親しみやすさ、妖艶さ……数えきれないほどたくさんの魅力が詰まっていて、会いにいくたびに「好き」が積もり積もっていく。

その名を「あんみつ」という。

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私があんみつを推しはじめたのは、学生時代。バイト先の塾があった下町で、勇気を出して本格的な甘味処に立ち寄ってみたことがきっかけだった。東京、門前仲町にある「いり江」というお店だ。

暖簾をくぐり、お琴の演奏が流れるしずかな店内で、椅子にゆったりと腰かける。障子にらんま、墨で書かれたメニューの文字。和のテイストに囲まれこころがほぐれた。そこに運ばれてくる奥ゆかしい雰囲気のあんみつと、まっしろな湯気を漂わせる温かい緑茶には、後光がさしているようにみえた。

ゆっくりと深呼吸をしてから、「いただきます」と手を合わせる。丁寧に仕込まれた具材と対峙すると、澄んだ空気が身体中をめぐった。

「ここは、あんみつと私だけで構成される宇宙だ」

お茶をすすりながら、一つひとつの具材を時間をかけて眺め、口に運び、自分のペースでじっくりと味わう。

「至福……これが大人になるということか」

今振り返れば、なんて贅沢でのんきな学生なのだろうと思うが、おそらくこれが、「ひとりの食事をちゃんと楽しむこと」に目覚めた経験だったと思う。食べものを消費の対象としてではなく、じっくりと鑑賞する対象、あるいはともに時間を過ごす相手と考えると、ご飯やおやつの時間が驚くほど面白くなった。ひとりでいても、さみしくない。孤独感はない。むしろ充足感に包まれる。あんみつは、「ひとりの時間を味わい尽くすこと」の価値を教えてくれた。

カフェで友人と食べるケーキやパフェも、もちろんおいしい。けれども、ひとりであんみつとまったり過ごす時間の癒し効果は絶大で、そのあいだは、まっさらな自分になれるような気がした。余計な情報が入ってこない。学業や就活で自分とだれかを比較して焦ることも、惑うこともない。あらゆる邪念が削ぎ落とされ、こころの中心がくっきりしてくるのがわかった。

この日から私は「あんみつ活動」を開始。当時の家からアクセスしやすかった上野近辺やバイト先の下町を中心に、さまざまな甘味処に足を運ぶようになった。最近は会いにいく機会が減ったが、あんみつは今でも、私の好きな和菓子No. 1に君臨し続けている。

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あんみつをプロデュースしたひとは、天才だ。これほどに絶妙なバランスを保った和菓子の「いいとこどり」のデザート集団がほかにあるだろうか(いや、ない)。

こんもりとのせられた小倉餡は、あんみつの「あん」。堂々たる主役、センターである。その色艶としっとりとした口あたり、上品な甘味、落ち着いた佇まいでグループを引っ張る。脇を固めるみかんやパイナップル、さくらんぼ、干し杏などのフルーツは、全体を華やかに彩ると同時に、ジューシーな食感とフレッシュな酸味を生かし、飛び道具としてめざましい活躍をする。私のいちばんの推し「求肥」は、どこかほっとする素朴な甘味とやわらかさが魅力。控えめで謙虚な見た目を貫きながらも、稀有な存在感を放っている。

土台として支えるのは、清涼感たっぷりの寒天と、しっかりした粒感がくせになる赤えんどうまめ。「みつまめ」の原点である。どちらも目立つ存在ではないが、このふたりがあらゆる味になじむからこそ、デザートに一体感が生まれるし、他のメンバーが心置きなく輝ける。あんみつの後味が意外とすっきりしているのも、ふたりのおかげだろう。

仕上げに甘い蜜をかければ、国民的人気和菓子アイドルグループ「あんみつ」の完成だ。甘味と酸味の心地よい調和。しっとり、とろとろ、つるつる、つぶつぶ、もちもち……食感の七変化。一人ひとりの個性が際立ち、表情豊かだ。そして、唯一無二の落ち着きと、ぶれない芯のつよさがある。気品あふれるオーラをまとっているが親しみやすく、旧友のような安心感もある。これはもう、推すしかない。

「あんみつ」だけでも十分豪華だが、私はたいてい、アイスクリームやソフトクリームがどどんとのった「クリームあんみつ」を注文する。とろりと溶けていくアイスと蜜のコク、涼しげな寒天の組み合わせは、一瞬にして口の中に幸福の風を吹かせる。

最近食べたあんみつは、上野の名店「みはし」の季節限定メニュー「栗クリームあんみつ」。食欲の秋にふさわしい、ボリュームたっぷりの甘味だ。ごろっと大きな栗がつやつやと眩しく、「眺めているだけでも十分しあわせです、ありがとうございます」と拝みたくなってしまうくらいに神々しかった。餡がセンターでないあんみつも、たまにはいい。

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運ばれてきてから数十秒間は、目を最大限にみひらいて優美なビジュアルを凝視。ひとくち食べて「しあわせ〜!!!」と唸り、あとはもくもくと食べた。あんみつと私だけの宇宙がひろがっていく。食欲全開、煩悩のかたまりであるはずなのに、なぜか無の境地に達したような、摩訶不思議な気持ちになった。

「無」の感じ。「無」でありながら、「無限」でもある感じ。その感覚は懐かしくもあり、新鮮でもあった。年齢や職業、家庭での役割。あらゆる肩書きを忘れてまっさらになる時間は、自宅や職場ではなかなか得がたいものだ。

歳を重ねるにつれて、人付き合いも過ごす場所も固定化してきた。気づかぬうちに思考が凝り固まっている部分もあるだろうし、新しいことに挑戦してみたいと思っても、守りの姿勢に入り、適当な理由をつけては自分を寸止めしてしまうことも多い。さらに最近は、社会情勢の影響もあり、家にこもる時間がますます増えた。なんとなく生活が停滞しているように感じて、焦ってしまうこともある。

けれども、あんみつを目の前にこころをリセットすると、自分の夢とか、好きな人の顔とか、大事にしたい風景とか、シンプルなものだけがみえてきて、細かいことはどうとでもなるような気がしてくる。「なんだ、まだまだまっしろじゃないか」と思った。どれだけでも絵を描けるじゃないか、と。

そして、きらきらと個性を発揮しながら変幻自在に混ざり合ってゆく和菓子のまばゆさに目を細めながら、「今日も求肥はほんとうにいい仕事をしてる」なんてつぶやきながら、一生あんみつを推し続けようと決意したのだった。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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