わたしのごちそう、卵かけごはん。

晴れでも雨でも食べるのだ。 #13

2021.05.13

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回のテーマは「卵かけごはん」です。卵かけごはんも立派な「料理」、そしてごちそうですね。読むと今すぐ卵かけごはんが食べたくなるエッセイです。


こんこんこん。ぱかっ。しゃかしゃかしゃかしゃかしゃか。とろ〜ん。ぽとぽとぽと。じゅるり。ふわ〜っ。

明るい色の朝ごはんで気分を上げたいとき、お昼にしっかりエネルギーを補給したいとき、一人の夜を静かにあたためたいとき。どっぷり疲れたとき、自分を楽にしてあげたいとき。どれにもあてはまらなくても、無性に食べたくなったとき。

わたしは卵かけごはんを食べる。

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「卵かけごはんという名のご馳走を生きる意味とし今日は泣かない」

こんな歌を詠んだこともあるくらい、卵かけごはんはわたしにとって大切な料理だ。

卵かけごはんほど、簡単さとおいしさのバランスがおかしい料理はないと思う。簡単なのにおいしすぎるし、おいしいのに簡単すぎる。ビタミン、ミネラル、たんぱく質。栄養も豊富らしい。なにを心配しているのか自分でもよくわからないけれど、そんなに完璧で大丈夫?と思う。

苦労せずにこんなごちそうを食べていいの?
だって、卵をこつんと割って白いごはんにかけるだけだよ?

たいした努力もせずに幸せを手に入れてしまった、と不安になることもしばしば。楽をしすぎかな?とうっすら罪悪感を覚えることもある。

手間ひまをかけて作った料理、品数の多い“理想的な”献立、“丁寧な生活”の風景。SNSを見ながら、「一方、わたしはTKG……」と卑下しそうになることもある。

生まれてこの方、学校でも社会でも「がんばること」の大切さを教え込まれてきたからだろうか。生活面における怠惰さには定評があるわたしですら、心のすみっこには苦労を美徳とする考え方がひっそり染みついているらしいのだ。

けれども卵かけごはんはおいしい。

簡単だろうと難しかろうと、そこにわたしの苦労があろうとなかろうと、おいしい。
朝は太陽みたいに食卓を明るくしてくれて、夜は月みたいに穏やかに癒してくれる。

一度その味にハマれば、卵と白米を常備することになる。最初は「卵かけごはんでいいや」だったはずが、いつしか「今日も卵かけごはんが食べたい!」になっている。茶碗にこんもり盛られた光の世界に吸い寄せられ、ずるずる引きずり込まれてしまう。

おいしいものは、ちゃんとおいしいと思って食べたほうがいい。

幸せはしっかり受け止めて、噛み締めたほうがいい。

楽して幸せ。最高じゃありませんか。

わたしは目の前の卵かけごはんをたっぷり味わう。

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卵かけごはんに関する記憶は、実はとてもおぼろげだ。おぼろげだけれど、手繰り寄せるとほっとする、そんな丸い記憶のかけらが心の片隅に存在している。

はじめて食べたのはおそらく幼稚園か小学校低学年の頃だ。気づいたときには食べていて、気づいたときには好きになっていた。

お茶碗にごはんを盛る。卵を割る。醤油を垂らす。箸で混ぜる。
食材と食器とわたしの手が触れ合い、食卓に軽やかな音を響かせる。

思えばこれは、人生初の料理だったのかもしれない。

高校生の頃には、卵かけごはんならぬ、目玉焼きかけごはんにハマった。母がよく朝ごはんにハムエッグを作ってくれたのだけど、ハムと白身を先に食べて黄身は最後に残し、ごはんにかけてから醤油を一滴たらして食べていた。

そういえば昔、卵かけごはんをよく食べていたなあ……。

と懐かしさを覚えつつ、とろとろの卵とつぶつぶのお米を楽しんだ。

ハムの塩気がほんのり残った半熟の黄身は絶品で、学校まで自転車を漕ぐパワーになった。

いま、わたしがよく食べている卵かけごはんは、幼い頃と変わらず、卵をごはんにかけて好みの調味料を垂らすだけのシンプルなものだ。

醤油、白だし、顆粒だし。味付けはいろいろ。量は適当。すべて気分次第だ。ごはんはもちろん炊き立てのほうがおいしいけれど、冷凍ごはんでも十分だと思う。卵かけごはんは、悩まずにさくっと作って、じゅるっと気楽にかきこめるところがいいのだから。

鰹節や大葉をふわっとのせたり、鶏そぼろもいっしょにふりかけたり。余裕があるときにはちょっとだけアレンジしてみる。レシピを調べてみると、想像以上にバリエーションがあってびっくりする。

晩ごはんとして食べるときは、煮物や鍋など出汁を使った料理に合わせるのが最高。笑いが止まらなくなってしまう。とっくにすき焼きが証明済みだけれど、特に肉料理との相性は抜群だ。

img_hareame_013-03.jpg最近ハマっている豚バラ大根との組み合わせ

卵に味をつけなくても、いっしょに食べれば自然に出汁と卵が混ざって、沁みるわ沁みるわ。おおげさでなく「生きててよかった……」と思う。

そういえば、わたしが大好きなキーマカレーにとっても、卵は相棒みたいなものだ。黄身の甘みがスパイスによく合うし、見た目にも華やかで得をした気分になる。これも広義では卵かけごはんと呼べるだろうか。

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ごはんものには卵をかける!

これを実践するだけでも、毎日の食卓がずっと明るく、楽しくなる。

「ごはんをおいしく食べるために、食材になんらかの手を加えること」は、どんなに些細な作業でもすべて料理だと思っている。

たとえば野菜やフルーツをお皿に盛りつけること。豆腐に薬味を添えること。どっちも意外と大変だし、れっきとした料理でしょう、と思う。食材に調味料を加えたり、混ぜたりするのも料理だ。

だからわたしは、この文章の最初から卵かけごはんを「料理」と書き続けてきた。そう思うことで一つひとつの工程を大切にできるし、料理のハードルが下がる。自己肯定感が上がる。

どうしてみんな、なんでも簡単そうにこなしているんだろう。
どうしてみんな、そんなにがんばれるんだろう。
それに比べてわたしは……。

焦りや不安はしょっちゅう感じるし、“できる人”を見てコンプレックスを刺激されることも多い。

でも、わたしにはわたしのがんばり方があるし、がんばらずに楽しむ方法もたくさんある。つらくなって追い詰められるくらいなら、苦労は少ないほうがいい。ときどきがんばって、ときどき卵かけごはんを食べるくらいがちょうどいいなと思う。

簡単でも大変でも、おいしいものはおいしい。
おいしいのだから、堂々とおいしいと言えばいいのだ。

今日も、苦手な掃除をちょこっとがんばってから、卵かけごはんを食べて元気を出した。
簡単すぎる割に、おいしすぎた。

やっぱり卵かけごはんは、わたしにとってのごちそうだ。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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