真夏の夜の姉妹そうめん

晴れでも雨でも食べるのだ。 #16

2021.08.20

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回のテーマは「そうめん」です。実家から届いたそうめんとうどんを使って、奥村さんが妹さんと開いた「麺パーティー」。夏には家族と開くこんな「パーティー」もいいですね。


この夏、我が家には麺がたくさん届いた。大きな木箱に入った山盛りの三輪そうめんと、同じく箱のなかにびっしり並べられた氷見うどんの束。両実家からお中元としていただいたものだ。

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結婚して2年。お中元やお歳暮といった贈りもの文化にも、最近ようやく慣れてきた。なにを贈るか考えるのは楽ではないけれど、離れたところにいる家族と簡単には会えないこのご時世においては、なかなかいい風習だなあと思っている。贈りものをきっかけに電話で挨拶をして、相手の声をきけるのが特にいい。

お元気ですか?
おかげさまで。

ひさしぶりに懐かしい声をきくと、なんだかよくわからないけれど、じわっと沁みる。心の片隅に小さな小さな花びらが舞う感じがする。そんな人たちが世界のどこかに存在していること自体が、きっと美しいことなのだろう。

これからも元気でいてください。

伝えたい言葉はたったこれだけ。これだけなのに、お中元を贈りあうと、ささやかな幸せが扇風機の風みたいにふわあーっと広がっていく感覚がある。

さて、いただいた麺類をどうやって食べようか。

暑い日でも胃にするする入っていくそうめんやうどんがたくさんあるのはありがたいけれど、この夏は夫が仕事でほとんど家に帰ってこないこともあり、わたしひとりの力ではなかなか減りそうにない。

そんなわけで、先日、妹と麺パーティーをした。

いろいろなトッピングを用意し、そうめんとうどんを茹で、好きなように盛りつけて食べる。自由でシンプルでのんびりした会だ。連休中に家に遊びにきた妹に思いつきで「今夜はもらった麺を食べない?」と声をかけたら、思いのほかノリノリだったのでしめしめと思った。

姉妹でいっしょにそうめんを食べる。

なんて懐かしいシチュエーションなのだろう。思い浮かべるだけで、とろりと甘やかな気持ちになる。

夏休みのゆるくのどかな風景が、二十年越しに都会の真夏の夜に降ってきた。

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幼い頃、夏休みのお昼ごはんといえばそうめんだった。いや、昼も夜も関係ない。もはやそうめん以外に食べたものを思い出せないほど、夏休みはそうめんで溢れていた。

お昼のリビングのひだまり、窓の外からきこえるセミの鳴き声、キッチンに立つ母の姿、バラエティ番組や昼ドラの音声、氷とともにつるりと盛られたそうめん。それらがすべてセットになって、気だるくも淡くやさしい夏休みの空気を作り出していたと思う。

あれをしなきゃ、これをしなきゃとあわてる必要もなければ、次の日の心配をする必要もない。ただそこにいて、そうめんを食べて、アイスを食べて、テレビを見ながらぼうっとする。だらだらと漢字練習帳や計算ドリルに取り組み、ときどきひんやりと冷たい畳やフローリングの上に寝っ転がって、ごろごろする。いつのまにかすやすや寝息を立てて眠っている。

そんな毎日をわたしも妹も愛していて、永遠に続けばいいのにと思っていた。

子どもの特権を贅沢なまでに享受できたのも家族や周りの人たちのおかげだったのだなあと、いまでは自分で仕事や家事をしながら実感する。

そうめんのトッピングというと、どんなものを思い浮かべるだろう。

わたしは幼い頃、なにもかけずにつゆに漬けるだけのシンプルなそうめんが好きだった。一方の妹は、「納豆そうめん」なるものを頻繁に食べていたのだが、その組み合わせがどうしても受け入れられなかったわたしは、「そんなのよく食べられるなあ」と引き気味に見ていた。

妹にその話をしたら、「えっ、うそでしょ!納豆そうめんなんて食べたことない!!」と完全否定されてしまったが、記憶のなかの彼女はたしかに食べていた。衝撃が大きかったからよく覚えているのだ。

さて、思い出話は置いといて、大人になってから食べるそうめんはどんなふうにしようか。あれが食べたいこれが食べたいとふたりで案を出し合い、スーパーに買い出しに行き、こんな具材を用意した。

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蒸し鶏、ツナとトマトと大葉の和えもの、ズッキーニのナムル、なすの煮浸しに、ねぎ、大葉、みょうが、ごまの薬味セット。煮浸しは香川県の郷土料理の「なすそうめん」の作り方を参考にして作ってみた。

テーブルの上に夏野菜をたっぷり使ったトッピングを広げると、元気で爽やかな色合いに、ふふふと笑みがこぼれてしまう。わたしがトッピングを調理しているあいだに風呂に入っていた食いしん坊の妹は、できたよ〜とわたしが皿を並べるたびに、「おいしそう!!」とナイスなリアクションをしてくれて、非常に作り甲斐があった。

次は妹の番だ。そうめんとうどんを茹でてもらう。

たっぷりの湯をくつくつ沸かして麺を入れる。タイマーが鳴るのを待つ。ざるや冷水、氷を用意して、熱湯のなかで気持ちよさそうに踊る絹糸のような麺たちを見つめた。

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妹が麺をざるにあけ、氷水で冷やして皿に豪快に盛れば完成。

まずはわたしたちの地元富山の名産品、氷見うどんからいただこう。

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氷見うどんは細麺が定番の商品で、つるりとした食感とコシが強さが特徴だ。ほんのり塩気のある麺はのどごしが良く、そうめんのようにするすると食べられる。

一般的なうどん以上に麺にキレがあってするりと入っていくので、祖父母の家や実家では、本当にうどんなの?と思いながらいつも食べていた覚えがある。今回も「これもそうめんの一種だ」と半ば強制的にそうめんとセットにしたが、まったく違和感がなかった。

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こちらは三輪そうめん。盛り方がなんとも雑だが、いわずもがな、繊細な麺のなめらかさとつるつるもちもちの食感がたまらない。

まずはつゆだけで。次は好きな具材や薬味とあわせて。そうやって食べていくうちに、そうめんもうどんも、みるみる減っていった。最初は食べ切れるだろうかと心配に思っていたが、もりもり食べてくれた妹のおかげもあり、ふたりで完食。真夏の夜の麺パーティーは、大成功に終わった。

実はこの夜は、偶然にもオリンピックの開会式と重なった。テレビ画面のなかでは花火が上がり、青いドローンがきらきらと飛び交う。SNSでは紅白歌合戦の実況のごとく開会式に関するコメントが流れていく。今日はほとんどの人が家にいる。

なんだか不思議な夜だ。暑い夏だというのに、わたしたちはまるで年越し蕎麦を食べるかのような気分で、そうめんをすすった。妹は食べたその様子を写真に撮り、母にLINEで送った。食べている様子を伝えることも、「元気だよ」と伝えることにほかならない。

お世話になっている人たちから届いた贈りものは、こうしてわたしたち姉妹の新たな思い出となった。そうめんもうどんも、楽しもうと思えばどこまでも楽しくなるものなのだ。

受け取ったものを大切にして、楽しく味わうこと。

懐かしい夏を呼び起こす麺パーティーは、そんな基本的なことを思い出させてくれた。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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