唐揚げが大好きな料理になるまで

晴れでも雨でも食べるのだ。 #18

2021.10.12

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回のテーマは「唐揚げ」です。「唐揚げは家では作ることができないもの」と思っていた奥村さん。でも、あるきっかけで大好きな料理になったそうです。読むとどんどん唐揚げが食べたくなってきてしまいます。


じゅわ〜っ、ぱちぱちぱちぱち。

小気味よい音がキッチンに響き、フライパンのなかで衣が紅葉するようにこんがりと色づいていく。

よーし、よしよし。いい感じ。

鶏の唐揚げを作っているときのわたしは、いつもちょっと興奮している。

衣が稲のような黄金色から赤褐色に近づいてきて、泡がだんだん少なくなってくる。

うん、そろそろだな。

おたまで何度か油をかけて表面をかりっとさせたら、フライパンからお肉をとりだし、ペーパータオルの上にのせる。

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これこれ。
なんていい色、いい匂い。
眺めているだけで、ごはんが何杯も食べられそう。

食べるまえから大満足。唐揚げは一種のエンターテインメントだと思う。料理があまり好きでないわたしでも、楽しく作れるメニューのひとつだ。

でも、わたしは数年前まで、「揚げものなんて一生作れるわけがない」と思っていた。ある日の晩、夫がいとも簡単そうに鶏の唐揚げを作る姿を目にするまでは……。

ふたりで暮らしはじめたばかりの頃。夜の9時近くに職場から帰ってきた夫が、休むまもなく冷蔵庫から鶏もも肉を取り出し、包丁を握った。

ん……?この時間から何を作るの?

困惑するわたしをよそに、夫はさくさく肉を切り分け、醤油や酒、おろし生姜を揉み込んでいく。

「これくらい朝飯前さ。洗顔や歯磨きと同じ日常のルーティンなんだ」とでも言うように表情一つ変えずに手を動かすものだから、わたしは唖然としながらその姿を眺めた。

フライパンに大量のサラダ油がとぷとぷ注がれたところで、わたしは気づく。

もしかしてこれ、唐揚げ??
疲れて帰ってきたばかりなのに、揚げものをするの??

晩酌が趣味でひとり暮らし歴の長い夫は、つまみをちゃちゃっと作る能力に長けていることは知っていた。でもまさか、帰宅後に揚げものとは。そのエネルギーはどこから湧いてくるんだ。しかもなんなの、その軽快な手つき。冷奴を用意するわけじゃないんだよ?

口をぽかんとあけたまま見つめていると、夫は鶏もも肉に片栗粉をぱふぱふまぶし、油のなかにじゅわっと入れた。

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うわあああ、この音。サラダ油のCMで聞いたやつだ!どんどん出てくる泡も、衣が鮮やかなきつね色に変わっていく感じもそう。テレビでしか見たことない。

すごい、リアル「とりから」だ!

画面越しでしか見たことのない歌手のライブに行ったときのような感動を抱きつつ、フライパンの底から浮き上がってくる鶏肉に見入った。

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二度揚げを経て完成した唐揚げは、お店のものと遜色ない美しさで、みるからにさっくさく。噛めばカリッと香ばしい音が鳴り、あつあつの肉汁がじゅうっと染み出した。

家でこんなにおいしい唐揚げが作れるなんて!

大発見だった。

これがわたしが人生で初めて食べた「家で作った唐揚げ」だ。

家で唐揚げは作れない。
だからわたしには、唐揚げは作れない。

夫が唐揚げを作る様子を見るまで、わたしはそう思い込んでいた。ホームドラマで食卓の唐揚げを目にしても、「テレビだから」と現実世界ではあり得ない出来事としてとらえていた。それはたぶん、実家で唐揚げを食べたことがなかったからだ。

一度に大量の油を使うことに抵抗があった母は、多めの油でパン粉焼きを作ることはあっても、天ぷらや唐揚げなどの大胆な揚げものはしなかった。だからわたしは、一般家庭で本格的な揚げものをするのはたいそう難しく大変なことなのだろうと思い、そのイメージを持ったまま大きくなった。

自炊をしていた学生時代も、挑戦したのは底から5ミリ程度の油で済ませる、揚げ焼きにも満たないポテトくらい。たまにしっかり揚げてみたいと思っても、ワンルームの部屋のキッチンが油まみれになる場面を想像しては、ムリムリムリ、と首を横にふった。「もったいない」という母の声も聞こえてくる気がして、油をたっぷり注ぐ勇気は出なかった。

一生、天ぷらも唐揚げも作ることなく生きていくのだろうな。
それはそれでいいやろ、買った方がおいしいし。

ずっとそう思っていた。

しかし、そんなわたしが、いまは嬉々として唐揚げを作る。

最初は夫が作るのを観察するだけだったが、調味料を揉み込む作業を担うようになり、そのうち自分で揚げるようになった。料理家の土井善晴さんのレシピにはまり、最近はそれをアレンジしたり、夫流の作り方と組み合わせたりもする。

献立を考えるのが得意でないわたしにとって、唐揚げはひとつの武器ですらある。

「あれ、唐揚げってめっちゃ便利じゃない?」

そう気づいてしまったのだ。

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まず、唐揚げには抜群の存在感と華やかさがある。
唐揚げ弁当、唐揚げ定食。どこに行っても唐揚げは主役だ。

つまり、家でも唐揚げさえ作ってしまえば、あとはどうにでもなってしまう。サラダか野菜のおかず一品と、白米と味噌汁があれば十分。焦って何品も作らなくていい。「今日の食卓はきみに頼んだ!」と一任できてしまう頼もしさが、唐揚げにはある。

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しかも、マルチタスクが苦手なわたしには、調理方法もぴったりだ。調味料と粉をまぶして揚げるだけ。考えてみれば単純な工程で、フライパンひとつでできる。野菜の下ごしらえをする必要もなければ、途中であれこれ調味料を足したり、別の鍋で食材をゆでたり炒めたりする必要もない。

だから目の前の作業に集中できて、失敗しない。ちょっとくらい見た目が悪くても、揚げた肉だ。どう転んでもおいしい。

片づけも、思ったよりは難しくない。オイルポットに保管すれば油は繰り返し使えて、処理するときも、染み込ませる紙か凝固剤があれば簡単。炒めものでも油は飛ぶから、揚げもののときだけ異常にコンロが汚れるわけでもない。

夫の料理を観察し、手伝い、実際に作ってみて初めて、唐揚げはそれほど敷居の高い料理ではなく、むしろわたしに向いている料理だとわかった。

難しそう。大変そう。油がムダになる。

先入観と不安ばかりがわたしの頭のなかを覆っていたけれど、それらをすべて吹き飛ばすほど、唐揚げは作りがいのあるごちそうで、しかも想像の何倍も手軽だった。

揚げているときのわくわく感、揚げ上がった瞬間の達成感。パクパク食べてもらえる喜び。唐揚げは、料理コンプレックスの強いわたしに自信をくれた。

今月もわたしは、唐揚げを作るだろう。

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秋の山の色をした唐揚げにレモン汁をぽとりと垂らし、マヨネーズをぶちゅっとつけて、がぶりと豪快に食べる。箸がどんどん進む。

この上ない夕食だと思う。

もちろん、お惣菜の唐揚げにそそられることもある。コンビニのからあげクンも大好きだ。食べたいときは躊躇なく買う。

でもやっぱり唐揚げは、わたしの貴重な得意料理で、作るたびに心がおどる特別なメニューだ。家で唐揚げを作る時間を、ずっとずっと大切に守っていきたい。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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