父と娘と、手打ちそば。

晴れでも雨でも食べるのだ。 #22

LIFE STYLE
2022.02.15

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」奥村さんが年々好きになるという、そば。そばへの思いには、お父さんの影響があったようです。


うどん派?そば派?
そう聞かれると、昔はうどん派と即答したものだが、年々そば派に傾いている。

引き締まった麺のツヤと透明感、歯触りと歯切れの良さ、独特の香りと風味。そばの魅力は、挙げ始めたらキリがない。幼い頃はあまり理解できなかった、いや、どちらかといえば苦手だったくせの強さが、今ではなぜかおいしく感じる。

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夫もそばが好きなので、ふたりでランチに行くときも、そば屋はカレー屋と並んで候補の筆頭に挙がる。行きつけの店でゆっくりとそばを味わう時間は、私たちの癒しであり続けてきた。

そばは私にとって、もっとも身近な麺類だと思う。少なくともハタチを過ぎてからは、ラーメンよりもパスタよりも、まちがいなくそばをたくさん食べてきた。「そば」という単語を目にするだけで、なんともいえない安心感を覚える。

私がそば派に傾いた理由のひとつに、父の影響がある。父は、大のそば好きだ。

10年ほど前から、父は「そば仲間」というコミュニティに所属している。同じ会社で馬の合う同年代の人たちが集まって、一緒にそばを食べたり、食べたそばの情報を共有しあったりするグループだ。

そば打ちを学んでいるメンバーの自家製そばを食べる会から発祥したそのコミュニティは、長野に遠征して戸隠そばを食べたり、忘年会を開いたりと、さかんに活動してきた。ここ数年は集まる機会をほとんど作れずにいるものの、連絡は取り合っているらしい。

父はもともとそばが好きだったが、そば仲間の活動を始めてからは、ますます熱を上げている。地元富山はもちろん、近県のそば屋にも赴き、おいしいそばを探し続けてきた。私や妹に会いに東京にやってきたときも、ほぼ毎日、昼夜連続でそばを食べるという徹底ぶりだ。

おいしいと噂の店を見つけては、どれどれ、と試しに食べに行き、写真を撮って記録をつける。仲間や家族に共有する。そばを食べることは、父にとって大切なライフワークになった。

そば仲間による恩恵を受けたのは、父だけではない。年末になると、私たち家族は、父が持ち帰ってきたおいしい年越しそばを振る舞ってもらえるようになった。そば打ちに取り組んでいるメンバーのお手製そばだ。

もともと大晦日には祖母の家で年越しそばを食べる習慣があり、いつも楽しみだったが、「そば仲間の手打ちそば」を食べられると思うと、ますます胸が弾んだ。

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打ち立ての貴重なそばをできる限りおいしく食べるため、父は大きな鍋やざるを新しく購入し、率先してそばを茹でた。

普段はまったくキッチンに立つことのない父が、人が変わったようにせっせと手を動かし、そば仲間から教わった茹で方や食べ方のこだわりを指南していく。「茹ですぎ禁物」「まずは何もつけずに食べるんだ」などと熱弁をふるう様子は微笑ましく、なんだか可笑しくもあり、母や妹と笑い合ったものだ。

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好きな食べものを通して仲間とつながり、家族とつながり、自分自身の心とつながる。還暦間近に見つけたささやかな楽しみが、父の毎日を支えている。

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そば仲間の活動をしている間に、父は定年を迎え、再雇用され、65歳を過ぎた今は、再々雇用先で働いている。ほかの人たちも同じように、それぞれの道を歩んでいる。そば打ちを極めたメンバーは、昨年なんと、そば職人に転身した。趣味を楽しみながら働き続ける父や、父から噂に聞くそば仲間の人たちから、私は大いに刺激をもらっている。

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昨秋、そば仲間のひとりが職人として働いているお店にて

父くらいの年になると、体力の衰えを如実に感じるようになったり、体のいたるところに不都合が出てきたりするらしい。親が認知症になる、亡くなる、自分や友人が病気になる。こうした経験から、老いや死を自分ごととして捉えるようにもなる。次々と登場する新しい物事についていけず、戸惑う場面も多くなる。娘から見ても、お父さん、年を取ったなあ、と思う瞬間がしばしばある。

20代の私ですら、めまぐるしく変わっていく世界に待ったをかけたくなる日や、体が思うように動かず何もしたくない日があるのだから、父にそういう日があってもおかしくないだろう。仕事はもちろん、生きることそのものに疲れを感じ、億劫になる日も多少はあるかもしれない。

けれども父は、いつも地道に、懸命に、そして積極的に生きている。いくつになってもよりよく生きようとする姿勢がある。その姿勢は、仕事や家族との向き合い方、さらにはそばをはじめとする好きなものへのこだわりによくあらわれていると思う。

仕事を続ける一番の理由は、お金が必要だからに他ならないが、消化試合のようにこなすことなく、向上心を持って勉強し続ける。週五日働き、週末は祖母の家に通って生活を補助し、疲れ切っているにもかかわらず、イライラしない。いつもやさしくおおらかだ。

好きなものへの探究心を燃やすことによって、ストレスを昇華させているのかもしれないが、それでも、心の根本にある真面目さと前向きさ、好奇心の強さによって、父はうまく人生を楽しめているのだろう。退職後に人間関係が乏しくなって孤独感にさいなまれる人もいると聞くが、父はおそらく、心配無用だ。

昨年の大晦日、私は東京の自宅で年越しそばを食べた。秋に福島で買ってきた麺を茹で、わざわざデパートで探し回って購入した大きな海老天をのせて。

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夕食のおかずを食べて予想外にお腹がふくれてしまっても、「そばは絶対に食べたい。お腹が苦しくたって関係ない」と頑なに主張した私に対し、夫は「年越しそばに、すごく思い入れがあるんだねえ」と言った。

やっぱり私たちは親子なのだ。そばへの想いが、いつのまにか伝播してしまったらしい。

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