純粋な気持ちを呼び起こす、やさしさ由来のレストラン

晴れでも雨でも食べるのだ。 #28

2022.08.24

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は、奥村さんが大切な日に訪れるレストランと、そこでの出会いのお話です。


その店に予約の電話をかけると、聞き馴染んだ声で「いつもありがとうございます」と言ってもらえる。その店に行く日を待ちわびて、指折り数えてしまう。その店に行く日は、電車やバスに揺られる時間も、雨の中を歩く時間も心が弾む。

食事をしていない時間にまで輝きをもたらしてくれる飲食店との出会いは、確実に私の生きる力になっていると思う。

そんな大事なお店のひとつが、中野区にある「Merci tout le mond(メルシー・トゥルモンド)」というフレンチレストランだ。

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哲学堂公園のそば、閑静な住宅街の一角。メルシー・トゥルモンドは、目立たない場所にひっそりと佇んでいる。地元の常連さんを中心に、コアなファンが通うカジュアルフレンチのお店だ。

シェフは元公邸料理人。世界各国の大使館で、日本や海外の要人たちに料理をふるまっていた。大使館に勤務していた頃に出会った女性と結婚し、日本で店を開いた。

私が初めてその店を訪れたのは3年前、入籍届を提出した日の夜のことだ。「知り合いの旦那さんがフレンチレストランをやっているらしいんだけど、今度行ってみない?」と夫に誘われたのが、お店を知るきっかけだった。

シェフの華々しい経歴を耳にしていたものだから、『料理の鉄人』に登場しそうな強面のシェフやイケイケのシェフが出てくるんじゃないかとか、フレンチのお作法がしっかりできない人間は場違いなんじゃないかとか、最初はいろんな想像をしていたのだけれど、行ってみてひと安心。

家具の木の色、シェフが醸し出す雰囲気、お料理の味や見た目。何もかもがあまりにもやさしくて繊細で、空気中に静かな幸福が溶けていた。

そうか。料理には人柄があらわれるとよく言うけれど、こういうことだったんだ。

たいした会話をしなくても、シェフのやさしさや真面目さや誠実さが、料理から勝手に伝わってくるのだった。

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初めて行ったその日、どんなきっかけでうちを知ってくださったんですか?とシェフに尋ねられた。それで「奥さまと仕事でご一緒したときに教えていただいて…」と夫が伝えたところ、なんと、仕事を終えてお子さんの送迎を終えたばかりの奥さんが、わざわざ自転車を走らせて私たちに会いにきてくれた。

結婚祝いにと花束を手にやってきた彼女は、それはそれは素敵な女性だった。

「世界を飛び回ってばりばりと仕事をこなし、子育てもがんばるパワフルな人」

お会いする前に抱いていたイメージは、学生時代に夢見た理想の女性像そのもの。だから私はあこがれの気持ちを抱きつつも、ちょっと気後れしてしまっていた。けれど実際に話してみると、ひたすらチャーミングで愛情深い人だとすぐにわかった。

厨房で料理をするシェフにちらりと目をやり「あの人はやさしすぎて、すぐにサービスしたりたくさん盛ったりしちゃうから、あんまり商売に向いてないと思うの」と愛おしそうに目を細めたり、「でも、たとえお店が上手くいかなくなっても、私がいるから」と頼もしそうにうなずいたり。

シェフの人柄を愛し、夢を全力で応援し、どんと構える。お店や夫さんについて話す彼女の表情を見ていたら、不覚にも泣きそうになった。

話の端々からびしびしと伝わってくるお互いへの尊敬の念や愛情に感嘆し、なんて素敵な関係なのだろうとしみじみ。私はすっかり、お店だけでなくお二人のファンになってしまった。

「あの人には毎日お弁当を作ってもらってるし」
この一言を聞いたときは、毎日こんなおいしい料理が食べられるなんてうらやましい!!という感情で胸がいっぱいになったけれど……。

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先日も、結婚記念日のお祝いでメルシー・トゥルモンドに足を運んだ。この店に来ると、なんとなくだけど、純粋な気持ちに立ち返れるような気がしている。

ランチタイムをひとりで回すシェフはとても忙しそうで、話はほとんどできなかったものの、いつも通り、料理からすべてが伝わってきた。やっぱり何を食べてもやさしいのだ。

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謙虚すぎるほどに謙虚で、誠実すぎるほどに誠実。ドレッシングもパンもデザートもすべて手作りにこだわったコース料理は、人の手によって一から丁寧に作られた料理を味わうことの素晴らしさを教えてくれる。

これまで食べたメニューの中で私が特に好きなのは、冷製スープやつけ合わせのマッシュポテト、メレンゲなど、裏ごしや攪拌の作業がともなう料理だ。きめの細かさやクリーミーな舌触り、食材のほのかな甘みが、シェフの繊細な人柄や仕事の丁寧さを体現していると思う。

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そしてそして、毎回楽しみでならないのが、食後の甘味。季節のフルーツを使ったデザートプレートは、お花畑のように可憐だ。

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ちなみに、ディナーの時間には、シェフが世界中を旅して仕入れた美しいカップで紅茶をいただけるときもある。

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やさしい空間でやさしい料理を食べているうちに、やさしい気持ちが溢れてくる。メルシー・トゥルモンドはそんなお店だ。

しっとりほくほく、穏やかでありながらわくわくするシェフの料理を、次はいつ味わいに行こうか。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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