寒い夜には、自分だけのための料理を。

晴れでも雨でも食べるのだ。 #32

2022.12.20

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回は、奥村さんが作る、「自分だけのため」の料理です。誰かのためじゃなく、自分のため。たまにはみなさんも、そんな料理を作ってみてくださいね。


「ちゃんと食べて、よく寝てね。」

これまで何度も周りの人がくれた言葉だ。心身の不調に見舞われたとき、家族や友人、仕事仲間が声をかけてくれた。こんなふうに言ってくれる人がいることに私はほっとして、おおげさでなく救われてきた。

「ちゃんと食べてる?」「ちゃんと寝てる?」
「ちゃんと食べて寝てるよ。」

今観ているテレビドラマ『silent』にも、こんなセリフが何度も登場した。どのシーンからも、相手を大切に思っていることがよく伝わってきた。

ちゃんと食べて、よく寝てね。

身近な人を思いやるこの言葉は、究極的には「生きていてね」という意味だと思う。

相手に高いレベルの何かを要求するわけでも、がんばれと激励するわけでもない。最低限、栄養と睡眠はとってね。それ以上何もしなくていいから、今はとにかく休んでね。無理しないでね。そういう言葉。とても温かい言葉だ。

でもこれは、逆に言えば、たとえどんな状況であっても「食べること」と「寝ること」は必要だということでもある。どれだけ落ち込んでいても、どれだけ疲れていても、ちゃんと食べて寝る。そうしなければ、本当に生きていけなくなってしまうから。

私自身も、経験上そのことをよく理解しているので、「あ、これはまずいな」と自分の状況を察知したときには、意地でも食べて寝るようにしている。

つい最近も、しばらく調子を崩していた。その間も、私は何かしらを食べるようにしていたのだけど、ひとつ気づいたことがある。食べる行為だけでなく、食事を用意する行為もまた、自分のペースを取り戻すために役に立つということだ。

たとえば、寒い夜。

鍋にお湯をたっぷり沸かし、豆腐とねぎを刻み、余りものの大根やしいたけなんかもついでに刻んで、ふかふかのお湯の中に入れる。

調味料は、鶏がらスープとオイスターソース、塩こしょうとごま油。和風にするときは、だし汁と醤油と……そうだ、生姜も入れておこう。すべては私の気分次第。好きな具のスープを自由に作る。

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ちょっと余裕がある日は、野菜のポタージュを作るのもいい。私のお気に入りは、かぼちゃのポタージュ。ミキサーは使わずに、かぼちゃをチンしてフォークで大雑把につぶすのが好きだ。時々ミルクを加えながら炒めた玉ねぎと一緒に煮込み、バターやコンソメで味をつける。

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鍋を水で満たすとき。食材をざくざくと刻んでいるとき。ゆらめくお湯を眺めるとき。スープをお玉でかき回すとき。まっしろな湯気を吸い込むとき。何も考えず、目の前のものにただ集中するだけで、なぜか癒やされていることに気づく。

回復するための料理は、時間にしばられないほうがいい。そんな日のキッチンは、静かであればあるほどいい。色がよく見え、音がよく聞こえ、匂いもよくわかるからだ。

だから私は、夜、寝る前に何かを作るのが好きだ。仕事も家事もお風呂も終えたあと、すぐに食べるわけでもないスープやおやつやジャムを作り、できたてを少量だけじっくりと味わって、残りは次の日以降に食べる。

しんどくて何もできなかった日も、終わりよければすべてよし。

気分よく床に就ける。

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自分のために作る料理のおいしさを知ったのは、思えば学生時代だったと思う。ある冬の夜、どうしても温かいものが食べたくなった私は、生まれて初めてなめこ汁を作った。それがあまりにもおいしくて、心底感動したのをよく覚えている。

それまでの私は、“人に認めてもらうための料理”ばかりをしていた。上京後、多少は自炊をするようになったが、基本的には、だれかに「すごいね」と言ってもらうために作っていた。家に友達を呼んで、作ったごはんを食べてもらうのも好きだった。人に喜んでほしいという純粋な思いもなかったわけではないけれど、一番のモチベーションは、褒められたい、認められたい、という欲求だった。私はとにかく、「料理ができる女の子」だと思われたかったのだ。

大学では優秀な方ではないし、サークルもバイトも思ったよりうまくいかない。容姿が優れているわけでも、コミュニケーション能力に長けているわけでもない。人が好きだが、人が苦手で、社交的にも、内向的にもなりきれない。家に帰っても、無条件にそばにいてくれる家族がいるわけではない。私の心は、劣等感と孤独感で埋め尽くされていた。

勉強や陸上など、はっきりとした結果が出るものばかりに取り組み、その結果と他者の評価によって自分の存在意義を測り続けてきた私にとっては、曖昧なものに向き合うことも、できない自分を見つめることも、とても困難な作業だった。そんな日々の中で、料理もまた、自分を大きく見せるための手段になってしまったのだ。

でも、あのなめこ汁は違っていた。

さみしさを溶かすような味。
寒い日に、自分を温めるためだけに作った料理だ。

孤独から目をそらすのではなく、孤独を楽しむために。
人に認めてもらうためではなく、自分自身を喜ばせるために。

自分が今、食べたいものを作る。

それは、一人の夜だからこそできる究極の贅沢だった。

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先日は、少し元気が出てきたので、夜にクッキーを作ってみた。数年前にも挑戦した、栗原はるみさんのジャムクッキーだ。

まずは卵、砂糖、小麦粉などの材料をさっくりと混ぜる。ふかふかとやわらかい感触が心地いい。

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スプーンですくったら天板に好きなだけ並べ、生地のまんなかにくぼみを入れ、最後に夏に作った梅ジャムをぽとりと落とす。

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オーブンに入れ、待つこと15分。生地はこんがり色づいて、リビングは甘い香りに包まれる。

でも、オーブンを覗きながら、あらら、と思う。

焼きあがったクッキーは、まるまるとふくれあがって隣同士がくっついて、個性的な形になってしまった。

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急に慣れないことをするからだよ。もっと間隔をあけたほうがいいんじゃない?って言ったのに。もうひとりの自分があきれたように言う。

でも、終わりよければすべてよし。
焼き立てのクッキーは、いつだっておいしい。ため息が出るくらいおいしい。
どんな形をしていても、甘くてあったかくてほろほろだ。

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夢中で何枚か食べて、残りは容器にしまった。

残り香に包まれながら寝る準備をして、静かに布団に入る。

いい夢を見れますように。
明日もちゃんと食べて、よく眠れますように。

奥村まほ

1992年、富山県生まれの文筆家。中央省庁とIT企業での勤務を経て、フリーで執筆・編集を軸に活動中。なにげない日常の煌めきや食べ物の記憶を言葉と写真で切り取るのが趣味で、おやつとミルクティーとスパイスカレーをこよなく愛す。note(https://note.com/kiizukimaho)では食べ物や暮らし、生き方にまつわるエッセイを投稿している。ポプラ文庫『夜更けのおつまみ』にエッセイ掲載。

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