ケーキが心に呼び起こすもの

晴れでも雨でも食べるのだ。 #33

LIFE STYLE
2023.01.25

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」今回はケーキと奥村さんの関係について。ケーキにはいつも、特別な記憶が結びついているのかもしれません。


クリスマスイブの午後、私は自転車で坂を駆けのぼっていた。息を切らしながら、「売り切れていませんように」と願いながら。

目的地は、最近お気に入りのケーキ屋さん。どのケーキを食べても唸るほどおいしいので、クリスマスもここにしよう、と決めていた。

晴天の下、厚手のコートに手袋にマフラーとしっかり着込み、冷たい風の中を走っていく。

ケーキには、そのためだけに遠くまで走ろうと思えるだけの、ものすごい引力がある。

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でも実は、ケーキと自分の関係についてずっと疑問に思ってきたことがある。

よくよく考えてみると、子ども時代には「ケーキが好きだった」と言えるようなエピソードがなく、大人になってからも、ケーキのためならきつい坂もいとわないにもかかわらず、「好きな食べものはケーキです」と名指しできるほどではないのだ。

幼稚園児の頃、将来の夢を尋ねられたときには、「ケーキ屋さん」と答える女の子がまわりに多い中で、かたくなに「お花屋さん!」と言い続けていた。小学生の頃に流行ったプロフィール帳の「好きな食べもの」欄にも、「ケーキ」の文字は一度も書かなかった。

思えば、物心がついた頃から生クリームがどうも苦手で、選ぶならチョコレートケーキ一択。特にいちごのショートケーキに対しては、複雑な思いさえ抱いていた。

ケーキにはたくさんの種類があるのに、どうしてこのケーキばかりが代表のように扱われるのだろう。どうしてデコレーションケーキはショートケーキばかりなのだろう。

ショートケーキの破格の扱いに不満を感じ、推しのチョコレートケーキの微妙な立ち位置を嘆いたりもした。妹はショートケーキ派、私はチョコレートケーキ派と好みが違っていたから、誕生日もクリスマスも、たいていカットケーキを買ってもらった。

東京に来てからは、おいしいケーキ屋さんをめぐり、幅広い種類のケーキを食べるようになったが、それでもやっぱり、「好きな食べものは?」と問われたときに「ケーキ」の文字は思い浮かばなかった。好きといえば好きなのだが、クリームとスポンジの組み合わせが大好きとか、何個でも食べられるとか、そういうのとはちょっと違うのだ。

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ではなぜ、私は「ケーキ」という言葉を見聞きするたびに胸が踊るんだろう。なぜ、父がケーキの箱を持ち帰ってくると、あんなに嬉しかったんだろう。なぜケーキ屋さんの前を通るたびに、つい立ち止まってショーウインドウを眺めてしまうのだろう。

ケーキを選ぶ時間は、どうして今も昔も、夢のように明るくて温かいのだろう。

ものすごく好きというわけではないのに、他の食べものには感じたことのない高揚感を覚える。

この気持ちは一体何なんだろうと、ずっと疑問に思っていたのだけど、あるとき、この謎を解決してくれる文章に出会った。

「ケーキ、という言葉には、実物以上の何かがある。」という一文から始まる、江國香織さんのエッセイだ。『とるにたらないものもの』(集英社)というエッセイ集に収録されている。

“ケーキ、という言葉の喚起する、甘くささやかな幸福のイメージ。大切なのはそれであって、それは、具体的な一個のケーキとは、いっそ無関係といっていい。”

私はこの文章を読んだとき、長年の疑問が晴れたような気がした。

そうか、私は個々のケーキが好きというよりも、ケーキのまとう雰囲気や空気に惹かれているんだ。幸せの象徴のような、ケーキという概念にあこがれているんだ。

胸にストンと落ちた。
これまで食べてきたケーキも、たしかに幸福のイメージをまとっている。

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私が初めてケーキに出会ったのは、おそらく2歳の誕生日。昔のアルバムには、母が作ってくれたのであろう大きなホールケーキの前で、満足げに笑っている写真がある。

まだ小さかったから、実際に食べたのかどうかは定かではないけれど、ケーキを目の前にして心がぽわんと温まっていく感覚は、きっとこのときに覚えたのだろう。それから高校を卒業するまで、生きていること自体を「おめでとう」と祝ってもらえる日には、必ずケーキがついてきた。

学生になると自分でケーキを買うようになり、「食べ切れないから」と近所に住む同級生を家に呼んだり、逆におすそわけをもらったりするようになった。

資格試験に合格した友人を祝うときには、初めて名前とメッセージ入りのホールケーキを買った。「実は私も……」と相手もホールケーキを買ってきたことがわかり、顔を見合わせた。二人で鍋をした直後に、二つのホールケーキを完食。深夜0時に腹をぱんぱん叩きながら「意外といけるもんだね」と笑い合ったのが懐かしい。

バイト先の塾を卒業するときには、授業後に他の先生たちと飲みに行き、甘いものが好きそうだからと箱にみっちり詰まったカットケーキをプレゼントされた。帰宅後「お疲れさま」と自分を労いながら、またもや深夜に一人分とは思えない量のケーキを頬張った。

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夫と暮らすようになってからは、ケーキがさらに身近になった。サイクリングがてらおいしいランチを食べに行き、ケーキを買って家に帰る。休日によくある行動パターンだ。

他にもたとえば、けんかをしたときに、罪滅ぼしのような意味合いでケーキを買って冷蔵庫に入れておく。けんかをしていなくても、あなたのことを思っていますよ、あなたとこれからも楽しく過ごしたいんですよ、と伝えるためにケーキを買う。

相手がケーキの箱を持って帰ってくると、どういう気持ちで買ってきてくれたのか、なんとなくだけどわかってしまう。

ケーキには、あらゆる想いをのせることができる。

クリスマスイブの日、お目当てのケーキ屋には長蛇の列ができていた。どの人も、いい意味で舞い上がっているように見えた。

チョコとコーヒーのケーキ、レアチーズケーキ、ラムレーズンのケーキ、りんごのタルト。四種類のケーキを選び、箱をリュックに入れて慎重に自転車を漕いだ。

夕飯を終え、温かいお茶を入れ、冷蔵庫から真っ白な箱をそっと取り出す。職人技が散りばめられたケーキたちがあらわれると、キッチンはぱっと華やいだ。

小さなカットケーキにろうそくを灯す夫の手を見ていたら、なぜかよくわからないけれど、じんとした。

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