沖縄の風とリズムに乗って

晴れでも雨でも食べるのだ。 #36

LIFE STYLE
2023.05.23

食べものや飲みものにまつわるあたたかな記憶とその風景を、奥村まほさんの言葉で綴るエッセイ「晴れでも雨でも食べるのだ。」沖縄に引っ越した奥村さん。雨の大変な引っ越し初日、小料理屋さんですてきな出会いがあったようです。


飛行機をおりると、もわっと湿った風に包まれた。めんそーれと書かれた大きな看板。かりゆしシャツを着た職員さん。麦わら帽子やサングラスを身につけたカップル。開放的でなごやかな雰囲気のなかで、私も旅行しにきたんだっけ、と錯覚しそうになる。

沖縄を訪れるのは人生で二度目。学生時代の卒業旅行以来だ。美ら海水族館のジンベイザメ。青の洞窟でのシュノーケリング。定番の観光スポットで友人たちとはしゃいだ記憶があるだけで、街の記憶はほとんどない。

ほんとうに来てしまったのか。

現実味を感じられないまま、アトラクションに乗っている気分でモノレールの中から那覇の街並みを眺めた。

沖縄とは縁遠い人生を歩んできた。

過去に暮らしたことがある都道府県は、関東をのぞけば富山、福井、北海道と見事に雪国ばかり。夫が登山や日本酒を好むので、旅行先も東北や北陸が多かった。あまりにも接点がないからか、南国リゾートにあこがれを抱いたこともない。

だからだろうか。沖縄への引っ越しが決まり、周囲から「うらやましい」とか「いいところじゃん」などと言われても、いまいちピンとこなかった。

そもそも、旅をするのと住むのとではわけがちがう。一年中湿気が多い、台風が多い、虫が多い、物価が高い。情報を集めれば集めるほどプラスよりもマイナスな要素ばかりが目についてしまい、どうにも気持ちが盛り上がらなかった。

しかも引っ越し業者は繁忙期。荷物が届くまで10日ほど実家やホテルで過ごさなければならないなど、長距離移動のめんどくささも感じていた。

だから沖縄の食や文化に関する本や雑誌を読むことで、テンションを上げようと努めてきた。ソーキそば、ゴーヤチャンプルー、海ぶどう。沖縄といわれて思い浮かぶ食べものはそれくらいで、伝統文化もなんとなくしかわからない。

いったいどんなものに出会えるのだろう?
未知との遭遇だけが、楽しみだった。

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引っ越し当日は雨だった。重いリュックを背負い、もう梅雨がはじまったのかと思うような湿った空気の中を歩いていく。正直なところ、ものすごく疲れていた。

新居に到着し、荷物が次々と運び込まれる様子を眺めていると、やっと終わった、とほっとする気持ちと、今からまたこれを片づけるのか…という絶望感が同時に押し寄せてくる。希望といえば、ごはんを食べることくらい。片づけが落ち着くまでは、外食やお惣菜で済ませようと決めていた。

「疲れたー。今日はもうこのくらいにしよう。」

最低限の片づけをして、あとは眠るだけという状態に寝室を整えると、私たちはダンボールの山から抜け出した。

めざすはGoogleマップで見つけた小料理屋。幸いにも、わが家の近所にはいい飲み屋街がある。

商店街から暗い路地に入ってすぐのところにあるその店は、昔ながらの飲み屋らしい風情ある佇まいをしていた。赤い提灯のそばを通ってがらがらと引き戸を開くと、常連客らしき人たちがカウンター席で盛り上がっている。

棚はマジックで名前が書かれた泡盛の瓶で埋めつくされ、空いている座席には三線が置かれていた。天井の角にはテレビがあり、のんびりと眺めている客もいる。地元の人たちの憩いの場であることが一瞬で伝わってくる。

「さきほど電話した者です」
伝えると、優しそうなおかみさんがカウンターの真ん中に案内してくれた。さっそくビールを頼んでメニューを眺める。お通しはもずく酢など三品。かなりのボリュームだったので、とりあえず刺し盛りだけを頼むことにした。

やわらかく肉厚で甘みのある生マグロ。こりっとかみごたえのある島ダコ。失礼ながら沖縄にはおいしい魚介が獲れるイメージを抱いていなかったが、おかみさんが出身地の離島からこだわって仕入れているという魚はどれも新鮮で食べ応えがある。おいしいねえ、と舌鼓を打っていると、右隣から声がした。

「どちらからいらしたんですか」
すぐ近くにいた中高年の男性と女性の二人組にたずねられ、
「今日引っ越してきました」
と答える。

「え?今日?」
「はい、ついさっき。」

そこからだんだんと話がはずみ、お二人やおかみさんと会話をしながら沖縄料理を楽しむことになった。

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美しい柄のかりゆしシャツを着た男性客は、隣の女性客から「先生」と呼ばれていたので、私たちも何の先生かはわからないまま「先生」と呼んだ。先生はとても陽気な人で、おやじギャグやジョークを次々と飛ばして場をなごませつつ、沖縄に関する豆知識を教えてくれた。あちらに一杯、とボトルキープしている泡盛を気前よく夫にごちそうしてくれたりもした。

隣にいる女性も、注文したばかりの「ひらやーちー」という沖縄料理を分けてくれた。ひらやーちーはひらたく焼くという意味で、沖縄では定番の家庭料理なのだそうだ。

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小麦粉・卵・だしでできた生地にねぎなどが散らしてあるひらやーちーは、沖縄版のお好み焼きといわれることもあり、ちぢみやクレープにも似ている。

「小さい頃、台風や停電の日はだいたいこれを食べてました。常備食みたいなものです。」

女性は丁寧に教えてくれた。私は台風の夜を想像した。窓の外では雨風が吹き荒ぶなか、焼きたてのひらやーちーを家族みんなで囲む様子を。温かい灯りのもとで、みな楽しそうに笑っているイメージが浮かんでくる。実際のところはわからないが、台風すらも大事なイベントのひとつなのかもしれないと思えてきた。

さらにおかみさんからもサーターアンダギーをサービスされ、たくさん頼んだわけでもないのに私たちのお腹はどんどんふくれていった。夫は先生がごちそうしてくれたのと同じ泡盛をボトルキープし、さっそく常連客への仲間入りを果たしている。初日からなかなか飛ばすじゃないか。

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とはいえ明日も、引越しの片づけが待っている。私たちは最後におでんを食べて店を出ることにした。大皿いっぱいに盛られた具はどれもごろごろと大きく、出汁がよく染みている。主役は豚足をやわらかくなるまで煮た「てびち」。あつあつとろとろ、ぷるぷるの食感で、口に入れるとすぐに形がなくなってしまう。

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「沖縄に引っ越すってわかったとき、どう思いました?」

食べている最中に女性にたずねられ、私は一瞬口ごもった。

「……うーん、楽しみと不安と、両方ありましたねえ。」
「そうですよねえ。」

女性は優しくうなずき、
「でも帰るときにはみんな、来てよかったって言ってます。きっと大丈夫」
とほほえんだ。

「じゃあそろそろ。」

いい夜になったなあ。大満足で立ち上がったそのとき、「では歓迎の一曲を」と先生が三線を手に取った。

「両手をあげて。」

何がはじまるんだろう。言われるがまま両手をあげると、おかみさんも両手をあげる。

先生は三線をかき鳴らしながら、よく通る美声で民謡を歌いはじめた。隣の女性はカスタネットのような楽器(三板−サンバ−というらしい)を叩いて軽快なリズムを刻んでいる。それに合わせて、おかみさんは手首を返すように左右に動かし踊りはじめた。

すごい、なんかすごいぞ。この光景、朝ドラか何かで見たことがある。
心拍数が上がっていくのがわかる。私も見よう見まねで踊った。

よくわからないけど楽しい。
適当に手を動かしているだけだけど、楽しい。
同じリズムとメロディーに乗って踊っているだけで、昔から顔を知っている人たちのような気がしてくる。

「こちらは三線の先生で、私は教室の生徒なんです。」

曲が終わると女性が言い、先生は「ようこそ沖縄へ」と言った。
なるほど、ようやく謎がとけた。

全員に見送られて店を出る。
雨はやんでいて、夜風がひんやりと気持ちよかった。

そうか、こうやって馴染んでいけばいいんだ。
同じものを食べ、同じメロディーを歌い、一緒に踊ってみればいい。
沖縄の風とリズムに、乗っかってみればいい。

軽い足どりで家に向かった。

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