大坂なおみ選手の母・環さんが語る、愛と工夫の詰まったおうちごはん

きのう何作った?

2022.09.02

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プロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手の母、大坂環さん。「娘をプロのスポーツ選手に育てる」という目標のもと、家族で海外移住をし、働きながら娘たちの練習環境や食を必死にサポートしてきました。環さんの食や子育てのポリシーとは?

お話を伺った人:大坂環さん

北海道根室市生まれ。24歳の時、ハイチ系アメリカ人と結婚。大阪で5年ほど生活した後、アメリカに移住。ニューヨーク、その後転居したフロリダで日系企業に勤務しながら娘たちの練習、体づくり、遠征の準備など、選手生活をサポート。これまでの半生をまとめたエッセイ本『トンネルの向こうへ 「あと一日だけがんばる」無謀な夢を追い続けた日々』(集英社)が好評発売中。

ヤム芋にオックステール。大坂なおみを育てた「食」

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ーーまりさんもなおみさんも、小さい頃から元気いっぱいだったそうですね。二人は昔から、食への関心も高かったのですか?

他の子と比べたことがないので、あまり分からないですけど、手は掛からなかったと思いますね。離乳食も、まりの時は市販のものを時々使っていましたけど、なおみの時はとにかく適当でした。バナナとかカボチャとかをただ崩して…いや、崩してもいなかったかもしれない(笑)。なおみには、離乳食を作った記憶がないんですよね。ミルクを飲んで、気づいたら、もう茹でたうどんなんかを自分でモシャモシャ食べていたから。

ーー「ヤム」という芋をよく食べさせていたそうですね。

陸上選手のウサイン・ボルト選手がヤムを食べていると聞いたんです。フィットネスコーチからも「ヤムを食べすぎるとドーピング検査に引っかかる」と言われたことがあるくらい、筋肉の増強効果があるそうなんです。それで、一時期は毎日のように、ヤムを食べさせていました。

ーーあまり馴染みがない野菜ですが、どんなふうに調理していたんですか?

じゃがいもの代わりに使っていました。シンプルに揚げたりソテーしたり、コロッケにしたりシチューの具にしたり。ラザニアを作る時に、マッシュしたヤムをひき肉やチーズと一緒に焼くこともありました。ずっと同じような調理方法だと飽きてしまうので、ずいぶん工夫をしましたね。

ーー栄養や食材についての知識を身につけて料理するのは大変だったのでは。

とにかく、頭の中はテニスのことでいっぱいだったんです。「どうやったら良い選手になれるかな」とか「どうやったら上に行けるのかな」とか、そんなことばかり考えていたから。でも「子どもたちが一歩でも理想の姿に近づけるのであれば、何でもやろう」と思っていたので、食事はその一環だったんです。

ーー今は食材を選びやすくなったと思いますが、きっと昔は節約も考えてお買い物をされていましたよね。当時の冷蔵庫の中の定番食材は、なんでしたか?

大阪に住んでいた時は、定番も何もなかったです(笑)。まりが好きだったフルーツジュース、それからまりもなおみも好きだったブロッコリーぐらい。

私が仕事の帰りに安売りされている食材を買って、食事を作っていました。もやしが安かったらもやしで何か作るし、豆腐が安かったらひき肉と合わせて麻婆豆腐を作るし。とにかく、特売のものを活かした料理でした。

ーーニューヨークに行ってからはどうでしょう?

ニューヨークではね、大人数で住んでいたんです。義母、乳母、乳母の子ども、義弟、義理の姪と甥…しかも夫の仕事の関係者もよく家に泊まっていたから、家にはいつも、たくさんの人がいました。

1階に大きな冷蔵庫があったんですけど、ジュースでもお肉でも、そこに入れておくといつの間にか誰かに食べられちゃう状態で(笑)。別途小さな冷蔵庫も置いていたけど、そんなに入らないから食材の買いだめもできなかったんです。夜ごはんも、なるべく毎日作るようにしていたけれど、忙しい日はテイクアウトを利用したり、義母に豆ごはんを分けてもらって、おかずだけ作ったりね。

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ーーキューバサンドをアレンジした「マミータ・パニーニ」など、環さんの創作料理が書籍の中でもたくさん紹介されていますが、どれも手軽に作れそうですよね。

簡単よ!難しいものは何もない。オックステールのシチューが一番手間がかかるかな。でも、それ以外はどれも手軽です。

仕事をしていても、海外に住んでいても「食事が大変だったことはない」

ーー大阪で生活されていた頃は、環さんもフルタイムで働いていたそうですね。日々のごはんはどうされていたのですか?

朝、何かを作ってから私は仕事して、終わったらスーパーに寄って、家に帰って、夕飯を作る…という流れでしたね。出勤前にちょっと作り置きはしていました。保育園には入れず、昼は夫が子どもたちを見ていて、私が帰ってから彼が仕事に行く毎日でしたね。

ーーすごいですね。想像がつかないです。ハードな日々の中、食事にも気をつかっていたんですよね。

子どもたちには加工食品を食べさせなかったけど、そんなに難しいことをしているわけではないですよ。ただ魚を焼くとか、野菜を蒸すとか。そんな食事を用意して、私は仕事に行くだけ。食べ物に関して、そんなにがんばったとは思ってないんですよね。

ーー普段料理をしない人から見ると、ハードルが高いようにも感じます。

他の人がどういうものを作っているのか分からないので、比べようがないのですが、全然ですよ。だけど、「環さんはいろいろなメニューを作ってくれたよね」と言われたことがあって、その時に「ああ、もしかしたら普通はそんなに料理を作らないのかな?」と思ったことはありますね。

なおみがウィンブルドンに出場する時は、毎回会場の目の前の一軒家を借りて、みんなのごはんを作っていたんです。天候が悪かったり、自分たちの前の試合が長引いたりするので、時間が余ったら、その家に帰ってきてね。チームのメンバーのほかにも、スポンサーやエージェントの関係者なども来て、たまり場になっていたんです。来てくれる方々にWhatsAppやLINEで「①ラム肉のシチュー②サーモン③パスタ」とかお品書きを送っていました。

ーーおもてなしがすごいです。日本育ちだった環さんが言葉も料理も全然違う文化に適応するのは大変だったのでは?

うーん、料理を作ることに関して、きついなと思ったことはないんですよね。

大変だったのは、試合で遠征する時くらい。いつも、自分の荷物とは別に、変圧器と重いジューサーをスーツケースに入れて持ち歩くんです。それでオリジナルのジュースを作っていたんですけど、「ちょっとこれはやりすぎかな?」と思ったこともありました(笑)。でも、普段のごはんに関しては無理したことないんですよ。

ーー海外で日本の食材を購入しようとすると価格が高いと思うのですが、現地の食材で代用することもあるんでしょうか。

フロリダに行ってからは、「これぞ日本食」みたいな食事はほとんど作っていないし、それまでも「これを食べないとダメ」という食材はなくて。現地にあるものをどんどん採用して、柔軟性を持って料理をしていました。

ーー海外では、魚の切り身が売っていないという話をよく聞くんですが、困ったことはなかったですか?

アメリカでは、魚はバーンと大きい半身で売っていることが多いですね。それを1パウンドとか5パウンドとか必要な量買って、自分で切って、調理をするんです。

でも、そもそも「日本の食材を100%使って、日本食を作ろう」という感覚はなかったかもしれないです。とりあえず、何でもいいから適当に作る。私の得意料理は冷蔵庫の余り物でとりあえず何か作るもの。娘たちには「わー!何にもないのにお母さんよくこんな料理を作れたね!」といつも言われていたので、多分、節約料理が得意なんです。

心がけていたのは、親の気持ちを押し付けないこと

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ーー「娘をプロスポーツ選手に育てたい」と強く思う中で、「食事の管理は自分にかかっている」とプレッシャーを感じたことはなかったですか。

ないない。そんなの、本当にないですよ。考えはシンプルで、「食べられるものを食べる。買えないものは買わない」。とにかく安くて栄養価のあるもので、毎日の食事を作るだけでした。

大阪に住んでいた時代、本当にお金がない時は、鶏肉が高かったら、厚揚げを代わりに炒め物の具材として使っていましたね。とにかく、本当に節約料理でなんとかやっていた感じです。

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ーー書籍にも「サバイバル麺」というレシピが載っていますね。インスタントラーメンに、お肉や野菜を刻んでたっぷり入れるシンプルなメニュー。これも思い出深いメニューなのでは?

これはね、友達の料理をアレンジしたものなの(笑)。夫が映画や音楽ビデオの撮影をやっていた時にね、ラッパーが、インスタントラーメンの麺を油で炒めて、そこに付属の粉末スープを絡めて食べていたんですよ。

うちも二間の貧乏アパート暮らしでしたけど、そのラッパーをはじめ、行くところがないという人たちを一か月ぐらい住まわせていたこともあったんです。そこで彼らが作っていたんだけど、さすがに麺だけでは…と思って、玉ねぎとか肉の細切れとかを一緒に入れて振る舞ったんです。そうしたら、おいしいと大好評で。それが「サバイバル麺」の始まり。

ーー材料や調味料もほとんど「適量」で、自由ですね。

私の料理は、大抵そうなの。本を出す時にも編集者に「この材料は何グラムですか?」と聞かれるんだけど、「適量」としか答えようがないんです。私の料理は、オックステール(牛のしっぽ)の煮込みでもなんでも、味付けによっていろいろ違うから。

ーーアスリートとして食事の節制が必要ですが、「どうしても食べたい!」という時もあるかと思います。食事をサポートする環さんは、どうバランスを調整していましたか?

スポーツ選手でも何でも、365日何年も何十年も節制するのは無理無理!絶対に無理!だから「チートデイ」を設けていました。たとえば一週間のうち、月曜日から土曜日までは野菜をいっぱい食べて、お米は控えめにする。けれど、日曜日はチートデイだからちょっとズルをしてもいい。ピザを食べても、お肉をたくさん食べてもいい。たとえそれで太ってしまっても、また次の月曜日からがんばればいいからね。

まりとなおみが節制ダイエットに励んだ時もあったけれど、それは娘たちが自分でやり始めたこと。自分で鶏のむね肉を茹でて、ブロッコリーやほうれん草を蒸して、食べていましたね。私が考えを押し付けたことは、1回もないです。

ーー「世界をとるぞ、アスリートの母として支えるぞ」という覚悟が生まれたのはいつ頃だったんですか?

結構早い段階からですね。子どもたちが12、13歳のころかな?フロリダに来てからは特に「これは人生を捧げよう」と思いました。もう子どものこと、テニスのことだけしか考えていなかったですね。

ーー一方で、環さんはあまり思いつめすぎない柔軟性も持たれているなと思います。子どものやりたいことを応援しつつ、無理もさせない。バランスはどう意識していましたか?

うちも、夫が当初はよく口を出していたんですよ。娘が試合に負けるたびに、サーブがどうだとか、もっと試合中に調整しろとかね。でも、娘も負けたくて負けているわけじゃない。親の気持ちを子どもに押し付けるのはよくないと思って、「やらないようにしよう」と。

もし万が一、子どもたちが途中で「テニスをやりたくない」となったら、それならそれでいいと思っていました。でも、子どもたちが自分で「テニスをやりたい」と決めたし、「テニスの選手になる以外考えられない」と言っていたから。子どもたちの気持ちを応援して、自分自身の考えを押し付けはしたことないですね。

「大丈夫。がんばっていれば、最後はなんとかなる」

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ーー今、娘さんたちが立派に巣立っていって、解放感を感じていますか?

確かに解放されてはいるんですけど、解放感はあまり感じていないかもしれないですね。私、やっぱり料理が好きなんですよ。まりの家に行ったり、なおみの家に行ったりして、そこに友達がいたりして、みんなでわいわい食べるのが楽しいんです。

ーー素敵です。食卓を囲みながらどんな会話をしているのですか?

昔はごはんを食べている時はあまりテニスの話をしないように意識していたんです。けど、とにかくテニスのことしか知らなかったから、結局テニス関係の話になっていたんです。ジュニアのテニスの大会の話とか、誰々の選手のお姉ちゃんがこんな活躍をしたとかね。

大人になってからは、仕事の話とか、人生の話とか、彼氏の話とか。そういう話になるかな。話題も変化したなと思います。

ーー節制する必要もなくなった今、どういう風に料理と向き合っていますか?

それがね、いくらお金を気にしなくてもいい状況になってもね、貧乏生活が何十年も続いたために、スーパーで値段を見てしまうの。値段が気になっちゃって、しょうがない(笑)。高いものは怖くて買えない。だから、結局何も変わってないですよ。

ーー最後に、アイスムの読者、特に子育て中の方々に向けて、メッセージをお願いします!

男女平等になりつつあるとはいえ、まだまだ「お母さんが家事や育児をメインでやる」という家庭が日本には多いじゃない?だから今、本当に毎日大変だと思うんです。30代、40代の女性は、お金も時間も、自分を後回しにして家族を優先する人が多いはず。死に物狂いだと思うんです。でもね、大丈夫。とにかくがんばってやっていれば、最後はなんとかなりますよ。

小沢あや

ピース株式会社 代表取締役。音楽レーベルで営業とPRを経験後、IT企業を経て、2018年に独立。エッセイのほか、女性アイドルやミュージシャン、経営者のインタビューを多数執筆。Engadget日本版にて「ワーママのガジェット育児日記」、「フリーランスな私たち」連載中。豊島区公認の池袋愛好家としても活動している。

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取材・編集:小沢あや(ピース株式会社)
構成:五月女菜穂

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