通夜の夜の秋祭り

わが家の笑顔おすそわけ #6「思い出の旅」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2020.08.19

「思い出の旅」というテーマに、どうしたものかな…と考え込んだ。

我が家は夫の仕事のシフトが直前まで分からず、連休もめったに取れないため、家族旅行は至難の業である。遠出らしいのは実家である北海道への帰省くらいで、旅情など感じる暇もない、というのが正直なところだ。

結婚してからは一人旅もとんと縁がないし……と考えてふと、六年前に静岡へ出かけたことを思い出した。

厳密に言えば旅行ではない。母方の伯父が亡くなり、その通夜に参列するために、まだ幼かった子ども二人を預けて、一人で新幹線に乗ったのだ。

昔から私を可愛がってくれた伯父だった。内装業を営んでおり、ヤンチャな若い職人たちを束ねていることもあって外見はとても堅気には見えないような厳つい人だったが、話してみると意外なほどはにかみ屋で、家に遊びに行くといつもおいしいものを食べきれないほど用意してくれていた。

景気悪化の煽りを受けて北海道の会社を畳み、自慢だった立派な一戸建ても手放した。それでも職人としての腕が確かな人だったから、あちこちの現場に助っ人に呼ばれて全国を飛び回って生計を立てていた。縁あって静岡に落ち着いて、ふたたび事業を興した矢先に病気が見つかり、長患いの末に亡くなったのだった。

そんな伯父の半生を思い返しながら、私はひとり朝のうち、千葉から、斎場のある浜松へと向かった。悲しくないと言えば嘘になる。しかし、余命のことはしばらく前に知らされていたし、亡くなる半年ほど前に、これが最後だと覚悟して本人に会うこともできていた。

だから、心のどこかで、まだまだ手のかかる子どもたちの育児から解放されて一人で遠出する、どこか浮ついたような解放感を感じていたことも確かだ。

東京駅でカツサンドとお茶を買い、いそいそとホームの行列に並んだ。滑り込んできた新幹線が、現実味がないほどぴかぴかに綺麗だったことを覚えている。
その日は金曜で、翌日は娘の幼稚園の運動会の予定だった。通夜にだけ顔をだして、最終の新幹線でまた自宅に帰り、数時間休んだら運動会の弁当を作らなければならない。大急ぎのとんぼ返りだ。

車窓に流れる景色を目で追いながら、伯父のことや明日の段取りのこと、近くの席の賑やかな外国人観光客のことや、喪服一式や香典の準備のこと……さまざまを頭の中で、落ち着きなく飛び回るままにしているうち、新幹線はあっけなく目的地に到着した。そこからローカル線を乗り継ぎ、小さな街の駅前に降り立ったのは昼下がりだった。駅から更にタクシーに乗る。どこか懐かしい雰囲気の商店街を抜け走ると、そこが伯父の通夜会場だった。

故人の親族である旨を告げると、斎場の係員が「今、故人様の湯灌が終わったところです、お傍にいてあげてください」と、私を奥の座敷へと誘う。

なんの手違いか、遺族である伯母や従姉弟たちが全員出払ってしまったらしい。私は心の準備もろくにできないままに、冷たくなった伯父と対面した。

目を閉じた伯父の面差しは、半年前と比べてもやつれきっていた。切なくて直視できず、身の置き所のない気持ちでいたら、あらもう着いてたの、遠くからありがとうね、と伯母たちの声がした。

ほっとしてお悔やみを述べると、伯母は目に涙を浮かべながら、それでもどこか肩の荷が下りた様子だった。「伯父さんの顔見た?あんまり変わってないでしょう、生きてるみたい」という伯母の言葉に、最後に私が伯父と会ってからの過酷な闘病の半年間の長さを感じて、この時はじめて私の目からも涙がこぼれた。

強行スケジュールで少しだけ参列を迷っていたが、やっぱり来てよかったのだ、と思った。

とにかく顔だけ出して……というくらいの気持ちだったのだが、参列できる親族の数が少ないということで、伯母に頼まれ、思いがけず通夜の受付を任されることになった。持参した喪服に慌てて着替え、斎場の係員と打ち合わせに入る。

これでは伯父を偲ぶひまもないのではないか……そんな風にも思っていたが、次々にやって来る弔問客の姿を見て考えを改めた。

通夜には平服で訪れてもよい、というのがこの土地の習いらしく、伯父の仕事仲間だった大勢の人たちが、みな仕事終わりの作業着姿のままで香典袋を差し出してくれた。真っ赤になった目を、グローブみたいなごつい手でぬぐいながら来てくれた人もいた。在りし日の伯父の人柄と、誠実な仕事ぶりが伝わってくるようだった。

通夜が終わり、大急ぎで受付の仕事を片付けて、私はまたタクシーに飛び乗った。何とか最終の新幹線に間に合いそうだ、とほっとして窓の外を見ると、あかあかと提灯を灯したお神輿の行列が目に飛び込んできた。そう思えば通夜の間も、祭囃子がどこからか聴こえていたのを思い出した。

「今日はお祭りですか」と呟くと、タクシーの運転手が「近くの神社の秋祭りなんですよ、お客さん、お通夜の日に不謹慎みたいだけど、歴史のあるお祭りなんですよ」と喪服の私を気遣いながら教えてくれた。

すっかり暗くなった晩秋の商店街を、オレンジの灯で照らしながらゆくお神輿は、法被姿の人たちの賑やかな掛け声と共に、すぐに背後に遠ざかっていった。

産まれて祝われるのも、この世を去って見送られるのも、どちらにも相応しい風景のような気がした。

故人もきっと喜んでいると思います、伯父は賑やかなのが好きな人だったから、そう言ってタクシーを降りた。

幸い、何とか予定の電車に間に合った。座席に腰を下ろすと、今日いちにちの疲れと、明日からの忙しさにため息が出そうになる。

それを飲み込んで、生きて元気なうちは何とかかんとか頑張りますか、と背筋を伸ばした。

祭囃子が、まだ耳の奥で鳴っていた。

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