私の休日に朝という文字はない

わが家の笑顔おすそわけ #8 「休日の過ごし方」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2020.10.17

アイスム編集部から「休日(の朝)の過ごし方」という今月のテーマを頂いたとき、私はほとほと困り果てた。

世間では著名人のモーニングルーティン動画などがバズりまくっており、素敵な朝は素敵な一日のはじまり、朝活で仕事も私生活も絶好調、毎朝ジューサーで作るフレッシュなオーガニック野菜のスムージーのおかげで年収は5倍になり石油王からプロポーズされムダ毛も生えなくなりました!というような勢いである。

朝の過ごし方。しかも休日の朝。小学生と中学生の二児の母である私、甘木サカヱのホリデーモーニングルーティンはというと。

寝ている。寝過ごしている。心地よいまどろみの中。惰眠をむさぼっている。

どれだけ言葉を変えても事実は変わらない。私の休日の、とくに出かける予定のない朝の過ごし方、昼近くまで睡眠。以上である。

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もちろんこれで終わってしまってはコラムにならない。
言い訳をすると、私だってそれなりに休日の朝から頑張っていた過去はあった。息子がサッカーを習っていた数年前は、週末はほとんどいつも練習試合や遠征の付き添いだった。

もともと私も息子も体育会系とは対極にある性格のくせに、息子の友達に誘われるがまま、よく調べもせずに入会したサッカークラブが、保護者がとても熱心に活動に参加するタイプの団体だったのである。

飲み物や弁当を用意して子供たちをグラウンドへ送り迎えし、試合中は声援を送ったり、長い待機時間にはほかのママさんたちとの微妙な人間関係に神経をすり減らしたりしていた。
夏は殺人的な暑さにぐったりし、冬は歯の根もかみ合わぬほど身体が冷え切りながらも、いわゆるサッカーママをやっていたのである。

当時はほぼフルタイムで働いていたこともあり、もともと体力のない私にとって、ほとんど息つく暇のない日々は非常にハードだった。当然、体調はじわじわと悪くなるし、気持ちにも余裕がなくなり、イライラすることが増える。

それでも、息子のため、お世話になっているチームのため……と自分に言い聞かせ、何とか日々をやり過ごしていた。

そんな体力気力ともにギリギリの綱渡り的な日々は、長くは続かなかった。サッカーに翻弄される生活に陰りが生じたのは、息子の行き渋りがはじまりだった。

朝、起こしても息子はなかなか起きずにいつも遅刻ギリギリ。試合のない普通の練習の日は休みたいと言いはじめ、そのうち土日どちらか一日は、たとえ試合の日でも休みたいと訴えるようになった。

息子自身がやりたいと言い、土日が休みじゃなくても大丈夫、ちゃんとサボらずに練習にも行く、と何度も堅く約束をして始めたサッカーである。ここでわがままを聞いて休ませたら、息子を甘やかすことになってしまう、自分でした約束は守らせなければ、と、何とか金曜の夜に早く寝かせたり、朝ごはんに息子の好物を用意して楽しく目覚めさせようとしたりした。

でも、どれも効果はなく、息子も私もどんどん疲れていった。ほどなくして私は、クラブを辞めさせることを決意することになった。

決定的なきっかけは、息子の一言だった。

どうして自分のした約束を守れないの、と私が問い詰めたとき、息子が悪びれる調子もなく言ったのだ。「だってサッカー始める前は、土日休みじゃないのがこんなにきついと思わなかったんだもん!」と。

これを聞いた瞬間、そりゃそうか、と納得してしまった。いい大人である私自身、実際に息子が入会するまでサッカーママ業がこんなに大変だとは思っていなかったのである。わずか10歳やそこらの息子が、そんなに正確に未来の自分について予想ができないのは当たり前ではないか。

そして一方、なぜ私は息子にサッカーを続けさせたいのか、ということも改めて考えてみた。すぐ諦める子になってほしくない、という建前のもとに、実際はほかの熱心な親御さんたちの手前、辞めると言い出せない空気があるからじゃないか、ということに気づいた。

息子がサッカーを辞めることで、私がほかの親御さんたちと気まずくなる以外に、何かデメリットはあるだろうか?考えてみるとこれが大して浮かばないのである。

息子の運動習慣がなくなってしまうことについては、もっとマイペースに続けられる、本人の性格に合った場所を探せばいい。揃えたシューズやユニホームも、決して安い買い物ではなかったが、今後息子のお尻を叩いて無理やり続けさせなければならないほどの後戻りできない投資ではない。

私の体調のことだって、息子が楽しく熱心にサッカーを続けているならばどれだけでも無理をしてサポートするけれども、本人のやる気がもはやゼロである現状、私が身体を壊してまで無理強いをさせる理由はないのである。

だったら、もういいじゃないか。私たちは親子ともども、つくづく体育会系なノリとハードなスケジュールには向いていないのだ、という貴重な学びを得てこのクラブを卒業するのだ。

そう納得して、我々はわずか2年余りのサッカー漬け生活から足を洗ったのである。

少し気まずい思いもしたが、ベストではなくベターを選んでいく。これもまた、子育てをしていて貴重な学びの一つではある。

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そんなわけで私の休日の朝は、とくに予定のない限り、思う存分に惰眠をむさぼることのできるスペシャルでプレシャスな時間となった。

子ども達の休日の朝ごはんはというと、パンを自分でトースターで焼いたり、タイマーで炊いておいたごはんをお茶漬けにしたり、あるいは休日でも早起きの同居の義母がせっせと用意してくれたりする。

最近では、義母に似たのか早起きな娘が自分でパンケーキを焼いたり、母に似て朝の弱い息子がゆっくり起きてスコーンを焼いていたりもする。

家族の大多数がすっかり一日をスタートさせ、なんなら家事や庭仕事などひと仕事終えたころにボサボサ頭と寝起きの眼をこすりながら「おそようございます!」と堂々と現れるのが、同居嫁の立場の私である。義父母の冷たい目も、ここ最近は嫁の生態を受け入れてくれたのか生暖かくなりつつある。単に私が冷たさに慣れたせいかもしれないが。

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そうして残り物などで朝昼兼用の適当な食事をし、なんなら続けて家族の昼食を用意してそれも結局一緒に食べ、大抵溜まっている大量の洗濯をしてベランダに干す頃には「これ、外に干しても意味あるかな……すぐ陽が沈むんじゃ……」と思うくらいの昼下がりになっているのである。

ご近所から、甘木さんちのお嫁さんはだらしないわね、と思われてるかもしれないが、背に腹は代えられない。ベストよりベター。私の休日に朝という言葉はないのである。

ひと仕事終えると、たいていは子ども達を連れ、普段は行けない大きな図書館に行ったり、馴染みの小さな本屋やカフェに行ったりする。コロナ禍で遠出はなかなか難しくなってしまったが、その分、身近な小さなお店に足を運ぶことが増えた。

個性豊かな店主の皆さんにかわいがってもらい、子供たちもまんざらではない様子だ。息子など、近所のおいしいコーヒー屋に連れていくうちに焙煎したての本格的なコーヒーの味に目覚めてしまい、まだ中学生にもかかわらず、インスタントコーヒーはとても飲めない、などと生意気なことを言い出す始末である。

そうこうしていると、あっという間に日没だ。ちなみに休日の夜は、よく家族総出で餃子を作る。時間に余裕があれば、強力粉をこねて皮から手作りする。小さく切った生地を綿棒で丸く伸ばすのは息子が一番上手い。包むスピードと技術は私が一番だが、最近は夫と娘もめきめきと腕を上げてきた。大きなホットプレートに香ばしく焼きあがった餃子がずらりと並ぶさまは壮観だ。こうして我が家の休日は暮れてゆく。

終わりよければすべてよし、なのである。

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