真っ黒焦げのハンバーグ(?)が、私の原点

わが家の笑顔おすそわけ #15「子どもの料理」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2021.05.27

子どもの頃、初めて作った料理のことはよく覚えています。

今では6人家族の主婦として毎日食事を作り、SNSで料理の画像やレシピをアップすると、ありがたいことに好意的な感想もたくさんいただけるようになりました。苦手なことの多い家事の中でも、料理だけははっきりと好き!と言えます。限られた予算と時間の中でできるだけおいしいものを作ることは、わりあい得意と言っても良いのではと、少々の自信も持てるようになりました。

そんな私ですが、小学校4年生の頃、初めて自分ひとりで作った料理のことは忘れられません。

それはもう、惨憺たる出来のハンバーグでした。

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昔から妙に思い切りの良いところがあった私は、ある日突然、そうだハンバーグを作ろう!と思い立ちました。

普通ならレシピ本などを見て作り方を調べると思うのですが、当時の私は「私なら料理本なんて無くて平気!天性の料理センスであっという間にふっくらジューシーハンバーグが焼ける!」という謎の自信に満ち溢れていました。
実家が自営業の飲食店で、手際よく調理をする両親の姿を日常的に見ていた、というのもあるかもしれません。

でも、「門前の小僧習わぬ経を読む」とは言うものの、私の場合はきちんと経を聞いてもおらず、ぼんやりとしたイメージだけのうろ覚え。だというのに、その気になればちょちょいのちょい、10分もあれば立派なおいしい料理ができあがるはず!と、家業であるがゆえに完全に料理を舐め切った状態だったわけなのです。

父の目を盗んで、調理場の冷蔵庫に常備されているひき肉と玉ねぎを少々拝借してきた私は、とにかく玉ねぎをざくざくと刻みました。結果として、1センチ角ほどの、ごく大雑把な大きさのみじん切りが完成。それをひき肉に混ぜてこね、肉団子のようにころんと丸っこくまとめて(その方が肉厚でおいしそうだと思ったのです)、強火で熱したフライパンへどんどん投入していきました。

いや、ツッコミどころが多すぎる。

玉ねぎの粗さには百歩譲って目をつぶるとして、まず気になるのはつなぎの不在です。パン粉も卵も牛乳も入れず、「原材料:ひき肉と玉ねぎ」だけ。シンプルな原材料にもほどがあります。また、下味の塩やスパイス類もゼロのため、驚くほどに素朴すぎる味わい間違いなし。

そして次に形。ごろんとした肉団子のような形では、中まで火を通すのも大変だし、何より焼いているうちに割れてしまいます。

最後に火加減。とにかく最高火力で焼けばいいだろ?大は小を兼ねる、強火は弱火を兼ねるだろ?という、恐ろしい浅はかさの結果、哀れなハンバーグ、もといひき肉と玉ねぎの集合体は、もうもうと油煙の立ち上がるフライパンへと投入され、外側だけがこんがり……をあっというまに通り越し、あれよあれよという間に真っ黒焦げに。

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この明らかに生焼けのハンバーグを、「よし、ちょっと焦げちゃったけど火が通った!」と楽観的にもほどがある解釈をし、皿に移してさあ食べよう…と、振り返った私の前に立ちはだかっていたのは、般若のような形相の父でした。

ヤバい、怒られる!

無断で店の材料を拝借してきた負い目のある私は、父からの怒号の予感に首をすくめましたが、調理場から出てきたエプロン姿の父は無言でした。そして恐ろしい形相のまま、私が持った皿の中身を一瞥し、「これ何?」と聞きました。

「…ハンバーグ…作ってみたかったから…」と、蚊の鳴くような声で答えた私から皿を奪い取り、真っ黒の球体を睨みつけた父は、その皿にラップをかけて電子レンジに放り込み、中までしっかり火を通しました。

そして、そのつなぎのないパサパサの、料理というよりはむしろ炭をまとった生肉に近い物体を、一言も発することなく、そして娘に口を挟ませる隙もなく、やや顔をしかめながらも全て平らげたのでした。

父は、料理人だけあって日頃は味にうるさく、食材から調理の仕方、合わせるお酒についてまで、ああでもないこうでもないと長々とうんちくを語りながら食べる人でした。

でもその父があの時どういう気持ちで、明らかな失敗作を文句ひとつ言わずに、娘に食べさせることなく、自分で食べ尽くしたのか今となっては知るすべはありません。(父本人はぴんぴんしているのですが、当人に聞いてもその時のことはさっぱり覚えていないと言うので…)

娘自身の失敗を悟らせないようにという優しさだったのか、食中毒でも起こしたら大変だという心配だったのか、食材を無駄にしたくないというもったいない精神だったのか、それともそれらすべてが合わさった複雑な気持ちだったのか…。

自分が親という立場になって想像してみても、正解はよくわかりません。

確かなのは、あの時の父の行動が、結果として私を料理嫌いにすることなく、更なる挑戦を後押ししてくれた、ということです。(そしてまた、あのタイミングで父が来てくれなかったら、私は生焼けのひき肉で食中毒を起こしかねなかったという意味でもありがたかったです。)

もし、あの失敗作を自分で食べ、そして父から責め立てられていたら、打たれ弱い私はきっとあっという間に自信を無くし、積極的に料理をする気力を失っていただろうと思います。

かといって、明らかにおいしくはなさそうな出来のハンバーグをお世辞で褒められていたら、料理というものを舐め切ってしまったままだったか、それとも子ども扱いされたと思って機嫌を損ねていたかもしれません。

父の無言の完食が、次はもっときちんとした料理を作って、そして今度こそおいしいと言わせてやる…!という闘志を掻き立ててくれました。さらに、無断で使った食材を、自分の浅はかさで失敗作にしてしまった…といううしろめたさまで、優しくぬぐってくれました。

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さて、我が家の子どもたちもそろそろ、一人で料理ができてもいいお年頃。どんどん台所に立ってチャレンジしてほしい…と、ここ数年ずっと思っていたのですが、肝心の当人たちには、いまいちやる気が見受けられません。

下の娘はお菓子作りは大好きなのですが、食事の調理となるとさほど興味が持てない様子。上の息子はコーヒーや紅茶などの嗜好品には非常にこだわりがありますが、やはり食事作りについては積極的ではありません。

どうして子どもたちには食事作りについて自主性が見られないのだろう…食育を失敗してしまっただろうか…と反省したこともありましたが、考えてみれば、私が小学生の頃から台所に立ち始めたのは、両親が家業で忙しく、定休日の日曜の朝などは二人とも起きてくることが出来ず、朝ごはんは自分で用意せざるを得なかったからでした。

「真っ黒焦げのハンバーグ」の出来事があってから、徐々に料理に親しんでいった私は、自らのうなる食欲を満たすため、冷蔵庫の食材をあさり、業務用の塊ベーコンを切り出してベーコンエッグを焼き、鍋に残ったトマトソースを伸ばしてスープを作り、長い食パンを極厚切りにしてチーズをかけてオーブンで焼いたりするようにもなりました。両親も休日に限っては、私が好き勝手に食材を使っても文句は言いませんでした。

材料が豊富にある環境に恵まれたことに加え、私自身の持つ圧倒的な食欲……要するに食い意地があってこその、料理スキルの上達だったのだと思います。

例えば、料理上手の義理の母の元で育った義兄と夫。同じ環境で育っても、冷蔵庫にあるもので手早く料理ができる義兄と、まったくと言っていいほど料理ができない夫、料理スキルには大きな差があります。

夫はそもそも、食べ物の味についてほとんどこだわりがないのです。食べられて、エネルギーが補給できれば何でもいい。ですから料理に情熱を傾けることが難しいのもわかります。

同じ環境で育った兄弟がこれだけ違うのです。我が家の子どもたちについても、最近はあまり杓子定規に考えず、当人の食い意地に任せておけばいいのかもしれない……幸い、二人ともおいしいものは大好きなのだから……と思うようになりました。

上の息子は高校生になり、たまに自分で休日の昼ごはんにパスタを作ったりもしています。自分の手でおいしいものを作ることができる、食いしん坊にとってこれほど魅力的なことはありません。

少しずつでいいから、子どもたちにも料理の楽しさを味わってほしいと思う今日この頃です。

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