真夜中の台所、踏み台、アップルパイ

わが家の笑顔おすそわけ #17「こっそり楽しむ味」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2021.07.29

私には夜更かしの悪い癖があり、とくに深夜の台所にいるのが好きだ。よく家族が寝静まった23時頃から、夜行性の動物のように、おもむろにごそごそ動き出す。

朝起きてから、夕飯の片付けを終えるまでの台所は戦場だ。料理する人がドタバタと動き回り、流し台には鍋やフライパン、皿や茶碗、グラスやマグカップがうず高く積まれる。ようやくそれが熱い湯で洗われ、食器棚や流しの下のあるべき場所に仕舞われたと思ったら、義父が作る家庭菜園の野菜が泥だらけのままどっかりと持ち込まれたりする。

野菜をきれいに洗って片付けたら、早くも次の食事の準備の時間だ。6人家族の台所は、日中はいつでも落ち着きがなく、心が休まる暇というものがない。

料理をするのは好きだ。時間に追われながら大量の食材を刻み、大きな鍋をふるい、夏場の灼熱の台所の中、滝のような汗をタオルでぬぐうような料理の仕方も、祭りの狂騒のようで決して嫌いではない。けれどそんなことを毎日続けていると、ぐつぐつ煮える鍋の中の、産まれては消えていく気泡を、ひたすらじっと眺めるようなことがしたくなってくる。

夜中に私が台所でうごめき出すのはそんな時だ。煮物を煮たり、焼き菓子を作ったり、その時によってメニューは様々だ。

酸っぱい小ぶりなりんごを櫛形に切って鍋に入れ、レモン汁をまぶし、砂糖でくつくつと煮て冷ます。冷たいバターを刻んでパイ生地を作る。

生地を冷蔵庫で休ませる間、台所にいつも置いてある踏み台に腰かけて本を読む。普段なかなか手を付けられない長編の積ん読に手を付けることもあれば、料理雑誌や軽めのエッセイ、漫画を読んでいることも多い。

我が家のキッチンの片隅には、大抵なにか読みかけの本が置いてあり、油やコーヒーの跳ねた染みができていたり、湿気でページがふやけていたりする。表紙がちょっと折れるのも許せない愛書家の方が見たら、きっと悲鳴をあげられるだろう。でも個人的には、染みも破れも、本と一緒に時間を過ごした印だと思えば愛しいほどだ。

img_smile_017-a-01

そんな本たちと一緒に過ごす台所の踏み台は、お風呂用の椅子のような丈夫なプラスチック素材でできていて、もう十数年もの間、我が家の台所に居座っている。

高いところのものを取るときももちろん使われるけれども、それよりも、台所仕事で疲れた時にちょっと腰かけたり、なんとか夕飯を作る気力を絞り出そうとしている「待ち」の時間に茫然と座りこむのに使われたり、こんなふうに夜更けの菓子作りの待ち時間におおいに活用されている。

ふつうの椅子より座面が低く(そもそもが踏み台なので当たり前だ)、座ると人の頭が、台所のカウンターからちょうど見えなくなる。居間から台所へと入ってきた義父母が、私が座り込んでいることにはじめて気づいてギョッとする、ということも日常茶飯事である。家族の気配を感じながらも、ちょっとだけ身を隠せるところが、私がこの踏み台を偏愛している理由だ。

最近では高校生になった息子がやはりこの踏み台を気に入って、自分で淹れたコーヒーを飲みながらスマホをいじっていたり、小腹が空いたときにカップ麺をすすっていたりする。隠れているわけではない、すぐ見つかるのだから決して後ろめたいことをしているわけではないのだけど、それでもちょっと見ただけではそこにいることが家族に悟られない、この空間の良さをわかるとは、我が息子ながらなかなか見どころがある。

そんなふうに子どもと同じ趣味があることを喜びながらも、台所に立ち入った時にふいに低い位置で座る息子に出くわすと、ギョッとして「びっくりした!音も立てないでこんなとこにいないでよ」と、私を見つけた義父母と同じような反応をしたりする。大人なんて勝手なものだ。

休ませておいたパイ生地を冷蔵庫から取り出し、打ち粉をしながら何度も折り返す。パイの層が出来上がっていくのを想像しながら丁寧に、けれど素早く。

そのうちに、バターの油と粉がなじんで、うっとりするようなつややかな手触りになってくる。そうしたらまた生地をラップでくるんで冷蔵庫で休ませる。

このあたりでだいたい、時計は0時の鐘をうつ。我が家の時計はなぜか時報としてロンドンのビッグ・ベンの鐘の音がなる設定となっており、とくに午後12時と午前0時はリンゴンリンゴンといつまでも鳴りやまない。

生地を冷蔵庫に仕舞った後は、ふたたび台所に静寂が訪れる。この「待ち」の時間が、深夜の台所の醍醐味だ。

洗い物を済ませたら再び踏み台に座り込んで読書を始める。ビールやチューハイの缶を開けることもよくある。あくまでパイ生地作りに失敗しない程度に控えなければならないけれども。

img_smile_017-a-02

人間にほどよく酔いがまわってきたあたりで、冷蔵庫のパイ生地も、鍋の中のりんごも冷えて落ち着いてくる。

生地を丸く伸ばしてタルト型に敷き詰め、膨らみすぎないようフォークでつついて穴を開ける。シナモンを加えてえもいわれぬ香りに煮あがったりんごを、パイ生地の上にきれいに敷き詰めたら、細く切ったパイ生地を編み目のように交差させる。ここがアップルパイ作りで一番楽しい工程である。きれいに形ができたら、卵黄を塗って、余熱しておいたオーブンに入れる。ここでまた待ち時間。

日中の気ぜわしい台所では、このたっぷりとした待ち時間がなかなか取れないのだ。他のことをしていてついタイミングを逃したり、丁度良い頃合いに次の作業をしようとすると別の家族が洗い物をしていたりする。

何もせず、ただじっくり待つ、それができる料理の時間がどれだけ贅沢なことか。

バターと粉のふくらむ香ばしい香りを背後から感じながら、ふたたび踏み台に腰かけて本の続きを読む。時計が1時の鐘をうつ。長い長い0時の鐘と比べてどこか間の抜けた響きで、少しだけさみしくなってくる。

パイをオーブンに入れた最後の20分間はいつも落ち着かない。パイ生地がうまく膨らんでいるか、焦げ目はおいしそうについているか、かといって真っ黒焦げになっていやしないか、気が気ではない。本を読んでいても気もそぞろで、2分に1回はオレンジ色の明かりの灯るオーブンの中を覗き込む。いよいよ焼き上がりだ。深夜のキッチンと居間には、バターとりんごとシナモンの香りが充満する。3匹の猫たちが、いつまでも消えない台所の灯りと、ごそごそ動き回る人間のほうを見て、時折ふしぎそうに両目を光らせる。

取り出したパイの粗熱をとり、一切れだけ切り分ける。本当は一晩寝かせてじっくり冷ました方がパイ生地の食感が良いのかもしれないとも思うが、これだけは譲れない。もちろん家族にも食べさせてあげたいと焼いたパイだが、最初の一切れ、焼き立ての温かいやつは私だけのものだ。

冷凍庫を覗くとうまい具合にバニラアイスクリームが少し残っている。黄金色のパイの横に掬って添える。二等辺三角形の頂点を思い切りよくフォークで突き割り、熱でとろけたバニラアイスをからめて一口。二口。

脂質糖質が、とか食べる時間帯が、とか頭の片隅をよぎらないこともないが、今この瞬間、少なくともそんなことは些細な問題だ。

明日になれば家族で分かち合い、おいしく食べるアップルパイ。

でも、最初の一口だけは、深夜の台所にいる人間の特権なのだ。

img_smile_017-a-03

この記事をシェアする
アイスム座談会