愛すべき・狭き・キッチン

わが家の笑顔おすそわけ#25「キッチン」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2022.03.30

振り返ればドア、8畳一間の一口コンロ

私が初めて自分のキッチンと呼べるものを手にしたのは、大学生になり、一人暮らしを始めたアパートだった。

上京してとにかく安い部屋を…と探した物件は、築40年超、風呂なしトイレシャワー共同、8畳一間。間取りは一応、1Kということだったが、キッチンは小さなボウルを置けば一杯になる流し台に、幅、奥行きともに30センチほどの作業スペース。その横に、もちろん一口のコンロ。洗面台などという気の利いたものはないので、自炊から洗面に至るまで、この圧迫感がある空間で済ませなければならなかった。


1Kの「K」は「キッチン」じゃなく、「狭小」ではないか…と、何度も思ったものだ。
とはいっても、夢あふれる初めての一人暮らし。当初の私は、自炊をするやる気に満ちあふれていた。

大小の鍋と小さなフライパン、それに包丁と小さなまな板。ボウルとザルを100円ショップで買ってくると、ろくに収納のないキッチンはもうぎゅうぎゅう詰めだった。

ただでさえ一口コンロの上に、ろくな作業スペースもないので、調理作業には綿密な計画性が要求される。しかし当時の私はそんなものは一欠片も持ち合わせていなかったので、しばしば、伸びきったパスタや、薄焼き卵を下に敷いたオムライスを食べる羽目になった。

どうしても焼きたての干物が食べたくて、焼き網を買ってきて鯵の干物をコンロで炙ったら、換気扇すらない古いアパート中に煙が蔓延し、大家さんに叱られたこともあった。

そんなことを繰り返すうち、私の自炊への情熱は、あっという間に徒歩一分のコンビニに奪い取られる羽目になったのだった。

それでもあの、流し台から振り返れば一歩でドアの外に出られる狭小キッチンを、今でも何となく、懐かしく思い出すのだ。

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灼熱のキッチン

次に私が住んだのは、今の夫と一緒に暮らし始めた3DKの小ぢんまりしたアパートだった。

そのキッチンは今思えば、設備も古いしどこか昭和の香りのする、決して「素敵」と言えるものではなかったのだが、ここには二口コンロが付いていた。しかもなんと、魚焼きグリルまでついている。もちろん、換気扇もある。

少なくともここは、「料理をして食べる」ことが前提として作られていた。それまでの狭小キッチンと比べれば、天と地ほどの差があった。

何より「ダイニングキッチン」と呼ぶだけのことはあり、スペースに多少の余裕があった。大きめの冷蔵庫を買い、レンジと炊飯器が置ける。そんな当たり前のことが、しみじみと嬉しかった。

しかしこのキッチンにも、大きな問題があることが判明した。引っ越して初めて迎える夏のことである。

ダイニングキッチンには、間取りの関係で窓がなかった。玄関からも遠く、恐ろしく風通しの悪い造りになっていたのだ。

そしてなんと、クーラーは一番奥の寝室にしか設置できなかった。しかも6畳用の低パワーのクーラーだ。
寝室のクーラーをガンガン効かせ、キッチンに連なる居間のドアを開け放しても、夏のキッチンの気温は30度。

さらに火を使ったりするとどうなるか…説明するまでもなく、玉の汗の滴り落ちる灼熱地獄。もはやキッチンというよりもサウナである。

夏場にキッチンに立つ時は、可能な限りの薄着で、首や脇にアイスノンを当て、さらに背後から扇風機をぶん回して暑さをしのいだ。

熱を使う作業はなるべくまとめて行ってから玄関ドアを開けて換気をし、それでも暑さに耐えきれなくなった時は冷水シャワーを浴びて体を冷やしていた。

夏場だけとはいえ、今思えばよくそんな環境で数年間も我慢していたものだ、と我ながら呆れかえるけれども、当時の私は二口コンロがあるだけでご満悦だったのだ。

つい無い物ねだりで贅沢になりがちだけれども、「二口コンロがある!これでパスタとソースを別々に作れる!」と飛び上がって喜んだあの日のことを、忘れてはいけない…いややっぱり熱中症は危険だからキッチンにはクーラーをつけてほしい。

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やっと手に入れた広い台所、と思ったら

そうして現在、私が住んでいるのは、夫の両親と二世帯同居する一軒家だ。

家族が多いことを考え、広い間取りの中古住宅を選んだので、キッチンもかなり広く、今までになく快適だ。

ダイニングキッチンには今度こそ強力なクーラーもあるし、何よりオープンキッチンで、壁を向いて一人寂しく調理をすることもない。

収納も豊富だし大きなオーブンも置ける、鍋も調理器具もたくさん置ける…!

そう夢見ていたのは最初のうちだけ。

二世帯が一緒に暮らし始めるということは、二世帯分の食器や調理器具が持ち寄られるということなのだ。考えてみれば当たり前だ。

しかも私も義母も、調理器具には少々こだわるタイプだった。結果としてお互いに譲れない、捨てられない、それぞれに愛用する鍋釜包丁、まな板にボウル類…が所狭しとキッチンを埋め尽くした。

さらに、悠々自適のリタイア生活を送る義父が、料理教室に通い始めたから混乱は加速する。ただでさえ売るほどあるボウルやザル類を更に買い足したり、お菓子作りのための道具をたっぷり買ってきたり…。

ほどなくして、余裕たっぷりだったはずの我が家のキッチンは、三人分の調理器具と、そして管理しきれない食材や調味料がひしめくカオスと化してしまったのだった。

でも、私は決して、今の雑然としたキッチンが嫌いではない。

確かにもう少し片付いてスッキリとさせたいとは思ってはいるけれども、少なくとも調理するスペースは確保されているし、コンロは二口から三口にランクアップしたし、何より熱中症になる危険も少ない。

この家に引っ越してきた当初、まだ幼い子どもたちが台所に立つ私にまとわりついてうるさく思ったものだが、いつの間にか成長して、そんな時期も過ぎてしまった。

今では子どもたちが台所に立って食事を作ったりコーヒーを淹れたりして、私がその周りをうろついてはうるさがられている。

日頃は誰かしら家族がいて賑やかなダイニングキッチンだが、深夜になると静まり返り、三匹の飼い猫だけがトコトコ歩き回る。

なかなか寝付けない夜には、キッチンで一人、ぐつぐつジャムを煮たり、焼き菓子を焼いたりすることもある。いつでも作りたいものを作ることができるって、なんて幸せなことだろうか。なんだかんだ言って私は料理が好きだし、この場所が好きだ。

キッチンの小さな踏み台に腰掛けて、足元に擦り寄ってくる猫を撫で、良い香りの湯気を立てる鍋やオーブンを眺めているのが、私のささやかな憩いの時だ。

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