戻りたい…ようなそうでもないような?運動会のお弁当

わが家の笑顔おすそわけ#31「お弁当」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2022.09.29

お弁当の思い出、というと両極端だ。作ってもらう側だった頃の無邪気なうれしさと、作る側になった時の四苦八苦。

高校生の頃、毎日母が作ってくれるお弁当をありがたくいただいていた。しかし内心ちょっと「毎日変わり映えしないな…」などと罰当たりなことを思っていたものだが、自分が子どもにお弁当を作る立場になってみて改めて、高校生当時の自分の頭を引っ叩いてやりたい、と思うばかりだ。

作ってもらう側としても、そして作る側としても特に印象に残っているお弁当といえば、運動会のものだ。

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昭和五十年代生まれの私が小学生の頃、運動会といえば、地域の一大イベントだった。
両親どころか祖父母、さらに親類縁者まで観に来るのは当たり前。父親たちはまだ夜も明けきらぬ薄暗いうちに、学校の校門前に場所取りのための敷物を抱えて行列を作っていた。母親や祖母はやはり薄暗いうちに起きて、運動会の時にしか使わない行楽弁当の容器を出してきて、大勢やってくる親類の分も大ごちそうのお弁当を作るのだった。

そうして早朝から一家総出の大騒ぎをして運動会が始まり、大人たちは炎天下の校庭で、クーラーボックスに入れて持ち込んだビールで顔を赤くしながら、自分の子や近所の子たちにしきりに声援を送っていたものだ。

そう、私の子どもの頃の運動会では、観客の大人たちがアルコールを摂取しているのは当たり前だった。さらに観客席の後ろにはおもちゃ屋やかき氷、わたあめなどの屋台が並び、競技を終えた子どもたちは小遣いを握りしめて思い思いに散財を楽しんだものだ。もはや立派なお祭りである。

そんなお祭り騒ぎの中でも、一番の楽しみはやはりお弁当だった。普段は揚げ物を作るのを嫌がる母親が、腕まくりして揚げた大量の唐揚げにエビフライ。それに卵をひとパックも一度に使ったような大きな甘い卵焼きが、大きな四角い弁当箱にぎっしりと詰まっていた。

それから忘れられないのが、祖母が毎年必ず作ってくれたいなり寿司と巻き寿司だ。たぶん他にも色々とおかずがあったと思うが、重箱にみっちりと詰まった助六寿司のなんとも食欲をそそる甘酸っぱい匂いは忘れられない。

手料理自慢の祖母が、前日から油揚げと巻き寿司の具を一つ一つ煮しめ、朝早くから大量の酢飯を作ってこしらえてくれたお寿司だ。

運動会が近づくと、母と祖母が、弁当のおかずは何を作るか、何人くらい来るのか、と相談し始めるのを聞いて嬉しくなったものだった。運動音痴の私が、小学校六年間、一度も運動会で仮病を使ったりしなかったのは、このお弁当の存在(嬉しさはもちろん、絶対に休めないというプレッシャーも…)が大きかったのは間違いない。

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さて、時は流れ、私自身が親となり、初めて迎えた我が子の小学校の運動会。

時代は変わり、もちろんアルコールの持ち込みはNGである。一族郎党で観戦にやってくるお宅も少なくなり、万事がぐっと縮小されたイメージだ。

それでも、いま高校二年生の息子が小学生の頃は、早朝から並んでの座席争いは健在だった。子どもの数が少なくなっているせいか、昔よりさらにエスカレートしているような印象さえ受けた。一度などは学校から事前に「徹夜で並ぶことは近隣のご迷惑になるので控えるように」という旨のプリントまで発行された。小学校の運動会の席取りに徹夜?と我が目を疑った。愛する子の晴れ姿を一番良い場所でみたいという親心の暴走である。

幸い(?)我が家の父親たる夫は、春から秋にかけての週末は仕事が忙しく、ろくに休みが取れないため、暗いうちから席取りに並ぶかどうか、という葛藤はしなくて済んだ。お弁当を大急ぎで作った私が、その足で小学校に敷物を持って駆け込む。同居の義父母は、頼めば喜んで席取りくらいやってくれただろうが、それこそ孫かわいさに徹夜する、などと言い出しかねないため、私が押しとどめていたのだ。

すでに9割方レジャーシートで埋まった校庭を尻目に、毎年、少し離れた木陰に場所を確保した。何も炎天下の校庭でずっと陽に焼かれなくとも、我が子が出場する時だけ見やすい立ち見席に移動すればよい、と割り切った。

さて、問題になるのがお弁当だ。

席取りもしなければならないのだし、お弁当にそんなに手間をかけなくても良いだろう、と思う。なにも早朝から揚げ物をしなくても、冷凍の唐揚げをチンすればいいし、普段作っているようなお弁当の量を増やして、少し果物でも付ければ格好がつく。毎年、運動会シーズンがやってくるたびに、そして運動会が終わるたびに、決まってそう思うのである。

しかしいざ運動会が近づくと、脳裏に浮かぶのは、自分の子どもの頃に母や祖母が作ってくれたお弁当だ。敷物の上に広がる豪華なお弁当のワクワク感。あの感覚が、自分で思うよりも私の根っこの部分に染み付いているのだった。

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そうして結局、小学校の運動会の日は早朝、まだ暗いうちから起き出して、揚げ物をしたりサンドイッチを作ったりする羽目になる。巻き寿司はどうしても具を真ん中にきれいに巻くことが苦手で、代わりにいなり寿司にかわいい顔を付けたりした年もある。

完全なる自己満足だが、出来上がった弁当をテーブルに並べて眺めた時の達成感、そして校庭の木陰で弁当を開いた時の家族の歓声が、がんばってよかったな、と前日からの準備の疲労を癒してくれるのだ。

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こうして私は、結局ずっと豪華な運動会弁当を作り続けていたのだが、この習慣が思いがけずに途切れることになった。

全国的に中止になる行事も多い中、幸い娘の小学校の最後の二年間の運動会は、教職員の方々や子どもたちの尽力で、いずれも開催することはできた。しかし弁当は、子どものみ持参で教室で食べる決まりとなり、さらに敷物での場所取りも、校庭での家族の食事も禁止、ということになった。

子ども一人分の、いつもより少しだけ豪華な弁当を味気ない思いで作りながら、しかし私は妙な安堵を感じてもいた。明らかにいつもの運動会よりも疲労が少なく、そして子どもたちの競技は変わらず素晴らしいものだった。

豪華なお弁当、もしかしたら、自分が思うよりも負担になっていたのかもな…。
でもやっぱり、作れないとなると寂しい気もするな…。

そんな相反する弁当への気持ちに引き裂かれた二年間。娘は小学校を卒業し、運動会弁当を作る機会そのものがもはや無くなってしまった今、やっぱり無性に寂しい。

年に一度くらいは、思い切って手間をかけたお弁当を持って、ピクニックにでも出かけようか…そんなふうに思う今日この頃だ。

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