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オタクが出産するとこうなる。

特別企画

PEOPLE
2026.02.18

出産と同時に訪れた、最愛の推しの熱愛報道。
母になることと、オタクであり続けること。その二つがぶつかり、混ざり合い、それでも確かに両立していく過程を、赤井いくらさんは描きます。「母になったから変わった」のではなく、「母になっても、私は私」。笑いながら読み進めるうちに、ふと胸が温かくなる一篇です。


出産直後の私へ。
まだあなたは知らない。
12時間後、最愛の推しの熱愛記事が出ることを___。

私がアイドルオタクになったのは11歳の頃。
母親世代に人気を博していた韓国の5人組グループに見事にハマった。
立っているだけで美しい青年たちが、踊って歌ってくれる。
なんとありがたいことだろう。
母や叔母と彼らの音楽を浴びては叫び、のめり込んでいった。

しかし、別れは突然やってきた。
大好きな彼らが2人と3人に分裂するというニュースが飛び込んできた。
当時12歳の少女が、初めて男のために泣いたのはこの時だ。

時は流れ、私は27歳になった。
もう私は大人だ。
十分にわかっていた。
アイドルは簡単に事務所を訴える。
アイドルは簡単に脱退する。
アイドルは簡単に恋愛する。
人間だもの。
それでも私は、アイドルを推し続けていた。
アイドルに喜び、アイドルに泣き、つくづくアイドルに生かされる日々だった。

ある日、友人といつものようにカラオケの大モニターでアイドルのライブ映像を観ていた。
今日も彼はピカイチにカッコいい。
だけど。あれ。あれれれ。

うっ…!!
私はお手洗いに駆け込んだ。

カラオケルームに戻るも、彼が霞んで見える。
いつもは血眼になり、友人とブンブンペンライトを振り回しながら叫び倒していた私から、信じられないほどあくびが放たれる。
この国民的イケメンを前にして、この睡魔はおかしい。
こんな現象は自分史上初めてだ。

私は自分の身体を疑った。

妊娠していた。

すぐに考えた。
「あ、彼らの10周年ライブに行けないかも」
「あ、掛け持ちしているグループの初ドームツアーもあるのにな」

まるでアイドル本人かのように、妊娠週数とライブスケジュールを照らし合わせた私を、どうかお許しいただきたい。

体調を考慮しつつ、「アイドルを見ずに母がメンタル不調に陥っては赤ちゃんにも悪影響」との信念から、結局は全力で推し活に励み、無事に入院当日を迎えた。

お医者さまによれば、陣痛誘発剤を入れてから無痛分娩で出産するため、初産婦の場合、出産までに2、3日はかかるとのことだった。

初めての出産であるものの、麻酔をしていたので陣痛の開始を実感しなかったことも影響してか、不思議と恐怖心はなく、完全に無痛分娩を信用しきっていた。
入院先の陣痛室では、すでに産んだあとかと錯覚するようなお祝い膳風の食事が出てきたり、大きなテレビが付いていたりして、悠長に過ごした。
夕方面会に来てくれた夫にも、意気揚々とこう話した。

「無痛分娩の麻酔のおかげで全然お腹の張りを感じないんだよ。麻酔ってすごい技術だよ。こんな感じでペラペラしゃべりながら産めちゃったりしてね。アハハハハ」
「このテレビで22時から推しグループのメンバーが出ているドラマを観ようかな」
まるでホカンスに来ているかのような浮かれ具合だった。
夫は安心したように、一度帰宅した。

だが、しかし。
出産は甘くはないのだ。

豪華な夕食後、下腹部痛を感じ、助産師さんにお手洗いに行きたいと訴えた。
いつもの便意だと思い、お手洗いに行ったら楽になると思っていた。

だが、助産師さんは言う。
「便ではなく赤ちゃんですね。行かなくて大丈夫ですよ」

………!

大丈夫ではない。

「絶対絶対!!うんちなんですけど!!」とは言えず、そうですかと呟いて助産師さんを見送った。

ここから私の、チキチキ地獄の便意耐久レースが始まった。
さっき聞いた話ではまだ子宮口は2センチ。最大の10センチになるまで、最短でも明け方までかかる見込みとのこと。
無理だ。

4、5分間隔で襲ってくる便意を、謎に股に挟まれた抱き枕と深呼吸だけで我慢しろなんて、無理だ。

軽く白目を剥きながら、ただひたすら深呼吸した。
だんだんとイライラしてくる。
麻酔、効いてるのか?
"無痛"分娩じゃないじゃないか。
いや、でも待てよ。
私が感じているのは便意であって陣痛ではないから、麻酔は便意には効かないのかもしれない。
ああ、便意に効く麻酔があればいいのに。

私は時計を一瞥した。
22時を過ぎている。
ドラマ、始まっちゃってるよ…。
楽しみにしていたイケメンも拝めず、明け方まで便意とともに過ごすなんて。

これが決定打となり、私の心は折れた。
ガクガクと震える手でナースコールを押し、息絶え絶えに「い、いいい、痛いです…」と助産師さんを召喚した。

内診後、助産師さんはこう言った。
「あ。子宮口9センチになっていますね。旦那さん呼んでください」

え!もう、産めるの!
急に元気が出た。
そして、助産師さんがさらに嬉しいことを言う。
「ちょっと息んでみましょうか」

よっしゃ!!うんちができる!!
もうこの便意とはおさらばだ!!
盛大に息んだ。
すると、信じられないほどの腹痛が私を襲った。

涙目で助産師さんを見ると、彼女は衝撃の知らせを放つ。

「やっぱり麻酔効いてないか。強い麻酔入れますね。分娩室まで歩いて移動してください」
麻酔、効いてないんかい!!!
これ、陣痛だったんかい!!
しかも、歩けってか!!

愕然とし、ゆっくりでいいですよという優しい助産師さんの声を背に、急いで分娩台に乗りに行った私であった。

強い麻酔が効くまでに10分ほどはかかったと思う。
その間に夫が到着したのだが、ついさっきまでペラペラしゃべりながら出産すると意気込んでいた妻が、断末魔の叫びを上げているのを見た夫は、ここぞとばかりに慌ててうちわを取り出した。

そう、最愛の推しの顔写真がついたうちわを。

数日前、入院用バッグに商店街でもらったうちわを入れていた私に、キリッと夫は言ったのだ。
「いくらちゃん、本当にそのうちわでいいの?」

オタクの夫として、100点満点の夫である。

いよいよ生まれるという時、ちらちらと助産師さんが夫の方を見ているのには気づいていた。

「うちの夫は私を元気づけるためにアイドルのうちわを持ってくれているのであって、決してふざけているわけではないんです。良い夫なんです。」

こう言いたかったが、いくら強い麻酔が効いてきたからといって、初めての子どもが生まれる瞬間にそう弁明することはできず、ただただ息んだ。

便秘の星に生まれた私にとって、出産時の息むという行為は非常に容易なものだった。
勝ち確だ。

息むのを大いに褒められながら良い気になってきていると、「あとは普通の呼吸だけして」と言われた。ハッと冷静になり、股の方を見ると、そこに我が子がスルンと現れた。

なんと可愛いのだろう。
私の脳から可愛い以外の語彙が消えた。
可愛い。可愛い。可愛い。
夫はそっとうちわを置いて、まず私を労ってくれた。
可愛い可愛い我が息子と、優しい夫。
たとえ世界を敵に回してももう他になにもいらない的な歌が書けそうな気がした。
初めて私が息子を抱いた瞬間の写真に、最愛の推しが見切れていたのは言うまでもない。

息子が驚異のスピードで出てきてくれたおかげで、出産は深夜のうちに終わり、無事病室のベッドに入った。

翌日、さまざまな検査や指導を経て、昼過ぎに家族が面会に来た。

母乳は簡単にあげられるものだと思っていたが、現実は難しく痛みを伴うことや、出産時に裂けた股を庇いながら生活するのがどれほど苦痛かということを口早に語りながら「母親になったんですよ私」アピールをした。

愚痴りつつも、初孫を家族に会わせてあげられたという喜びは圧倒的に大きく、家族の幸せそうな顔を見て心があたたかくなった。

そろそろ義両親が帰路に着こうという頃、何かの拍子に私はスマホを見た。

私は、「え!!」と叫んだ。

母が私を見る。
「<最愛の推し>くん、熱愛だって…」

え!!と、母。

いつも義両親の前で私がアイドルを語ることを阻む母も、さすがに驚きを隠せないようだ。

そりゃそうだ。
一緒に推してたんだもの。
私たち親子が固まる中、スマホのニュースを見た芸能好きの義理の母が「ああ!あのドラマで夫婦役だった女優さんとなのね〜」と、にこやかに言う。

私は全然にこやかではいられない。

なんということだ。なんて日だ!!
あのドラマで妻役と手をつなぐ仕草にキュンとした私はなんだったの!!
付き合ってたからあのつなぎ方だったの!!
ラジオで楽しそうに話してた海外旅行の話も、彼女と行ってたの!!

感動的な出産の日を迎え、母になった私は、一瞬にしてオタクに戻った。

トボトボと母たちを見送り、ふと横で眠る息子を見た。

熱愛報道後に出産してたら、母体が危なかったな。
初産にして息子が驚異のスピードで生まれてきてくれたことには意味があったのだ。
母を守ってくれてありがとう。

私は新たな最愛と、生きていく。

P.S.
あの日の私へ。
新たな最愛は、いままで人生で味わったことのない幸せをくれます。
でも、幸せで大切だからこそ、泣き喚くくらい気持ちが落ちるような時もあります。
ああ、眠れない。
数年後、どんな未来があるのだろう。
この子は幸せなのかな。
私はちゃんと母親を全うできているだろうか。
不安で不安で動悸がして、震えて朝を待つことがあると思います。

でもね、同時期に赤ちゃんを産んだ友達が言ったんです。
「大丈夫よ〜息子ちゃんはちゃんと大きくなるし、十数年後いくらちゃんはどうせ息子ちゃんと同い年のアイドル好きになってるって〜」

ほんまそれな。 
としか言いようがない!!

安心しなさい。
私は母親であり、オタクである。
オタクである限り、私は私なのです。
最愛からもらう幸せと、アイドルからもらう幸せは両立する。
安心して、オタクとして生きるように。

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