3年ぶりの海外は、チェンマイへ。一杯20円、生姜茶の店。 メインビジュアル

3年ぶりの海外は、チェンマイへ。一杯20円、生姜茶の店。

中川正子さんとめぐる、旅と食。

LIFE STYLE
2023.04.27

写真家の中川正子さんが、旅をしながら出会った食の風景を写真と文章で切り取る、「中川正子さんとめぐる、旅と食。」今回は、この連載初めての海外へ。チェンマイで、なんだかとってもディープな「生姜茶」のお店を訪れました。


3年ぶりの国際線に胸が高鳴る。
寒い日本を飛び出して、常夏のタイに飛んだ。チェンマイへ。

外国に行くってどういうことだっけ。持ち物って何が必要だった?数ヶ月に一度は海外へでかけていたことなど夢だったみたい。すっかり海外旅行の初心者に戻っている。あたふたと準備を進めた。ずっとページを開かれていなかったパスポートに、1000日ぶりに入国スタンプが押される。思っていた以上に、うれしい。ついについに海の外へ出たよ。

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チェンマイ空港は、鉄道の駅みたいな小さく愛らしいエアポート。タクシーを拾ってホテルへ向かう。開けた窓から生暖かい風が、遠慮なく吹きつけ顔をなでる。連なって光る路上の屋台の裸電球の虹色。地べたに座るひとびとは笑顔で手を振る。夜の街独特の空気にわくわくが膨らむ。ああひさしぶり、このかんじ。外国に、来た。旅が、足りてなかった。そんなひと、きっと多いよね。

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タイが好きなともだちに、チェンマイのおすすめの店リストをもらっていた。そのひとつが「生姜茶の店」。正確には、生姜茶の店じゃなくってハーブ薬局。店頭でおばさんがやかんで注いでくれるそう。

以前そこのお土産にもらった「生姜茶の素」は茶色いペースト状のものがぎっしりつまっていた。漢方っぽい味で、飲むと体がぽかぽか。黄色が効いてるナイスなパッケージにはおじさんの肖像画。威厳のあるそのお顔は商品を開発した先生なのか、それとも。すべてはくるくるした記号のようなタイ語の表記と一緒に、謎に包まれていた。

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一晩眠って、朝。サンダルを履き、数年越しでいざ、生姜茶のリアル店舗へ。「薬局」という単語でイメージするのは、日本だと白い清潔な建物だろうか。

でも、ここはちがう。ぜんぜん、ちがう。例えて言うなら…うーん、例えるものがない。あえて言うなら屋台。半分外、みたいな、この街によくあるスタイル。ドアも壁もなく、間口は大きく開いていて、オープンなことこの上ない。ラジオや文房具や生活用品のようなものがごちゃごちゃと後ろに積んである。王様の肖像画なんかも、がちゃがちゃ飾られて。一見して何屋かは、ぜんぜんわからない。

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道路に面してその生姜茶のコーナーはあった。カラフルなプラスチックの椅子が歩道に自由に広がり、台の上にガラスのコップがいくつかラフに置いてある。大きな寸胴鍋とやかんの傍に白髪のタフそうな女性が貫禄たっぷりに座る。

チェンマイのひとはおしなべて愛想がいい。目が合うとにこっとしたり手を振ったりしてくれることがしばしば。でもこのおばちゃんは、ちょっとちがう。顔色を変えずに無言でどっしり、座っている。いらっしゃい、も、なにもない。

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いかにもマイペースな彼女に、外国語である英語で話しかけるのは違う気がする。「郷に行っては郷に」の精神でサワディーカー。覚えたての、おそらくちょっと発音がまちがってるタイ語で声をかけてみた。おばちゃんは無言でこちらに目をやる。指さしで伝える。「これ、いっこください」こういう時はなんなら、伝わらなくても日本語を添えるくらいのほうがなぜか、いい。おばちゃんは「はいはい」という雰囲気でやかんを持ち上げ、どぼっと大胆に茶色い液体を注いでくれた。ぷっくりしたガラスのコップ。

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熱々を想像していたけれど、予想に反してぬるめのそれは、ごくごくと一気に飲めた。強い辛さはなく、でも、生姜の味がしっかり。胡椒の香りと知らない薬草の味も。「お腹のガス抜きや背中や腰の痛みにも効く」貼ってある説明書きにある。4ヶ国語で書かれたこの親切な張り紙は誰か他のひとの仕業なんじゃないだろうか。だって、おばちゃんは、商売っ気がないったらありゃしない。隣の家のおばちゃんと延々続くおしゃべりに興じている。観光客が来ても適当な対応。でもそのかんじが、気楽でいいんだよね。

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半年ぶりにむき出しにしたわたしのノースリーブの生っ白い腕を、南国の強い日差しが容赦なくちくちく刺す。暑い。プラスチックのべこべこした軽い椅子にのんびり座ってあたりを見渡す。せかせかしている人って見当たらない。わたしも急ぐ気がしなくなる。人生はある意味、たしかに短いけど、急いで走らなくても、いいよね。

おじさんがふらりと慣れた様子で一杯注文。立ったまま飲み干して立ち去る。いかにも常連さんというかんじ。そしてまた、もうひとり。会話は最小限で次々、飲んでいく。おばちゃんは特に笑顔もなく、粛々と彼らのコップを満たしていく。

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1杯5バーツ。日本円で20円弱。近所にあったら毎日飲みたい。せっかくだし、もう一杯飲んじゃおうかな。おしゃべり中のおばちゃんにお願いして、もう一杯注いでもらう。立って飲もうとするわたしに彼女は、そこ座りな、とジェスチャーで椅子を示してくれた。なぜ座れと言われたのかはわからない。隣の家のおばちゃんは座って頷きながら、にこにこしてくれている。ありがとう。なんだかわからないけど、ゆっくりしていけってことかな。うん、そういうことにしよう。

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空になったコップを渡し、おみやげに「素」をいくつか、買う。内臓がぽかぽかしてる。これは、くせになるやつ。

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そしてわたしは結局、この旅のあいだ中ここに、毎日通ったのでした。嬉しそうに来るわたしの顔を、おばさんは覚えてくれたような、そうでないような。マイペースなポーカーフェイスはずっと変わらず。

でもね、最後の日の挨拶をしたら、ちょっとにっこり、笑ってくれたような気がしたよ。コップンカー。ありがとう。また来るね!

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店舗情報

サラーモンオーソット
Chang Moi Sub-Amphone, Mueang Chiang Mai District,
Chiang Mai 50300

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