家族、あこがれ Vol.1はるかちゃんちのクッキー

2016/12/28 UPDATE

子どもの頃、友達の家へ遊びにいった日のことをおぼえていますか?「自分の家よりも大きくていいな」「お母さんが美人でうらやましいな」「兄弟がいていいな」など子どもながらに、友達の家庭がうらやましくなった瞬間ってありませんでしたか?今回はライターの佐々木ののかさんが幼少時代に感じた「友達の家で食べたクッキーの話」をご紹介します。

まだ小さいころ、近所に若草物語みたいに美人ぞろいの4人姉妹が住んでいた。わたしと同い年の女の子は「はるかちゃん」という名前だった。はるかちゃんは2LDK団地に家族6人で住んでいて、一軒家に住んでいたわたしの家に遊びに来ては、いつも「ののかちゃんちは大きくていいなぁ」と言っていた。

だけど、わたしも同じようにはるかちゃんの家に行ったとき、羨ましいなと思うことがあった。はるかちゃんちのクッキーだ。

何度かしかお邪魔したことがないのだけど、はるかちゃんのおうちに遊びに行ったときに甘くて良い香りがして、焼きたてのクッキーが出てきた。

我が家はお友達が来たときはスナック菓子を出してくれるけど、そもそもおやつを食べるという習慣がない。でも、はるかちゃんの家ではほぼ毎日クッキーを焼いているのだと言う。小さなオーブントースターで焼くから数は少なかったけれど、わたしは感動してしまって、手に取ってしばらくクッキーを眺めていた。

手のひらの上のクッキーはまだ温かくて、わたしはクッキーのあちこちを触って、日に当てて透かしたり、裏返しにしたりした。焼きたてのクッキーなんて、スペシャルなものをこの子たちは毎日食べているんだ。しかも、当たり前のように。

「もっとありがたそうに食べたらいいのに」

はるかちゃんの家で出されたものなのに、わたしは幼心に見当違いの感想を持った。そして、わたしがそうやってクサクサしている間に、はるかちゃんたちはパクパクとクッキーを食べてしまって、結局わたしは持っていた1枚しかクッキーを食べられなかった。

ただ、実のところ味は覚えていない。「焼きたてのクッキーが出される」という事実が衝撃で、味のほうの記憶がないのだ。そのくらい、強く感動した。

ただ、クッキーを食べた後、わたしは悲しいような、何だかいたたまれないような気持ちになった。そうして、お腹が痛いだとか頭も痛いとか何とか言って、走って家に帰ってしまった。

家に帰るなり、台所に立つ母にわたしは、

「はるかちゃんちに行ったら、焼きたてのクッキーが出てきたんだ~!すごいよね~!」

と言った。

できるだけ穏やかな言葉を選んだつもりだったけど、語調が強くなった。当時、自分でもどうしてかはわからなかったけれど、確実に母を責めるような気持ちがあった。意図を汲んでくれればいいなという気持ちと、気づかないでほしいなという気持ち、言ってやったという気持ちと言ってしまったという気持ちの狭間で、ドキドキしながら母の反応を待った。

「うちにおやつの時間がないのは、ご飯をしっかり食べてほしいからだよ」

あぁ、バッチリ伝わってしまっているな、と思った。私はあわてて、

「そうだよね、じゃあはるかちゃんちは悪いってことだよね」

と言って笑った。すると、母は「うちはうち、よそはよそ」と言った。またまずいことを言った気がして、わたしは自分のふがいなさにすっかり悲しくなる。焼きたてのクッキーに感動したという気持ちを素直に伝えるだけにすればよかったのに。

頭の中いっぱいに広がっていたクッキーはスルスルと萎んでしまった。わたしもいじけたようにその場で体育座りして、横目でチラっと母を見やる。母も怒ったような、でも悲しそうな顔をしていた。そして、母は言った。

「うちはおやつを手作りしてはいないけど、ご飯を毎日手作りしているでしょ。よその家はレトルトも冷食も食卓に上がるんだから」

台所で料理をする母は、いっそ泣きそうだった。そういえば、わたしはお弁当のときくらいしか冷食を食べたことがなかった。インスタント食品を食べるのも、父がたまにカップ麺を食べるときに物珍しさに一口もらうだけで、隠れて食べなきゃいけないような背徳の味がしたのを覚えている。そのくらい、母の料理は何から何まで手作りだった。

――はるかちゃんちのクッキーは、わたしの家のご飯なんだ。

その後の時間をどういう風にやり過ごしたのも、その日の晩ご飯が何だったかも覚えていない。ただ、その日の晩ご飯は、いつもの100倍くらいおいしく感じた。

「お母さん、今日の晩ご飯すっごくおいしい!」

わたしははしゃぐようにして言っておかわりまでしたけど、母は「無理しなくていいよ」とまだ悲しそうな顔をしていた。ほんとにおいしかったのにな、と思った。20年ちかく経ってしまった今更、言うタイミングもないんだけど。

あれから20年くらい経った今、わたしは当時の「背徳の味」を何とも思わずに味わっている。

「バラちらし丼368円(税別)」
「まぐろねぎとろ丼398円(税別)」
「おにぎり(いくら)150円(税別)」
「カフェオレ(L)180円(税込)」
「ウィルキンソンレモン105円(税別)」
「プライベートブランドビール88円(税別)」

食べたいおやつだって買える。

「なめらかプリン105円(税込)」
「ブラックサンダーアイス120円(税込)」
「イタリア栗の濃厚モンブラン248円(税込)」

わたしの1日の食事はこんなところで、同じものを貪るように食べる。味わうことなんかしないし、ゴミを捨てるのも忘れて、気づけばうず高く積み上げられた弁当殻と空のペットボトルで畳が見えなくなるほど荒れた毎日だ。食事なんて流し込むように摂って、熱量に変える。それだけ。

時々誰かの手料理を食べたくなって家庭料理のお店に食べに行くけど、食べたい味じゃない。多分、はるかちゃんちのクッキーを食べたって満足しない。わたしが食べたい味は、ただ1つだけなのだ。

コンビニ袋を携え、家に帰る。電球が切れてから、かれこれ半年ほど交換できていなくて、机の上の近くに置いてある裸電球を点けると、床に落ちているプラスチックの残骸たちがぼんやりと浮かび上がる。そんなときに思うのだ。

あの日のお母さんの料理、もう1回食べたいな。

投稿者名

佐々木ののか

1990年北海道生まれのライター・文筆家。
新卒で入社したメーカーを1年で退職し、現在に至る。自分の経験をベースにした共感性の高いエッセイを書くのが得意。
Twitter:https://twitter.com/sasakinonoka note:https://note.mu/sasakinonoka