原始人に思いを馳せながら。追い詰められた夏の日、肉を焼く。

わが家の笑顔おすそわけ #30「限界ごはん」〜甘木サカヱさんの場合〜

LIFE STYLE
2022.08.22

どうしようもなく疲れた日、どうしてもごはんを作る気力が湧かない日、皆さんどうしていますか…?

スーパーに並ぶ冷凍食品のバリエーションは数えきれないほどあり、惣菜売り場にもたくさんの品が並びます。

さらに、少々お値段は張りますが、デリバリーならば家から一歩も出ずにおいしいものが選び放題。もちろん外食したって良いわけです。

ごはんを作りたくない日でも、私たちの目の前にはありがたいことに、こんなにもたくさんの選択肢が用意されているというのに!

食事の支度に惣菜や冷食の力を借りることで、罪悪感を感じるような時代はもはや過去のものとなったというのに!

なぜか、どうしても、今日は作らねばならない…作る気力も体力もないのに、冷食や惣菜では嫌だ…という気持ちになること、ありませんか?

「家でゆっくり食べたい」
「お金はさほどかけたくない」
「ある程度ちゃんとした栄養を摂りたい」
「出来立てのものを食べたい」
しかし、
「ごはんは作りたくない!!!!!(他に作ってくれる人もいない)」

そんなわがままな…と自分でも思うのですが、こういう気分の時って結構しばしばあるのです。

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こんな時、冬場ならば簡単なのです。正解は鍋料理一択です。

野菜も肉も魚も、大鍋にすべて放り込んでぐつぐつ煮れば完成。
出来立て熱々をふうふう言いながら食べれば、家族全員大満足です。
おまけに食後の洗い物も少なくて済む…なんという素晴らしいメニューでしょうか。

しかし、生憎ですが今は真夏。煮えたつ土鍋を家族で囲むことを想像しただけで汗が噴き出してきます。

そんなわけで鍋料理も却下、となると追い詰められた私に残された選択肢はたった一つ…

肉を、焼きます。

いや、肉だけではありません。冷蔵庫の野菜室に入っている野菜も、玉ねぎピーマン茄子にもやし、きのこ…手当たり次第にホットプレートで焼きます。
さらにウインナーや焼きそば、もしくは茹でうどんの麺を炒めたりもします。
そして焼き肉のタレにつけて食べるのです。

…なんのことはない、ただのおうち焼き肉です。なんの変哲もありません。

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匂いもリビングに充満するし、ホットプレートの後片付けも、鍋物の時よりは楽ではありません。では何故、私はこんなにおうち焼き肉に惹かれるのか…

それはひとえに、「肉を焼く、すなわち焼き肉なり」という単純な力強さにあるのではないかと思います。

食べたいものを焼く。以上。ホットプレートで焼くのも家族それぞれに任せてしまえば、用意する時点の作業量としては野菜を切る程度。それもつらければカット野菜を使ったって構わないのです。

とにかく肉と野菜をたっぷり食べられる。それも焼きたてでじゅうじゅういうところを。
家でおいしいごはんは食べたい、でも食事は作りたくない、という私の気分に、これ以上ジャストフィットする献立はなかなかありません。

片付けを含めると、実際の調理の手間は言うほど少ないか?という気もするのですが、しかし、焼き肉の「焼く!食う!以上!」というシンプルな勢いが、重くなりがちな背中をぽーんと押してくれるのです。

さらに、焼き肉=スタミナ食、というイメージも良いのです。

正直言って、材料の構成だけで考えるならば、家でよく作る肉野菜炒めと、焼き肉との差はほとんどありません。

豚肉と牛肉の差こそあれ、どちらも脂っこい肉と野菜を加熱しているわけで、栄養価にもさほど大きな差はないでしょう。
そもそも我が家では予算が心もとないときや、わざわざ買い物に行くのが面倒な時は、冷蔵庫にあるのが豚肉であろうと鶏肉であろうと、「今日は焼き肉です!」と言い張ってホットプレートで焼きます。

そうなるともはや完全に、肉野菜炒めをホットプレート上で展開しているだけです。

しかし、「これは焼き肉です」と宣言するだけで、食べる者にスタミナ食のおまじないがかかるのか、不思議なほどに元気が出て、気分も上向いてきます。

これは一体なぜなのだろうか…?考え出したら、私はかつてないほど焼き肉について向き合い、深く思い悩むことになりました。寝ても覚めても(というのはちょっと盛り過ぎですが)焼き肉のことを考え、実際その間に二回ほどおうち焼き肉もしました。

そうやって熱い肉を頬張りながら、この「焼いた肉を、滴る脂とともに熱々のままかぶりついて食べる」という行為が、人間という生き物の根源的な喜びに根ざしているのでは…?と思い至りました。

そう、狩猟です。

焼くというのは、茹でる、蒸す、揚げるなど他の方法と比べても手間や必要な道具が少なく、最も原始的な調理方法です。

飢えた村人の前に、大きな獲物を倒した狩人たちが意気揚々と帰ってくる。その獲物を村人総出で捌き、滋養と活力の塊を焚き火で炙り、待ちきれずに火を囲んで肉にかぶりつく。ああ生きている、明日も生きていけるーーそんなDNAに刻まれた、爆発的な喜びの遠い記憶を、私たちは焼き肉を通じて、身のうちに蘇らせているのではないでしょうか。

そう考えると、直火や炭火で焼いた肉の焦げ目が、ひどく食欲をそそることにも説明がつく気がします。

さらに、夏になるとやたらと、屋外で大勢でBBQをしたがる人の存在についても納得がいきます。あれはきっと、狩猟の成果を皆で分かち合う祝祭の再現なのです。

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好き勝手に書き散らしているうちに、私もまた焼き肉がしたくてたまらなくなってきました。いや、もはやホットプレートでは物足りない、屋外で炭火を起こしてBBQがしたいーー
そう考えてから、今回のテーマが「限界ごはん」だったことにはたと気がつきました。

いかんいかん、気力体力がない時の食事の話をしているのに、結論が「炭火を起こしてBBQをしたい」ではあべこべではないか…。

でも、そんなふうに、考えているだけで食欲と気力を奮い立たせてくれるのが、焼き肉の最大の魅力なのかもしれません。

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