二人があたため、そしてすすめた「夢」の形ーー岡山県総社市「kazahaya coffee」 メインビジュアル

二人があたため、そしてすすめた「夢」の形ーー岡山県総社市「kazahaya coffee」

中川正子さんとめぐる、旅と食。

LIFE STYLE
2023.10.25

写真家の中川正子さんが、旅をしながら出会った食の風景を写真と文章で切り取る「中川正子さんとめぐる、旅と食。」今回は、中川さんの住む岡山市から車で50分、総社市にある喫茶店を訪ねます。


「池の辺りの小さな喫茶店」

彼らのプロフィールにはそう書いてある。

岡山市から車で約50分の総社市は、古墳や遺跡、神社などでも知られるゆったりとした街。そのはじっこにあるのがkazahaya coffeeだ。

広い田んぼや静かな住宅街を抜け「ここであってたっけ」って心細くなったあたりで到着する。まわりには見事に何もない。ほんとうに池しかない。静かで空が広い。池の水面を鵜がのんびりと横ぎり、猫がゆうゆうと我がもの顔でそこらを歩いている。小さな旅に来た気持ち。

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池のほかには何もないここは、「何かのついでに立ち寄る」というロケーションではない。でも、週末ともなると多くの人があちこちから集まってくる。みんなこの店をまっすぐ目がけてくるのだった。おいしいコーヒーと甘いもの。あと、ここに流れる穏やかな空気のために。わたしもそう。50分ドライブする価値がある。

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古い民家を清潔に整えた店内の、明るい黄色に一部塗られた壁の前で、店主の風早康男さんと妻の美穂さんは楽しくて仕方ないという様子で働く。平日だというのに今日も満席だ。他県のナンバーでやってきた若いカップル、生後3ヶ月の赤ちゃんとの初めての外出だと言う女性、作業服姿でハイエースを乗り付けた常連さん(「いつものください!」)さまざまなお客さんが小さな店に入り混じる。それぞれの1日の幸せな句点になっているように見える。

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風早夫妻は古くからの友人だ。12年前、わたしが岡山に越した頃からコーヒー屋をやりたいと聞いていた。当時は会社勤めだった二人は「いつか」と目をきらきらさせて言った。会うたび、「お店は?」と尋ねると「準備してるんです」と返ってきたけれど、始める様子はなかなかなかった。毎度しつこく尋ねすぎるのも迷惑かと、やがて聞くのをやめた。たとえば、リタイア後のためにじっくりと温めている夢なのかな、と思ったのだ。

ところが3年前、彼らは突然ぐいぐいと店を作り始めた。それまでの慎重なスピード感が嘘のように。会社を辞め、古い両親の納屋を素敵に整え、街のはずれの大きな池の前にお店を作りあげた。すごい勢いだった。実はちゃっちゃとやりたい性質の美穂ちゃんはともかく、何事にも非常に慎重な康男さんが。どうしたの、急に。

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「やりたいことをやる人生にしたんです」と彼は明るく言った。聞くと、大きな病を経験したと言う。ごめんね、ぜんぜん知らなかった。かつてのハードな仕事の無理がたたったのかもしれないし、彼の忍耐強すぎる性格の皺寄せを身体が引き受けてしまったのかもしれない。

「病は人生を揺るがす大きなできごとでした。それをきっかけに、いつかいつか、じゃなくて今やりたいと思ったんです」隣で美穂ちゃんも大きく頷いている。そうだったのか。

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ハラを決めて二人が始めた店は着実にファンを増やし、今では満席で入れない時間帯もしばしばある。それでも、席を急に増やすとか、営業時間を拡大するとか、無理をしないのも彼ららしい。自分たちのペースがある。

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康男さんが静かにコーヒーを淹れる隣で、美穂ちゃんが楽しげにお会計をする。二人の愛する音楽家たちの曲が空間を満たし、彼らのだいすきなうつくしいものが店のあちこちに大切そうに置いてある。彼らの姿からは長い間あたためていた夢が叶った喜びが溢れてる。康男さんはもうすっかり健康だ。ほんとうによかったね。

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今日は深煎りのエチオピアとプリンにした。プリンはコーヒーに合うものを作りたかったという康男スペシャル。「最初はひどかったんです」とにこにこ笑う彼は、研究と失敗を相当な期間、重ねたそう。てんさい糖と平飼いの卵、こだわりの牛乳。たらりとかかる苦くてたっぷりのカラメルがすごく効いている。

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そうそう、美穂ちゃんが作るケーキもどれもおいしいのだ。先週は岩塩がぱらりとかかったバスクチーズケーキにした。パウンドケーキもいいんだよね。毎度、違うものを選ぶのが楽しい。

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秋の風が気持ちのいい外の席に移動したら、人馴れした看板猫のゴンがぴょんと隣に座った。緑が映り込む池を眺めしばらく遊んでいると、店内から二人の女性がゴンを撫でに出て来た。今日は忙しい仕事を早めに終わらせて、遠い街から車を飛ばしてきたそう。

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「人も空間も素敵だし、コーヒーもおいしいし。私たちは普段忙しすぎるからこういう時間が欲しくて。はるばる来てほんとうによかったです。」

満足げな女性二人の横顔にわたしまでうれしくなった。

風早夫妻が覚悟を決めて始めた場は、こうやってひとの心を確実に動かしてる。

空の色が桃色に変わってきた。居心地がいいからつい、長居してしまう。ぎりぎりまで焦がしたという絶品カラメルを最後まですくって帰ることにする。優しい時間の、いい午後だった。

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店舗情報

kazahaya coffee
 岡山県総社市地頭片山549
 不定休
 営業時間はinstagramでご確認下さい

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