母15年目、家族と自分のバランスのこと。
先日アイスムの編集部会議で、「自分が作ったその日のごはんを、子どもたちがあんまり食べてくれなくても、最近はもうあんまり傷つかない」という話になった。
これは、私がとてもとても寛大で優しい母だからだ。…と、いうわけでは、もちろん、もちのろんろん、全く、ない。
これは単純に「最近、自分の好きなものばっかり作ってるから」と、いうことにほかならない。料理担当の特権、それは、基本的に自分の好きなものを作ることができる、というところにある。(個人の意見です。)
15歳になる息子は赤ちゃんの頃、それはそれは笑えるほどに離乳食を食べなかった。新幹線での移動中に、1センチ四方くらいのバゲットのかけらを三つ食べたことに感動して泣きそうになったのを今でも覚えている。それくらい食べなかった。せっかく作った離乳食をコントみたいに吹き出すので、もうどうしようもなくなった私は 「#離乳食芸人」 というハッシュタグをつけてtwitter(現X)に毎日投稿した。
離乳食芸人の初節句
そうしてネタにすることが、このしんどさを乗り越えるためのギリギリの工夫みたいなものだった。当時、私は本当にSNSに助けられていたと思う。あの頃出会った子育ての戦友たちとは今でも特に仲が良い。(そのうちの一人が、アイスムの編集長です。人生っておもしろい。)
だけどそんな離乳食芸人もいつしかサッカー少年になり、毎日おもしろいくらいによく食べる。最近は体づくりにハマり出し、日々「あすけん」とにらめっこしている。
大きくなってからは何を出してもだいたい食べてくれるので、私は基本的に自分の好きなもの、食べたいものを作れば、家族みんな日々ごきげんに過ごせるようになった。だから、「息子だけのもの」を作っていた離乳食の頃とは違い、自分の食べたいものを作った上で子どもたちの食指があまり動かなくても「まあ、そりゃそうね。私は食べるけど」という感じで、普通に受け止めることができる、という、まあそれだけのことである。
(ただ、先日村井理子さんに寄稿いただいたこのエッセイにもあるように、今子どもが食べなくて悩んでいる人に「いつか食べるから大丈夫」なんて私は絶対に言えない。あの終わることがないように思えた離乳食芸人の日々を知っているから。)

熊にパンダを与えることで生きながらえようとする離乳食芸人
基本的に私のモットーは、「自分に甘く、他人に甘く」である。自分がまずごきげんでいること、その上で他人とごきげんに過ごすこと。と、思って生きてきた。この「他人」には、「自分以外の人間」という意味で家族だって入る。
子育てをする中で私が一番恐れていたのは、「子どもたちのため」と気負いすぎることで、「子どもたちのせいで」自分のやりたいことができないと、いつしか思ってしまうことだった。「伝統的母親像」みたいなものに対する反発もあったのかもしれない。今では信じられないけれど、二人目の出産の時に「二人産むなら仕事やめるんじゃないの?」と言った人も周りにはいた、そんな時代だった。そんなことしてたまるかと、どちらかというとそちらの方を気負っていた部分も、あったのだと思う。
イクメンだった頃の離乳食芸人
ところが、である。
この夏、私は離乳食芸人期以来の、子どもたちに振り回される日々を過ごすことになった。
夏休み、わが家は中学受験生の娘のスケジュールを中心に動いていた。ついでに(ついでに?)この夏から夫は海外勤務となり、受験生を抱えたまま完全なワンオペ生活が始まった。おめでとうございます。ありがとうございます。
受験生の夏休みというのは本当に忙しく、ほぼ毎日13時から19時まで塾があり、それ以外の時間はほぼ全て塾の課題に追われる。夏休みで毎日お昼も夜もごはんを作るのに疲れたから、いつものお寿司屋さんのランチに行こう!ということもほとんどできない。外出する時間がとれないのだ。もはや自分が食べたいものを考えている余裕すらない。
13時からの娘の塾に間に合うように、12時には自分のことはそっちのけで娘にお昼ごはんを出すようにする。夜は娘が塾を終えて帰ってくる19時半に合わせて夕食を準備しておく。これまでは昼食も夕食も「私の仕事のキリがついた時間」というのがわが家のいつもの流れだったのだが、完全に娘のスケジュールが中心になった。本当に、毎日、信じられないくらい、同じことの繰り返しである。
猫に囲まれて朝勉
さて、こんなスケジュールに疲れ果てた頃、4日間の塾のお盆休みが飛び込んできた。貴重な休み!どこかへ行こう!と、近場で慣れている韓国へ家族で行くことにした。こういう時、いつもなら「母さんの夏休み!!!」と、意気込んで、とにかく自分が休もうとするのが「自分に甘く、他人に甘く」の私だけれど、今年ばかりは、ちょっと違う。
なんといっても、受験生とともに行く旅である。大量の塾の課題も抱えていく。しかも仕事人間すぎてなかなか旅行に現れない夫というレアキャラも海外から帰ってくる。この夏を通してすっかり「サポート係」となった私は、人生で初めてではないかという勢いで、「とにかく家族が満足する旅」を、テーマに旅程を組むことにした。
そんなことを言っても、これまで好き勝手に自分の好きな旅行のスケジュールを組んできた私である。例えば、私は仏像が好きなので、育休中は、子どもたちを連れて実家近くの京都と奈良のお寺をかなりあちこち巡った。ところが今、中学受験生の小6娘はその頃のことを全く覚えておらず、「本能寺って大阪にあったっけ?」とか言っている。どういうことだ。そう思うととにかく、子どもの役に立たないことばかりをしてた気がする。
そんな私に、「家族が満足する旅」をテーマに旅程を組むことなんてできるのだろうか。
ところがこれが、意外とスムーズに進んだのだ。
自分のやりたいことが浮かんだ時は、「でも今回はとにかく家族がやりたいことを優先にすることが『テーマ』だからな。私がやりたいことは、娘の受験が終わったらまたやろう」と、切り替えることができた。旅の「テーマ」をしっかりと「家族」と定めたことで、なんというかいろんな場面で思い切ることができたのだ。思い切ったから、後悔することもなかった。「自分を犠牲にしている」感を感じることもなかった。
朝からお昼までは娘と私はホテルで勉強と仕事、夫と息子は明洞の街を散歩したり、ひたすら寝たり、ゲームしたり。(息子の宿題はもう知らない。)そしてランチだけは気合いを入れて、私がおすすめする、家族が気に入るであろうお店をピックアップしてお連れした。(おすすめのお店は過去の編集部通信で書いています!)午後は、家族それぞれのやりたいことを聞き、一日一つずつ、それを叶えていった。
娘が韓国へいくと絶対やりたがる、スマホケース作り。
さてそんな旅がどうだったかと言うと。夫は毎回ランチのたびに「うっま…!なにこれ…!」を連発した。ここは夫も気に入るだろうと連れて行ったメンズも扱う洋服屋さんでは、えらく気に入った様子で次から次へと試着し、ごきげんなまま私が欲しがっていたカーディガンまで買ってくれた。(こんなことはめったにない。基本的にわが家ではバッグもジュエリーももちろん洋服も自分のものは自分で買う。)
息子は「なんか今回の韓国、やりたいと思ってたこと全部できたわ!思い残すことがない!こういう旅行ってあんまりない!」と嬉しそうに言った。
そして朝からランチまではホテルで勉強をしていた受験生の娘は、「何回も韓国行ったけど、今回が一番楽しかった!!」とにこにこしながら言ってくれた。
なるほど、これが「家族のため」ってやつか!!!!と、母15年目にして、私は思った。いや、本当に。単純に、うれしかったのだ。「家族のため」にやったことで、家族が本当に喜んでくれたことが。
悪くないな、と、私は思った。自分(だけ)が行きたいところにはほとんど行かなかったけれど、だからといってそれを家族に「犠牲」にされているとも感じなかった。それはなんというか、ちょっとうれしい発見だった。こんなこと、世の中の「お母さん」はみんなわかっているのかもしれないけれど、私は15年目にして「悪くないな」と、思ったのだ。まったくもって、悪くない。
でもこのポイントは、「私がやりたいから」、家族が喜びそうなプランを立てたというところにある。いつもは自分のやりたいことを書き出す私も、家族が好きそうなことをひたすら考えた。それ自体が、新鮮で楽しかった。ここで「本当はこれがやりたいのに」と思いながらやってしまうと、「これだけやったのに楽しんでくれない」となってしまいかねない。そうじゃなくて、やっぱりあくまでも、「自分で決めた」テーマが「家族が楽しむこと」だったのが良かったのだと思う。これが私なりの、家族と自分のバランスだ。
で、そんな夏を終えた私ですが、今本当に燃え尽き症候群というか夏の疲れがいつも以上に出ており、しかも大事な自分の運動の時間をがっつり削ってしまったため体型もえらいことになっており、なんか一つは自分のためにもできることをしたいなと考えた結果、なぜか三つ目のピアスの穴を空けました。とってもかわいいです。おかげでまたすっかりごきげんです。
秋からはまた、少し自分の時間も確保しつつ、受験までの残り半年を、たまには家族が食べたいものをがんばって作ったりしながら、乗り切っていきたい所存です。
夏休み、みなさま大変おつかれさまでした!!!!!!!!!