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あの日の自分に、一番かけたい言葉は

編集部通信

LIFE STYLE
2025.12.01

12月に特集する「母になった私へ」の企画を進めながら、私も15年前、母になった日のことをふと思い出していた。

それまでの激務から一転、人生初めての産休に入り、やれ友達とアフタヌーンティへ行くだの、一人でおいしいカレーとドーナツを食べ歩くだの、完全にモラトリアムのような生活を謳歌していたある日、産院で散々聞かされていた「おしるし」がやってきた。

初産の妊婦は、おしるしから出産まで数日かかることも多いと聞いていた私は思った。そうだ、まだビデオカメラを買ってない。買いにいかなくては。

今ならスマホで動画を撮るのだろうが、当時は「出産にはビデオカメラが必要だ」となぜか思い込んでいたのだ。初めての出産でよくわからないテンションになっていたのだろう。そういえば、出産準備メモの一番上には「アロマオイル」と書いていた。陣痛のときに焚こうと思っていたのだ。もちろん、実際にはまったくそんな余裕はなかった。

さて、ビデオカメラを買うために新宿のビックカメラに駆け込んだわけだが、調べていた相場よりも値段が高かった。ここで関西人の血が騒ぎ、「もっと安いところで買わなければ!!」と思った私は、山手線に乗って池袋のビックカメラへ移動した。

なんといってもおしるしが来た臨月の妊婦である。お腹はとんでもなく、でかい。あまりにでかいお腹を抱えた妊婦が目の前に立ったものだから、座っていた中国人のカップルが二人で立って席を譲ってくれた。ただならぬ気配を感じたのだと思う。ありがとうあの時のカップル。そういえば妊娠中は、このカップルをはじめ、強面のお兄さんとか、金髪の高校生とか、ありとあらゆる人に席を譲ってもらった。常にただならぬ気配を漂わせた妊婦だったのかもしれない。優しい世界であった。

池袋のビックカメラで売られていたビデオカメラは新宿で見たものよりも安く、私は無事に事前にリサーチしていた通りの値段でビデオカメラを手に入れることができた。というか、ビックカメラの店員さんも「ただならぬ気配」に押されたのかずいぶん値引きをしてくれた気がする。なんせ正直、この辺りですでに結構「お腹の張り」を感じていた。

そしてその日の夜、ビデオカメラを手に入れたことで安心したかのように陣痛はやってきた。

何はともあれ、私はビデオカメラとアロマオイルを抱え、初めての出産に挑んだのだ。直前までビックカメラであちこち歩き回ったからか、病院に着いてからは初産とは思えないくらいのスピードでお産は進み、あっという間に息子は生まれてきた。ドタバタ出産劇ではあったが、あと、この世のものとは思えない痛みではあったが、助産師さんもびっくりの安産であった。

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か…かわいい…いまや「PayPay送って」としか言わないけど…

ところが、私の出産がこのびっくり安産のようにすべて順調だったかというと、全然そんなことはない。今でこそこんな「のんきな母」をやっているが、あの頃はさすがに、いろんな初めてのことにとまどい、悩み、そして少なからず追い詰められていた。

まずなんといっても、とんでもなくつわりがきつかった。こんなもん聞いてない、と思った。正直私は今でも、出産の痛みよりもつわりのしんどさの方がきつかったと思っている。「寝ている時間以外ずっと吐き気がある」という状態は、身体的にはもちろん、何よりも精神的に追い詰められるものだった。「二日酔いが一生続く感じ」とよく言うが、二日酔いなんてしょっちゅうだった私が断言しよう。二日酔いの500万倍しんどい。

そしていつだって不安だった。息子を出産する3年前、私は母を亡くしていた。当時は里帰り出産が主流という雰囲気があり、東京で出産をすると言うと男性の上司に「大丈夫か?出産はそんな簡単じゃないぞ。頼れるものは頼らないと」と、言われたりした。もちろん善意から言ってくれたのだと思うが、なんせ妊娠中でホルモンバランスも崩れているこっちは「そんなこと言ったって頼れへん人はどうしたらいいんよ!」と、泣きたい気持ちになっていた。(そしてもれなく夫に当たった。かわいそうであった。)

とにかく不安だったし体調はずっと悪いし(病気じゃないとか言われるけどあれが病気じゃなくてなんなんだ。明らかに体調が悪いのだ。毎日吐くのだ。普通ではない。)私は結構、追い詰められていたと思う。今思えば。

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これは私が「出産準備品」として一番最初に買ったヨーロッパかどこだかのぬいぐるみ。他に準備するものがあるだろうと思うが、初めての妊娠というのはテンションがよくわからなくなる。

だけどある日、保健師さんが言ってくれた。「子育てをするときにね、一人じゃなくて、もうその辺の人みんなで育てていくイメージを持ってみて。それは実母じゃなくて全然大丈夫。周りの友達とかみんなで、子どもを囲んで、てんやわんやしながらみんなでわいわい育てていくイメージ。そういうの、なんか好きでしょ?」と。

その言葉を聞いて、私はなんとなく、ぱっと目の前が開けたような気がした。もやもやと不安の霧がかかり、実態がつかめなかった「子育て」というものが、急に具体的になった。みんなとわいわい育てていく感じ。それは確かに、私にとっての「いい感じ」のような気がした。

実際、息子が生まれてからは、「ちょっと寄っていくわ」と、ふらりとごはんを持ってしょっちゅう友達がやってきてくれた。妹たちは新幹線で京都から東京まで何度も来てくれた。深夜に一人で授乳をしながらTwitter(現X)を開くと、同じように授乳をしているママたちがいて、「おつかれ」と言い合った。離乳食を食べないときはみんなで「離乳食芸人」のネタを持ち合って笑いあった。記憶の中で息子はいつも、誰かにごきげんに抱っこされていた、そんなイメージが残っている。

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「離乳食芸人」だった頃の写真が発掘された。

そういえばいつだったか、保育園の保護者会でこの保健師さんに言われたことを話したことがあった。「こうして言ってもらった通り、子どもたちは先生や友達や、保育園のお母さんやお父さんたちにわいわい育ててきてもらった気がします。私一人じゃぜったい無理だったけど、みんなのおかげでおっきくなれた気がします。」

そう言ってふと隣を見ると、なんと同じマンションのママ友が号泣していた。「え!!!なんで泣くん!!!!」と言いながら、私もちょっと泣いた。

私が母を乳がんで亡くしたことを知ったこのママ友は、病院で検査技師をしていて「私の友達は絶対に乳がんで死なせない」という信念を持っているのだと力強く言った。そしてそれ以降、毎年欠かさず健診のリマインドを送ってくれる。私が今年もちゃんと健診受けましたと報告すると、これでもかというほどほめてくれる。こうなるともう、おかんである。

子育てをしながら、「母がいてくれたらなあ」と思う場面が、なかったわけではない。でもそのたびに、誰かしら友達が「母が言いそうなこと」を言ってくれた。最近では子どもたち自身まで「それ母が言いそうだな」ということを言ってくれたりして驚くことがある。

振り返ってみれば15年間、たしかに子どもたちは、いろんな人に育ててもらったと思う。ほんとうにたくさんの人が、会ったことがない人も含めて、子どもたちの成長を見守ってきてくれたのだ。ほんとうに、わいわいと。

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母になった私へ。と、改めて思う。あの、不安だらけだった私へ。初めての妊娠が流産で終わり、妊娠が続くのかが不安で仕方なくて、不安を抱えていたらとんでもなくしんどいつわりがやってきて、それは妊娠を止めたくなるほどにしんどくて、だけどそんなことを考えてしまう自分は弱いんじゃないかと責めて、なんでこういうときに自分にお母さんはいないんだろうと孤独になって、それでも朝が来たらとりあえず会社へ行って仕事をし、外回りの合間にトイレで吐き、家に帰った瞬間気持ち悪くて立てなくなり、何もできないまま朝を迎え、どんどん荒れてく家の中でこれで子育てなんかできるのかとふさぎ込み、それでも「つわりは病気ではない」というあの言葉によりまた会社へは行って仕事だけはとりあえずがんばっていた私へ。

かけたい言葉はなんだろう、と改めて考える。あの頃の私に言ってあげたい言葉はなんだろう。

よくがんばってるね、おつかれさま、大丈夫だよ、元気な子どもが生まれてくるよ。いろんな言葉が思い浮かぶ。

だけど一番伝えたいのは、「ありがとう」だ、と、思う。

ありがとう、あの時がんばってくれて。しんどい中、一人で泣きながらつわりに耐えて生きてくれて。家事なんてしなくて大丈夫だよ。生きていてくれたから、こんなにかわいい息子と娘と、おもしろおかしく毎日毎日爆笑しながら暮らしているよ。今も好きな仕事を続けているよ。そして愉快で楽しい友達にもたくさん出会えたよ。知らない人のたくさんの親切に触れたよ。

全部、あのときの私のおかげだよ。ありがとう。

人生にはいろんな転機がある。その時々で、信じられないくらいにしんどい局面だってある。この先もきっとあるのだろう。そろそろ人生の折り返しにさしかかるわけだけれど、それでもまた辛い局面はやってくるはずだ。でもまた「ありがとう」とその先の私に思ってもらえる自分でありたい。今ふんばったらきっと、未来は開けてくるのだ。人生の最後の瞬間に、「ありがとう」って自分に言える、そういう自分でありたい。

母になった私を思い出しながら、そんなことを思う。

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おまけ。必殺☆いやいや期

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