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お弁当は、一方通行じゃない。

編集部通信

LIFE STYLE
2026.07.28

二人分のお弁当を作る生活が始まってから3ヶ月が過ぎた。作り始める前は二人分のお弁当と言っても、一人分とたいして変わらないだろうなんて思っていたら、2倍とは言わないけど1.5倍くらいは大変になった。あと、二人のお弁当スケジュールを常に頭に入れておかなくちゃいけないので、頭がこんがらがりそうにもなる。とにかく、二人分というのはなかなか結構、大変である。

おかげで一日中お弁当のことを考えている気がするし、スーパーでもずっとお弁当に入れやすい具材を探している。そんなことをしていたら夕方になって「あれ、夕飯の材料がない!お弁当の材料はあったのに!」みたいな事態に、しょっちゅう陥っている。

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そんな二人分のお弁当を作る生活になって、ちょっとした変化があった。

なんと、「お弁当のフィードバック」が返ってくるようになったのである。

うちの子たちは大変優しく育ってくれて、基本的に「出されたものをにこにこ食べる」という姿勢が一貫している。いやまあ、私の無言の圧を感じているのかもしれないけれど、「ちょっと苦手だった」と言うことはもちろんあっても、とにかくいったん一口は食べてくれる。「離乳食芸人」と呼ばれて本当に食べなかった頃が嘘のようである。

そんなわけで、先にお弁当生活が始まった息子は、この3年間「おいしかったありがとう!!」と言ってお弁当を食洗機に入れ続けた。「どうだった?」と聞くと、「おいしかった!」と返ってくる、というのが、3年間繰り返された。

ところが、娘は少し違う。もちろん「おいしかった!!」とは言ってくれる。そういえばこの子は保育園の頃からよく食べる子で、たまに遠足なんかでお弁当を持っていくと、「みて!!ぴっかりん!!」と言いながら、空になったお弁当を見せてくれた。(かわいかったなあ…)そして今も同じように、ぴかぴかになったお弁当を食洗機に入れてくれる。

でも息子と少し違うのが、食洗機に入れながらちょっとずつフィードバックをくれるのである。

「保冷剤で目玉焼き固くなっちゃうの、だからこないだみたいな蒸し焼きの方がいいかも!」

「今日のおかかおにぎり、チーズ入れたでしょ?あれめっちゃおいしかった!次からも入れて!」

「梅干しは前のやつの方が好きかも…ごめん!」などなど。

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先日は「大葉とトマトいっつも入ってるでしょ、あれすごいすっきりするから地味に好き!」などとも言ってくれた。彩りを大葉とトマトに頼りがちだっただけなのだが、彩り以外にもちゃんと役割を果たしてくれていたのか!と思うと、なんだかちょっとうれしかった。

わが家はごはん作りを私が100%担ってしまっているため、今までずっと「基本的には私が食べたいもの、作りたいものを作る!」というスタンスでやってきた。そうでないと、私自身がパンクしてしまうと思っていたからだ。ワンオペの16年間で、なかなか「子どもたちの好みに合わせる」という余裕を持てなかった。申し訳ないという気持ちがないでもないけれど、そうは言っても母さんがご機嫌で過ごせることが一番!と、思ってなんとかかんとか子育てをしてきたので、今からもう一度繰り返すとしてもやっぱり同じことになるだろうなという気がする。

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焼きそばお弁当!

それでも、最近は子どもたちがある程度自分のことができるようになってきて、私が家にいなくても、自分たちで何かしらごはんを用意できるようになった。だから私は「お弁当くらいは毎日作ってあげるか」という気持ちで過ごしている。そしてこのお弁当は基本的には私は食べないので、いつだって「子どもたちのため」だけの存在だ。そうすると、いくら私が「出されたものを食べるべし!」というスタンスの人間であったとしても、さすがに子どもたちの好みを考えるようになる。

そう、気づいてみれば、私はここにきて初めて、子どもたちの好みと向き合っていると言っても過言ではない。

こうなると、娘のフィードバックはなかなかありがたいものだ。せっかく作ったものに「NO」を突きつけられるのはつらいものかと思っていたけれど、娘の言い方にはトゲがなく大変うまい言い回しで伝えてくれるので、こちらの気持ちが落ち込むことも腹が立つこともない。

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誰かのごはんを作るというのは、決して一方通行のものではないのだ。それは、コミュニケーションなのだ。子どもたちが大きくなってきて、私は今ようやく、このコミュニケーションを楽しめるようになってきたのだと思う。

こうなると息子も、「ごめんねお弁当の冷えたパックごはんがあんまり食べられなくてさ」とか言うようになってきた。「ええそうなの、じゃあめんどくさいけど、毎朝炊くか」と、最近はがんばって朝イチでお米を炊いたりしている。

こういうのを私はどこかで「子どものわがままを聞く」みたいに考えてしまっていたところがあったけれど、全然そんなことはないのだな、と最近は思う。そもそも、無理なときは無理だし、無理だと言えば子どもたちも「わかった!」と言ってくれるし、「できるときにやる」というのは、あくまでも「思いやり」なのだ、と思う。それはコミュニケーションの中の一つだ。

だけどこれは、当然、こちらに余裕があるからこそできること。例えば子どもたちが保育園の頃にこんなふうに毎日のお弁当があったとして、こんなことができたかというと、そりゃあ、無理だ。時間的にも心の余裕的にも、あと母としての経験という意味でも、無理だ。

これは今だからこそできることだし、それがちょっとだけ楽しいと思えるし、あと、楽しいと思えるからこそ、それをやっている自分のことをちょっとだけ好きになれる。だからやっている。まあ結局、自分のため、みたいなところもある。でも、それでいいのだと思う。それでみんな、喜んでくれるのだから。

そう思えるようになった今、私が毎日お弁当を続けるために、一つだけ意識していることがある。

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時間がない!!という時はレトルトをあたためてスープジャーに入れて完成!とすることも

それは「一品減らす」だ。例えば筋トレのコツは「もうだめだ」と思ったところで「あと1回」がんばることとよく言われる。でもお弁当みたいに、とにかく毎日続ける必要があることに関しては、「あと1回」がんばるんじゃなくて、いけると思っても「あと1品減らす」、くらいがちょうどいいと思っている。明日に余力を残しておくのだ。週の半ばに、スープジャーにレトルトの中華丼をあっためて入れる日とかを作るのもいい。もちろん、冷凍食品に頼るのは当たり前として、ほかにも色々な「手間抜き」を少しずつ入れていく。

あと一品作れるけど、今日はこれくらいにしといたろか!!(吉本新喜劇)くらいなのが、ちょうどええ、のです。

終わってしまえば、これまでの子育てと同じくあっという間なのだろう。毎日がんばりすぎず、やっていこうと思う。そうすればこの先6年も、なんとか、なんとか続けられる…気がしている。

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