樋口直哉さんの「トマトソース」を作る
料理研究家リュウジさんとゲストがお互いのレシピをトレードし、料理をしながら語り合う本連載。今回のゲストは、料理人であり作家としても活躍する樋口直哉さんです。
料理界きっての理論派である樋口さんと、自称「邪道」のリュウジさん。一見すると正反対な二人ですが、実は「料理の理屈が大好き」という共通点があります。リュウジさんは、樋口さんの影響を強く受けているのだとか。
そんなリュウジさんが作る樋口さんのレシピは「トマトソース」。二人のトマトソースには、いったいどんな違いがあるのでしょうか?
樋口直哉さんのトマトソース
トマトソース
材料(2⼈分)
作り⽅
- 1. ⽟ねぎとにんにくをみじん切りにする。
- 2. 鍋ににんにくと⽟ねぎ、オリーブオイルを加え、中火にかける。 ぱちぱちと泡⽴ってきたら弱火に落とし、⽟ねぎがうっすらと⾊づいてきたら、⼀旦⽕を⽌める。
- 3. ホールトマト⽸を加え、中⽕にかける。
- 4. オレガノを加え、煮⽴ってきたら弱⽕にして最低15分煮る。
- 5. 泡⽴て器でトマトを潰す。
- 6. 塩、こしょうで味を整える。
スパゲッティとして⾷べる場合
材料(2人分)
作り⽅
- 1. 生のトマトを湯むきして種を取り除き、角切りにする。
- 2. フライパンに油小さじ1を熱し、切ったトマトを炒める。トマトが十分に熱くなったらバジル(半量)も加え、塩ひとつまみ(分量外)と砂糖ひとつまみ(分量外)で味をととのえる。
- 3. パスタは 1%の塩分濃度のお湯で、袋の表⽰時間より短めに茹でる(ちょっと芯が残るくらい)。
- 4. トマトソースの鍋にバジルを加えて温める。
- 5. 茹でたパスタをトマトソースの鍋に入れて⽕を⽌め、バターとパルミジャーノチーズを加えて混ぜる。
料理には「感覚派」と「理論派」がいる
僕は以前「食育通信online」というサイトでコラムを執筆していたんですが、あるとき塩について書いた記事をリュウジさんがTwitterでシェアしてくれて、サーバーが落ちたことがあります(笑)。
あのコラム、樋口さんだったんですか!?あのサイト、料理研究家になる前から大好きでよく見てました。すごくマニアックな話題を掘り下げて書いてるんですよね。僕は料理オタクだから、料理を理屈で説明している文章が好きなんです。
僕が書いたコラムです。あれ、読んでる人なかなかいないよ。
樋口さんは僕の料理人生に一番影響を与えた人かもしれない。レシピというよりは、理論とか考え方とか。ほぼ師匠ですね。
たとえば僕の「至高シリーズ」も、どこが至高なのかを言語化するとき、樋口さんの記事がかなり参考になるんですよ。「なぜならこうだから」と、理屈を細かく説明してくれるから説得力が段違い。でも、樋口さんほど細かいことを言っちゃうと僕の視聴者さんは引いちゃうので、もっとライトにしています(笑)。
リュウジさんも意外と理論派ですよね。
そうなんです。料理って感覚派と理論派がいて、僕は感覚派に見られがちだけど、意外と理論派なんですよ。
感覚派の人は天才肌だから、理論がなくても舌で感じて自然とおいしいものが作れちゃう。でも、樋口さんはとことん理論を追求していますよね。学者っぽいというか。
僕は研究するのが好きだから。理屈っぽくてめんどくさいんですよ。
そういうのを求めてました!今日はかなりめんどくさい感じでお願いします(笑)。
レシピを見ましたが、やっぱり僕のトマトソースとは違いますね。樋口さんのはシンプルで基本的なトマトソース。僕のはというと、にんにくを1人前で四つ使います。ちょっとカプリチョーザのパスタに似てるんですよ。僕は大衆向けの味付けが得意だから、うま味をバンバン入れてチェーン店みたいな味にしちゃう。
何をもって大衆向けとするか、その定義も難しいですけどね。たとえば、サイゼリヤのトマトソースってそんなにうま味をきかせてないですよ。
そうでしたっけ?なるほど、そういう視点で食べるとまた違うかもしれない。樋口さん、チェーン店とか行くんですか?
大好きです。ロイヤルホストとサイゼリヤは神だと思っています。
意外と庶民派だった…!
とことん「香り」にフォーカスしたトマトソース
では、玉ねぎとにんにくをみじん切りにするところから始めましょう。
みじん切り、二日酔いのリハビリになるなぁ…。
このトマトソース、僕のレシピよりも玉ねぎが少ないです。
玉ねぎが少なめなのは、甘味がそんなにいらないから。昔のトマトソースって、玉ねぎとにんじんとセロリをたくさん炒めて味のベースにするレシピが多かったんだけど、それって甘味がほしいからなんですよね。だけど、最近は料理の甘味を強くしない傾向があって。今はレストランでも、フォンやコンソメをとるときににんじんや玉ねぎを入れないところも多いです。
なぜ甘味を足さなくなったのでしょうか?
食材そのものの甘味が強くなってるからです。トマトの甘味も、今と昔ではぜんぜん違いますよ。
たしかに。トマトって子どもの頃は苦手だったけど、今はどこで買っても甘くておいしいもんなぁ。
泡がなくなったら水分が抜けた証拠なので、玉ねぎを加えます。
混ぜたほうがいいですか?
混ぜなくても大丈夫。IHは内も外も火力が均一だから、混ぜる必要がないんですよ。ガス火だと外側が熱いから、混ぜる意味があるんですけど。
たとえば、ガス火なら「卵を外側から回し入れる」とかするでしょう?でも、IHは火力が均一だから外側から回し入れても意味がないんですよ。
なるほど!
玉ねぎをちょっと焦がすのは、メイラード反応の香りがほしいから。玉ねぎに含まれる硫黄化合物の香りとあわさると、肉を焼いたときに出る香りにちょっと似るんですよ。
硫黄化合物…。そういうマニアックな感じ、好きです。
缶のホールトマトは潰してから入れる人もいるけど、僕はそのまま入れる派。トマトは煮てから潰します。
それはなぜですか?
煮てからのほうがトマトが柔らかくて潰しやすいから。
合理的だ。
煮込むとき、あればバジルの茎を入れます。ない場合はトマトのヘタでもいいですよ。緑の香りがほしいだけなので。
こんなにトマトソースの香りにフォーカスしたことなかった。
イタリアンは香りが大事だから。
乾燥ハーブのオレガノも入れます。基本的にハーブはフレッシュハーブがおいしいと思うけど、オレガノだけは乾燥がおいしい。保存もきくし、調味料として持っておいて損はないと思う。
そうそう、オレガノ入れるとピザっぽくなっておいしいですよね。レシピにオレガノって書くと「オレガノ買うくらいなら作らない」って言われちゃうんですけど、乾燥ハーブのオレガノは買っても損しない。マジでぜんぜん違うから。
ザルをかぶせて飛び散るのをガード。今日、うっかり白い服で来ちゃったから(笑)。
ふたはしちゃダメなんですか?
うん、水分を飛ばしたいからね。
オイルスクリーンの代わりですね。僕もたまに使います。
レシピトレードなのに樋口さんが調理!?
パスタを茹でる前に、トッピングするトマトとバジルの炒めものを作りましょう。まずは生のトマトを湯むきします。
種を取り除くのはなぜですか?
酸っぱいから。種はグルタミン酸(うま味)が多いんですけど、酸味も強いんですよ。ソースの場合は酸味を和らげるために砂糖とか入れなきゃいけなくなるし、炒めるときに水分は邪魔なので。
なるほど。トマトの種取り、久しぶりにやったわ~。
さて、そうこうしている間にトマトソースが煮えてきたので、ホールトマトを泡だて器で潰しましょうか。
わ、ぜんぜん力を入れなくてもすぐに潰れますね。なるほど、だから煮えてから潰すのか。
包丁の持ち方は、まな板に対して90度を意識して。すると、食材をまっすぐ切ることができます。レストランは45度の角度で調理することが多いけど、それは厨房が狭いから。
めちゃくちゃ先生っぽい。この歳になると人から教わることがなくなってくるから嬉しいです。
ここでバジルも入れちゃうんですね。
そう。最後に生のバジルものせるけど、加熱したバジルと両方使うと香りが強くなりますかね。
バジルの香りがすごい。この香り、しばらく忘れてたわ。僕のYouTubeチャンネルではバジル使わないから。
今入れたのは塩ですか?
砂糖です。
砂糖!?そんな大事なこと、言ってくださいよ!砂糖なんてレシピにありましたっけ?(と手元のレシピを見る)
こういうのはね、材料のところに書かないほうがいいんですよ。材料が増えるとみんな作らないでしょ?ちなみに砂糖を少し足すとトマトの風味が強くなります。
トマトソースの状態を見極めて
樋口さんはパスタを茹でるとき、お湯に対して塩の量は何%派ですか?
僕は1%ですね。
一緒だ!
何%が多いんですか?
1.5%や2%の人もいます。それだとソースの塩分をかなり調節しないといけない。
お湯が沸いたのでパスタを茹でましょう。パスタを入れるときは、焦がさないように中心から入れます。
もはやすべて樋口さんがやってくれてる…。
パスタを茹でる火はポコポコ派ですか?けっこう強火で茹でる人もいますよね。
たまに「パスタが踊るくらい」と言う人もいるけど、「パスタが踊っちゃうと麺同士が擦れちゃうからダメ」と言う人のほうが多い印象です。
僕はメーカーによって、ザラザラしたパスタは優しめに、つるつるのパスタはそんなに気にしないで茹でてます。
さすが。茹で加減はちょっと芯が残るくらいですか?
そう。このあとトマトソースの鍋に入れるので、アルデンテにしておきましょう。
茹で汁は入れないんですか? レシピには30ccほど加えるって書いてありますけど…。
トマトソースの状態を見て、ちゃんと乳化していれば入れる必要はありません。だけど、もしも油が浮いていたらちょっと茹で汁を加えてください。状態を見極めて。
最後にバターとチーズでうま味を足します。
トマトとバジルとバターの香りがもう…。すでにおいしそうなんですけど!
トマトの「ダブル使い」がポイントの美しいパスタ
盛りつけをお願いしてもいいですか?
やりましょう。今日、何もしてないので。
トマトのダブル使いがポイントなんですね 。
完成です!
いやいやいやいや…これは美しい!
「忘れていた大事なものを思い出せる味」
僕はレモンサワーで。
じゃあ僕はビールで。
乾杯!
これは…うまい。本来のトマトソースってこうですよね。原点回帰というか、僕が忘れていた大事なものを思い出す味です。
僕のトマトパスタはぜんぜん酸味がないんですよ。煮つめちゃうからケチャップに近い。樋口さんのはトマトの酸味が効いてて、香りも引き立ってる。僕のトマトパスタに慣れたら、たまに樋口さんのトマトパスタが食べたくなりそう。
自分の味ってだんだん飽きてくるからね。料理って飽きないことが大事だよ。飽きると辛くなっちゃう。
かと言って味がブレると「リュウジの味じゃない」って言われちゃうから、やっぱり自分の味は守らなきゃいけない。
料理研究家は辛いねぇ(笑)。僕は料理研究家じゃないから、自分の味が決まってないんだよね。「これが俺のレシピだ!」ってものがない。本当に、基本しかやらないから。
樋口さんほど基本を掘り下げてる人はあまりいませんよ。
このトマトパスタ、なぜかレモンサワーに合いますね。
油が多いからね。アルコールは水と油を溶かすから。
そんな理論まで!たしかに、オリーブオイル大さじ3ってけっこう入ってますよね。
うん。クックパッドとお店のレシピを比較すると、一番の違いは油の量と香味野菜なんですよ。一般の方が作るレシピは油が少なくて香味野菜が多い。プロのレシピはその逆で、油が多くて香味野菜が少ないんです。
たしかに、プロのレシピって香味野菜そんなに入れないかも。僕は、このくらいの量のトマトソースを作るんだったら玉ねぎ1個は入れちゃう。
そうすると玉ねぎのソースになっちゃう。トマトソースならこのくらいでいいかな。
嫌いな食べ物があるのは強み
樋口さんのトマトソースは、トマト本来の味を活かしてますよね。僕は野菜嫌いだから、トマトの味を消そうとしちゃう(笑)。
でも、リュウジさんは野菜料理がおもしろい人だと思うんですよ。リュウジさんのレシピって、「野菜嫌いの人が野菜をおいしく食べるための要素」をすべて満たしていて、そこがいいなと思う。
野菜が好きじゃないけど食べなきゃいけないから、どうしたらおいしくなるかを考えるんです。
その食材を好きじゃない人が作ったほうが、いいレシピができる傾向にあるかも。フランス料理の有名なシェフで、野菜をぜんぜん食べられない人がいるんだけど、その人の料理は素晴らしいんですよ。だから、「嫌い」って大事だと思う。嫌いなものがあるって強みだよ。
こんなに褒められることないなぁ(笑)。
いや、お世辞じゃなく。これから(後編で)作る「ネギ塩牛タン風しいたけ」とか、天才だと思ったもん。Clubhouseでその話をしたら、誰からも同意を得られなかったけど(笑)。
樋口さんのClubhouseで僕の話はしちゃダメですよ。樋口さんのファン層には絶対に僕は刺さらないんだから(笑)。僕は料理界のヒールなので。
またまた。リュウジさんはいつも自分のことを邪道って言うけど、意外と正統派なんだから。レシピ名に邪道とつく場合はリュウジさんの演出だから、みんな騙されちゃいけないよ(笑)。
僕は動画でレシピを出しているけど、実は自分が料理を作るときは活字レシピ派なんですよ。樋口さんのレシピも好きです。文字と動画ってどっちも必要だと思っていて。
でも、今もっとも価値が高いのは対面だよね。文字や動画のコンテンツが増えるにつれてその価値は下がり、リアルの価値が上がっていく。こうやって会って話すのが一番の贅沢だよ。
そうそう。このトマトソースでも、文章にしていないことが多すぎます。トマト炒めるときに砂糖入れるなんて聞いてない!
料理において、形式知と暗黙知はどっちも必要なんですよ。僕たちは、暗黙知を形式知化する努力をしていかないといけない。
日本人は「言語化が苦手」と言われているんです。料理の世界でも日本の職人は見て覚えろ、じゃないですか。一方、アメリカ人はどんどんマニュアル化、形式知化していったんだよね。だから次世代に残すという意味でも、言葉にして形式知化する努力は必要だと思う。
たしかに。僕は、マニュアル化する側の人間かもしれない。
僕は「見て覚えろ」の世界で育ったから、今は逆に、マニュアル化に意識が向いています。
僕はほぼマニュアルで育ったから真逆ですね。
…いやぁ、樋口さんの話は本当におもしろいです。こういう話がしたかったんですよ!
後編に続く